昨日は息子午前中夏期講習仕上げのテスト受けに。その後真っ赤に熱中症手前のような体の発熱と顔の赤さでもって帰宅。
昨年熱中症で嘔吐している人だけに様子を見るがいつもより昼食食べる様子を見せて元気に午後からある江東区の将棋会へ
出発。到着の時間頃に夫から息子が机に突っ伏している画像が。「気持ち悪いんだって」。熱中症(・・?と職場のベテラン
看護師さんに聞いたアドバイスをラインで送る。体調持ち直して会へ行くとこの夏奨励会に合格した中学生が着ていて
彼と対局。この夏は奨励会合格した少年や青年がツィッターに現れ、彼らのツィートを見る機会があった。
そういう時代になったのか。
息子が初めて通った近所の教室が閉店する。
小学校二年生の夏前に将棋を覚えた息子は、夏休みにこのサロンへ行きだし、夏休みの終わりには
毎日通うほど将棋の虜になっていた。一回につき1000円かかるので、「そんなに毎日行くならお年玉で行き!」と
わたしが言うと、普段は渋るのにこの時は素直に支払っていた。転校したての学校は教育委員会が
見にくるほど悪かった。学校は嫌だったに違いない。この近将棋サロンへ通うことで将棋の仲間、自宅以外の居場所、
夢中になれるものを手に入れた。サロン休みの2日間以外は雨風ひどい日も長丁場の大会が終わってその足でも通うのでフリーパス券を
毎月買っていた。3級の先輩でありライバルがいて、彼に追いつけ追い越せと懸命になった息子。あの時以外に
息子がライバルとした人はいない。高学年になると周囲のレベルが上がって再び追っかける側に転じたからというのも
あるのか。
思い出がつまった将棋サロンが閉店するとなると親はそれなりに感じ入るものがあるが、
今を生きる子どもにはまったく何も感じないのか。それでもとにかく挨拶へ行く。19時の店内。21時まで開いており、
いつもこの時間は昼から着ていた人がチラホラ残っていたが(・・?もうだれ一人おらず。掃除する先生と目が合う。
最後に一局教えて下さいと席料を支払う。初段でここのサロンに行かなくなった息子は飛車落ちでと席主に言われる。
飛車落ちって最後にやったのいつ(・・?と思い出せない。息子は平手でやりたかったようだが従っていた。
先生は瘦せていた。初段になった頃から息子がサロンに行きたくないと言い出した。初段になった途端先生の指導が
厳しくなったという。わたしは体育会系の母に育てられたのでそれが愛と思うが息子はそれが辛かったようで
足が遠のいてしまった。その後当時の息子の棋力に合致したサロンを探しては行くジプシー時代に突入する。
かなり遠方のサロンへ電車で通っていた時代もある。振り返ると時間が許せば色々行ってみても良かったのかなと
時間がない今は思う。
駒台の駒。いつもぐちゃぐちゃだったのにいつの間にかきれいに並べられるようになっている。
色々なクラブの席主やわたしに「きれいに並べて」と100回ぐらい言われていたのに。
親から離れて、誰かを自分で見て、聞いてそれを受け止めて息子が変化していくのを見るのが結構好きだ。
●ヘッドホン●
写真のヘッドホン。息子が2歳児くらいの頃羽田空港で買ってあげた。今回の大阪旅行でボロボロになってしまった。
ホテルの部屋。狭いから息子にヘッドホン付けて眠らせたままにしてあげられたり移動の電車の中で息子オリジナルラブ
聴けたりと良き相棒だったのだが。
●今頃●
毎年大阪行く前にはエルマガジン社の雑誌を通販で購入する。
今回の弾丸ツアーではどこへもまったく行けず。「これ美味しそう~」と雑誌を今頃初めて読んで指さす息子。
夏期講習ありよったら雑誌読む時間もなかったもんね…。
学校がスタートしたらさらに忙しくなる。隙間時間の使い方が大事になる。
●映画 リバーズエッジを観た●
もう20年以上前Σ(・□・;)。CUTIEで連載されていて、学校へ行くバスを待つバス停前の本屋で立ち読みしていた
漫画が映画化。レンタルで観る。これ、今の時代の若者にどうやったんやろか。わたしは懐かしかったけど。
昔と今の感じ方が違ったのはラスト。山田くんから若草さんへのセリフ。そんで若草さんが泣けてしまうところ。
