釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

57. 『夜ふかく 薬をつかひ起きゐたる憂きならはしも・・・』

2011-10-03 14:32:22 | 釋超空の短歌
『夜ふかく 薬をつかひ起きゐたる憂きならはしも、今は絶えたり 』
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精神科医・飯田眞の小論によると、釋超空というより折口信夫は、彼の民俗学研究に没頭するとき、『コカインを濫用しながら、不眠不休にて仕事に勵』んでいたらしい。

釋超空における歌と折口信夫の民俗学との関係は、飯田眞の小論に拠れば、

『詩歌が日常的、意識的、現在的なる晝の世界に屬し、比較的直截に己の心情を吐露せるものといへるに對し、民俗學は無意識的、蒼古的なる夜の世界に屬し、折口が精神の深層の投影されたるごとくに見ゆ』とある。

従って、折口信夫が彼の民俗学の世界へと入り込んでいくには、彼の感性を意識及び無意識の世界へと導いていかねばならず、その際、掲題のうたのように、
『夜ふかく 薬をつかひ起きゐたる憂きならはし』をする必要があったらしい。
そのために、コカインの『濫用』をしたらしい。

コカインの薬理学的効果はWikipediaによれば下記のようだ。
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粘膜の麻酔に効力があり、局所麻酔薬として用いられる。
中枢神経に作用して、精神を高揚させる働きを持つ。

コカインを摂取した場合、中枢神経興奮作用によって快感を得て、
とても爽快な気分になることができる。
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折口信夫は彼の民俗学の研究方法として、古代人とのある種の共感を、意識化・無意識下で感得するためにコカインを使用していたらしい。

これは私にはとても興味深いことだが、私は折口民俗学は全くの素人だから、その詳細は分からない。

ただ、繰り返すことになるが飯田眞の下記のコメントは釋超空のうたを楽しんでいる者としては留意しておいたほうがいいようだ。

『詩歌が日常的、意識的、現在的なる晝の世界に屬し、比較的直截に己の心情を吐露せるものといへるに對し、民俗學は無意識的、蒼古的なる夜の世界に屬し、折口が精神の深層の投影されたるごとくに見ゆ』

釋超空の『晝の世界』にも、折口信夫の『夜の世界』が当然、しのびこんできているに違いないと私は思う。そのような気配は、私は、いままで見てきた彼のうたから、うすうす感じてきている。

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北原白秋が釋超空を『黒衣の旅人』と評したのは、実は、折口信夫の『黒衣の旅人』だったらしいことが、今更ながら私は理解できるような気がする。

飯田眞の指摘、即ち『折口民俗學は無意識的、蒼古的なる夜の世界に屬し、折口が精神の深層の投影されたるごとくに見ゆ』という指摘が、以前にも再三ふれた山本健吉の解説に、全く新しい視点を私に与えてくれる。
その解説を再三ながら引用しよう。
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北原白秋に「折口さんの歌について」と傍書した『黒衣の旅びと』というエッセイがある。その一節に言う。

『万葉でいへば、同じ旅の歌でも、人麿より黒人くろひと)に、この人は近く、自然の観照の於いても、赤人よりも黒人に深みを見られるごとくに、この人は複雑である。

しかも黒人の境地を出発として、涯(はて)しもない一つ道に踏み出したかの観がある。 この特異にして幽鬼(いうき)のやうな経験者は、幽かに息づいては山沢をわたり、ひそかに息をこらしては林草の間をたづねてゆく。

音こそきかね。道のはるかに立つ埃(ほこり)にも眼を病むのである。』

これは超空の人および歌の特質をよく見据えた言葉であった。超空の旅の歌の「ひそけさ」や「かそけさ」が持つ不思議な寂寥感ーーと白秋は言い、そこに尋常人の鍛錬(たんれん)によっては得られぬ、不気味なほどの底から光って響いて来る、未だかって見ないひとりの人の歌の本質を見た。

『若しかういふ旅人と山奥の径や深い林の中で遭遇ったら、それは明るい昼の日射しの下ではあっても、冷々とした黒い毛ごろもの気色や初めて触れて来るたましひの圧迫を感じずには、すれちがへない或るものがあらう』(同) とまで言っている
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上記解説での『特異にして幽鬼(いうき)のやうな経験者』とは、実は、『無意識的、蒼古的なる夜の世界』の折口信夫に他ならなかったのだ。
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掲題のうたは、昭和23年に出版された歌集『遠やまひこ』に掲載されている。
折口信夫がコカインを濫用していたのは昭和4年の『古代研究』出版の頃らしいから、掲題のうたの頃にはコカインはやめていたようだ。