テレビの100年インタビューという番組で、先日、立花隆がインタビューを受けて、いろいろな話をした。それを私は観たが、大変、面白かった。
主たる話題は科学についてであった。
その話の要点をここで、ごく簡単に概略紹介すると、
1.20世紀は圧倒的に科学の時代であり、全ての学問が科学化され、事実上、科学が全人類にとって唯一絶対的・普遍的・必要不可欠な存在になった。
2.その科学は各分野に専門科・細分化され続け、各専門分野間の相互理解は事実上不可能になっている。その傾向は更に激増しつつある。
3.その結果の最大問題は、科学の専門家達と非専門家達との間の科学知識の圧倒的な乖離である。
4.つまり科学の非専門家たちは、科学が自身にとって唯一絶対的・必要不可欠な存在であるにも関わらず、その科学に無知である。
5.このことが今世紀に入って更に深刻な問題の一つとなりつつある。
ごくごく簡略して言えば立花隆の問題提起は上記のようになると私は思うが、これは、おそらく誰も納得できる話だと思う。
科学の非専門家達とは、つまり、私たち一般庶民・国民に相当する。
***
ここで具体例を挙げよう。
3/11に例の原発事故が発生した。原発を、ここで象徴的に科学と言い換えよう。
一部の専門家( それも、ごくごく僅かの専門家 )を除いて、私たち非専門家は、原発(科学)の知識は皆無であろう。つまり無知である。
その無知なる原発(科学)に事故が発生したとき、その騒動がどうなるかは先刻ご承知のとおりである。
もし仮に、私たちに原発(科学)の真の知識が多少なりとも言えども、あったとしたら、あの騒動は、もう少し変わった行動になっていただろう。たぶん、より良い方向に。
****
立花隆は、ここで、ある提案をしている。
その提案とは、科学の専門(家)と、圧倒的多数を占める非専門(家)との間に、言わば科学知識伝達工学(家)の早急な設立を提案している。
つまり科学の一般素人でも、その科学の知識が、概要レベルであれ、理解できるような方法論・工学・制度の早急な設立の提案である。
早い話、『子供の科学』の本格的な学問化である。
言ってみれば、(これは立花隆の言葉だったと思うが、) 知識伝達工学の早急な設立とその工学者の養成と制度的な実践(教育)である。
私は、これは傾聴すべき卓見だと思う。
***
以下余談。
インタビュアーが彼に『今後は、どういうお仕事を計画していますか?』と質問したら、『いやー、私はもう歳だからね。』と言いつつ、それに付け加えたことがフルッていた。いわく『ゲーテは80代まで仕事したからね。』と!!
私は微笑したよ。ゲーテを出してくるとは!! いかにもこの人らしい。
しかし、おそらく今の日本で、政治から科学まで、なんでもござれの知識人は、立花隆以外に誰がいるだろうか?
***
もう一つの余談。
『無限の果てに何があるか』という一般読者向けの数学の本がある。(足立恒雄著、知恵の森文庫、光文社)
著者によれば、現在の世間一般の数学の知識は、中世の暗闇段階だそうである。この本は、その中世の暗闇段階を20世紀前半頃までの数学レヘルに高めようという目的で書いたと前書きで言っている。
この本の帯には「文科系」の読者へお勧めとPRしている。
科学は数学抜きでは存在しえないが、数学の非専門家も、数学の知識は『中世の暗闇段階』だと言えるのは妥当かも知れない。
私は病院の待合室などで再読している。お勧めの本である。
主たる話題は科学についてであった。
その話の要点をここで、ごく簡単に概略紹介すると、
1.20世紀は圧倒的に科学の時代であり、全ての学問が科学化され、事実上、科学が全人類にとって唯一絶対的・普遍的・必要不可欠な存在になった。
2.その科学は各分野に専門科・細分化され続け、各専門分野間の相互理解は事実上不可能になっている。その傾向は更に激増しつつある。
3.その結果の最大問題は、科学の専門家達と非専門家達との間の科学知識の圧倒的な乖離である。
4.つまり科学の非専門家たちは、科学が自身にとって唯一絶対的・必要不可欠な存在であるにも関わらず、その科学に無知である。
5.このことが今世紀に入って更に深刻な問題の一つとなりつつある。
ごくごく簡略して言えば立花隆の問題提起は上記のようになると私は思うが、これは、おそらく誰も納得できる話だと思う。
科学の非専門家達とは、つまり、私たち一般庶民・国民に相当する。
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ここで具体例を挙げよう。
3/11に例の原発事故が発生した。原発を、ここで象徴的に科学と言い換えよう。
一部の専門家( それも、ごくごく僅かの専門家 )を除いて、私たち非専門家は、原発(科学)の知識は皆無であろう。つまり無知である。
その無知なる原発(科学)に事故が発生したとき、その騒動がどうなるかは先刻ご承知のとおりである。
もし仮に、私たちに原発(科学)の真の知識が多少なりとも言えども、あったとしたら、あの騒動は、もう少し変わった行動になっていただろう。たぶん、より良い方向に。
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立花隆は、ここで、ある提案をしている。
その提案とは、科学の専門(家)と、圧倒的多数を占める非専門(家)との間に、言わば科学知識伝達工学(家)の早急な設立を提案している。
つまり科学の一般素人でも、その科学の知識が、概要レベルであれ、理解できるような方法論・工学・制度の早急な設立の提案である。
早い話、『子供の科学』の本格的な学問化である。
言ってみれば、(これは立花隆の言葉だったと思うが、) 知識伝達工学の早急な設立とその工学者の養成と制度的な実践(教育)である。
私は、これは傾聴すべき卓見だと思う。
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以下余談。
インタビュアーが彼に『今後は、どういうお仕事を計画していますか?』と質問したら、『いやー、私はもう歳だからね。』と言いつつ、それに付け加えたことがフルッていた。いわく『ゲーテは80代まで仕事したからね。』と!!
私は微笑したよ。ゲーテを出してくるとは!! いかにもこの人らしい。
しかし、おそらく今の日本で、政治から科学まで、なんでもござれの知識人は、立花隆以外に誰がいるだろうか?
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もう一つの余談。
『無限の果てに何があるか』という一般読者向けの数学の本がある。(足立恒雄著、知恵の森文庫、光文社)
著者によれば、現在の世間一般の数学の知識は、中世の暗闇段階だそうである。この本は、その中世の暗闇段階を20世紀前半頃までの数学レヘルに高めようという目的で書いたと前書きで言っている。
この本の帯には「文科系」の読者へお勧めとPRしている。
科学は数学抜きでは存在しえないが、数学の非専門家も、数学の知識は『中世の暗闇段階』だと言えるのは妥当かも知れない。
私は病院の待合室などで再読している。お勧めの本である。