釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

56. 『かたくなに 人な憎みそ をとめ子は・・・』

2011-10-02 13:18:52 | 釋超空の短歌
『かたくなに 人な憎みそ。
 をとめ子は
  あしきも よきも、
 愛(かな)しきものを
***
以前、紹介した、飯田眞という精神科医による『折口信夫 診断・日本人』と題された小論に以下の記述がある。釋超空は女性恐怖症だったと言うのだ。

『第二は女性恐怖にて、恐らく此が第一の不潔恐怖の原型と考へ得るものにて、女性を不潔視し、身邊にはほとんど女性を近づけず、食事は女性に作らせず、妻帶者の弟子の入りたる風呂には入らず、電車、バスの中にて女性の髮の毛觸るれば、すさまじき嫌惡感を示せり。信夫の恐怖覺えざる女性は、親族の他はおそらく身邊にありし老婢、あるいは「神の嫁」としての巫女的なる役割にとどまりをりたる女性ならむ。』

私は上記箇所を読んで意外な気がした。私がいままで見てきた釋超空の『をとめ』のうたからの印象と全く違うからだ。今まで私がみてきたうたは以下のうただ。

5. 『をとめ一人 まびろき土間に立つならし。
    くらき その声 宿せむと言ふ 』

21. 『 邇摩(にま)の海
     磯に向かひて、
      ひろき道。
     をとめ一人を
   おひこしにけり 』

27. 『 をとめ居て、ことばあらそふ声すなり。
      穴井(あない)の底の くらき水影(みずかげ) 』

43. 『 をとめ居て 起(た)ち居 寝し居間を見たりけり。
   あはれに結(ゆ)へる 残り荷の紐 』

これらのうたの感想はそれぞれの箇所で書いてきた。
しかし、私は作者(釋超空)の、これらのうたでの『をとめ』たちへの『不潔視』は全く感じなかった。

むしろ、これらの『をとめ』たちに、作者は、畏敬というか敬愛というか、ある憧憬の念をすら感じているように私には思えた。

ただ、5.や27.のうたには、上記の精神科医の言うように、この『をとめ』たちには、原初的というか土俗的というか、そういう『巫女』的な呪術的・土俗的なモノは私も確かに感じる。

私は精神病理の知識は皆無であるから、上記の精神科医による釋超空という人の精神病理学的な分析の正当性の可否は分からないし、更に言えば、私にとってどうでもよいことだ。

私にとっての最大関心事は、『供養等』の釋超空であり、『きずつけづあれ』の釋超空である。私が、それらのうたを通して何を空想し瞑想し迷想したかがこのブログの趣旨であり、釋超空その人の自身の精神病理は第二義的なものでしかない。

***
私の本では、上記27.のうたの次に下記のうたが載っている。
このうたの『処女』に私は呪術的・土俗的な印象をもつこそすれ、『女性を不潔視』などの印象はさらさらない。

『 処女のかぐろき髪を あはれと思ふ。
  穴井の底ゆ、水汲みのぼる 』