当時は何も自分に響かなかったけど今回は少し響いた。
昨年熱中症で嘔吐している人だけに様子を見るがいつもより昼食食べる様子を見せて元気に午後からある江東区の将棋会へ
出発。到着の時間頃に夫から息子が机に突っ伏している画像が。「気持ち悪いんだって」。熱中症(・・?と職場のベテラン
看護師さんに聞いたアドバイスをラインで送る。体調持ち直して会へ行くとこの夏奨励会に合格した中学生が着ていて
彼と対局。この夏は奨励会合格した少年や青年がツィッターに現れ、彼らのツィートを見る機会があった。
そういう時代になったのか。
息子が初めて通った近所の教室が閉店する。
小学校二年生の夏前に将棋を覚えた息子は、夏休みにこのサロンへ行きだし、夏休みの終わりには
毎日通うほど将棋の虜になっていた。一回につき1000円かかるので、「そんなに毎日行くならお年玉で行き!」と
わたしが言うと、普段は渋るのにこの時は素直に支払っていた。転校したての学校は教育委員会が
見にくるほど悪かった。学校は嫌だったに違いない。この近将棋サロンへ通うことで将棋の仲間、自宅以外の居場所、
夢中になれるものを手に入れた。サロン休みの2日間以外は雨風ひどい日も長丁場の大会が終わってその足でも通うのでフリーパス券を
毎月買っていた。3級の先輩でありライバルがいて、彼に追いつけ追い越せと懸命になった息子。あの時以外に
息子がライバルとした人はいない。高学年になると周囲のレベルが上がって再び追っかける側に転じたからというのも
あるのか。
思い出がつまった将棋サロンが閉店するとなると親はそれなりに感じ入るものがあるが、
今を生きる子どもにはまったく何も感じないのか。それでもとにかく挨拶へ行く。19時の店内。21時まで開いており、
いつもこの時間は昼から着ていた人がチラホラ残っていたが(・・?もうだれ一人おらず。掃除する先生と目が合う。
最後に一局教えて下さいと席料を支払う。初段でここのサロンに行かなくなった息子は飛車落ちでと席主に言われる。
飛車落ちって最後にやったのいつ(・・?と思い出せない。息子は平手でやりたかったようだが従っていた。
先生は瘦せていた。初段になった頃から息子がサロンに行きたくないと言い出した。初段になった途端先生の指導が
厳しくなったという。わたしは体育会系の母に育てられたのでそれが愛と思うが息子はそれが辛かったようで
足が遠のいてしまった。その後当時の息子の棋力に合致したサロンを探しては行くジプシー時代に突入する。
かなり遠方のサロンへ電車で通っていた時代もある。振り返ると時間が許せば色々行ってみても良かったのかなと
時間がない今は思う。
駒台の駒。いつもぐちゃぐちゃだったのにいつの間にかきれいに並べられるようになっている。
色々なクラブの席主やわたしに「きれいに並べて」と100回ぐらい言われていたのに。
親から離れて、誰かを自分で見て、聞いてそれを受け止めて息子が変化していくのを見るのが結構好きだ。
●ヘッドホン●
写真のヘッドホン。息子が2歳児くらいの頃羽田空港で買ってあげた。今回の大阪旅行でボロボロになってしまった。
ホテルの部屋。狭いから息子にヘッドホン付けて眠らせたままにしてあげられたり移動の電車の中で息子オリジナルラブ
聴けたりと良き相棒だったのだが。
●今頃●
毎年大阪行く前にはエルマガジン社の雑誌を通販で購入する。
今回の弾丸ツアーではどこへもまったく行けず。「これ美味しそう~」と雑誌を今頃初めて読んで指さす息子。
夏期講習ありよったら雑誌読む時間もなかったもんね…。
学校がスタートしたらさらに忙しくなる。隙間時間の使い方が大事になる。
●映画 リバーズエッジを観た●
もう20年以上前Σ(・□・;)。CUTIEで連載されていて、学校へ行くバスを待つバス停前の本屋で立ち読みしていた
漫画が映画化。レンタルで観る。これ、今の時代の若者にどうやったんやろか。わたしは懐かしかったけど。
昔と今の感じ方が違ったのはラスト。山田くんから若草さんへのセリフ。そんで若草さんが泣けてしまうところ。
当時は何も自分に響かなかったけど今回は少し響いた。