釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

58. 『 過ぐる日は はるけきかもと 言ひしかど・・・』

2011-10-06 11:43:40 | 釋超空の短歌
『 過ぐる日は はるけきかもと 言ひしかど、
   人は すなわち はるけくなりつ 』
***
私の家の近くに運動公園がある。その公園の入り口近くに、小さなツツジの群れが、その公園を囲むように植えられている。

もう何十年前になるだろうか、その頃は私が飼っていた犬も健在で、ほぼ毎日のように私は犬を連れてその公園へ散歩に出かけたものだった。

その公園の周りのツツジの群れの中に小さな空洞が出来ている場所があった。それは少しばかり地面がツツジで覆われるような形状の空洞であった。

ある日、いつものように犬と其処を通るとき、その空洞に、二匹の子猫が寄り添うように居た。二匹とも、全身真っ白な子猫で、同じ親から生まれた捨て猫であることは明らかだった。大きさから見ると生後一ヶ月ほどらしかった。

私は、それまで似たような捨て猫を何匹も飼ってきていて、当時も既に家には二匹の猫が同居していた。

さて、どうしたものかと私は悩んだ。
その公園には比較的多くの人が、いつも出入りしている。この空洞も人目につきやすい。

私がこの子猫たちを見捨てても、誰か動物好きな親切な人が見つけて育ててくれるだろうと私は割り切った。そして知らぬふりしてその空洞を通り過ぎた。

今や、あれから何十年も過ぎた。犬ももう亡くなっていない。

そして私だけは今も朝のウオーキングでその公園へ行く。
その公園の周りのツツジも当時のままだ。小さな空洞もそのまま在る。

私はその、何も無い空洞を通るとき、あの子猫たちはどうなっただろうかと思いやらずにはいられない・・・否、思いだすまいとしているのだが。
私もこの子猫たちを見捨てたのだから。

気障ったらしく甘ったれて言えば、掲題のうたは、私には、この子猫たちへの挽歌といえよう。この子猫たちが幸福な生をまっとうしたことを願いつつ。