










。。。
カトリック飯田教会26日・聖家族の福音説教より(ザベリオ神父様)
。。。
” 降誕祭。聖なる静けさを感じたいですね。
降誕祭に続けて、ステファノの記念日・聖ヨハネの記念日と続く。
ヨハネ福音は神秘的、ルカは歴史的。それぞれの福音。
28日は幼子殉教。ヘロデが2歳以下の幼子を虐殺した日。
元旦はマリア様の日。神の母マリア。
そして、主の公現・イエスの洗礼。ここからイエス様の公生活が始まる。
真ん中に聖家族がある。大事なお祝いです。
1つとなって考えましょう。
イエス様は家族の中に生まれて来ました。
家族を粗末にする、ではいけません。
イエス様はユダヤ人、イスラエルの人です。
イスラエルは神が自分の民として選ばれた民です。
救いはイスラエルから、ユダヤ人から来る。
イエス様は人間として生まれ、イスラエルの文化・生活を習って来た。
人間の生活。
わたしたち。自分の人生、存在意義、生きる意義、すべてイエス様から与えられた。
キリストの道を歩むことです!
イエス・キリストはすべての問題の解決です!
ひとつの宗教に入ることではない!
自覚してください!
現代の仕事や家族の問題を考えてみます。離婚。
ドイツ・アメリカでは、離婚率が半分。恐ろしい現実です。
日本でも同じです。
社会の病気です!
どうしてこうなってしまったか?
人々が本当の結婚の本当の価値を知らないから。
自分がよければいいと考えている。尊敬も責任感も無い。
「親しき仲にも礼儀あり」といいます!
最近は、子供が出来てすぐ離婚してしまう。
結婚の意味を真面目に考えていない。一生懸命考えていない。
わたしたちが生まれて来たのは家庭のお陰です。
おとうさん、おかあさんのお陰です。
恵みはすべて神から来ます。
親の価値観が問題です。
現代の家庭・離婚の問題。よく書かれる。
教会がその問題について責任を果たして来ました。
バレンシア。
今のパパ様がよく家族の意義について話して来ました。
世の中の問題、社会の問題として。
1964年1月5日。ナザレトにて。家庭の価値について。
聖書は生活の中で読むべき書。
わたしたちは聖書を黙想し、教えに驚き、感動すべきです。
ナザレトの聖なる静けさについて考えるべきです。
少しでもナザレトの静けさを覚えましょう。
その真理・厳しさ・単純さ。
厳しさが必要。
イエス様はナザレトで大工でした。働いていた。
働く人には、犠牲や苦しみが伴います。苦労を伴います。
キリスト者として、担わされた苦しみを神から頂いた恵みと受けとってください。
それは皆の救いとなります。
あなたがたの犠牲が、他の人の救いとなります。
苦しみは愛に変わる。わたしたちは御子キリストと一緒だから。
親子の関係。お互いに尊敬すべきです。
子供を大切にすべき、親を大切にすべきです。
年をとってしまっても、親を尊敬しましょう。
第1パウロは家庭の大切さ、兄弟=横のつながりの大切さ、を言っています。
キリスト様が生まれたからもうどんな心配もありません。
すべてが恵みです。神からの恵み。
そして、神に従うことが大事です。
よりよいクリスマスにしましょう。祈りの年です!”
。。。
カトリック駒ヶ根教会26主日・聖家族の福音、説教より(伊藤神父様)
。。。
”聖家族。3人、イエス様・マリア様・ヨぜフ様。
朝日新聞に「カトリックの信者が書いたのでは?」という記事が載っていました。
孤独の中にすむわたしたち。ひとりぼっちの家族が増えている。
豊丘村、こんな山の中もそうです。
「おばあちゃんがひとり」というのが増えています。
東京・高島平。高度成長期に団地に入った人達。子供が出て行って介護施設のよう。
子供が家を離れて家庭が崩壊してしまった。
ひとりぼっち。孤独。
夫婦であっても会話がない。家庭内離婚。
親子の間に会話が無い。
一緒に住んでいても孤独。ひとりぼっち。
そういう時代。alone。心がばらばら。
家の中でひとり住んでいる。野宿。ひとりでダンボールの家。若者がネットカフェで寝泊り。
皆ひとり。
家庭が崩壊している。
なぜ、ひとりぼっちなのか?
病気のとき、誰か看病してくれると頑張れる、耐えられる。
誰も励ましてくれない。孤独辛い。
わたしたちは何時か死んでいく。そのとき、側に誰かいて祈ってくれる。それなら耐えられる。
本当の苦しみは突き詰めていくと孤独、ほとりぼっちなことにある。
病気よりひとりで耐えないといけない孤独の方が辛い。
ひとりぼっちで死んでいく。
そんな苦しみを癒すために神は何をなさったか?
御子をわたしたちに遣わした。人間となってわたしたちのところに来た。
クリスマスの日中のミサの中で、「御言葉は人となってわたしたちの中に住まわれた。」
マリアは聖霊によって身ごもった。
インマニエル。神はあなたとともにいる。
根本的な孤独を救うために、罪の根本的苦しみである孤独を癒すためにわたしたちのところに来た。
そして、何時もわたしたちのところにいる。
God is with us.
God=ヤーヴェ=神、
意味は「何時でも、どんな時でも、どんな状態でも、何時もわたしたちとともにいる。」
「わたしはあなたとともにいる。」
神はわたしたち人間を救い、孤独から解放してくださる。
救いの意味は、わたしたちとともにいてくださる。
クリスマスが嬉しいのは、「わたしたちとともに神がいてくださる」ことを具体的に見せてくださったから。
マリア様は聖霊によって神の子を懐胎された。
ミサの中で、
「聖霊によって神聖なものにしてください」と祈る。御体・御血。
それを通じて、わたしたちの中に御子を生み出そうとしている。
わたしたちが神とともにあろうとすることが少ない。
でも、神が自分のところに来てくださる。
信仰のあり方。
クリスマスなどお祭りのときに来るが、過ぎると来ない。
ひとりぼっちにしない神、何時も一緒にいる神、孤独にしない神。
その神を忘れてしまう。
ひとりぼっちに戻ってしまう。神・イエス様のいない人生は大変。
キリストと一緒になって歩んでくださる。
生きる希望・力なる神。
神・イエス様・マリア様がいない。
敢えてそれを選んでしまう。
皆で自分達の信仰を考えていかないと。
ひとりぼっちびなってしまう。すべてを失ってしまう。
油断するとひとりぼっちになってしまう。
ひとりぼっちでどうして生きていくのか?
精一杯生きるために、キリストとともに生きていこう。
クリスマスの天使の羊飼いへのメッセージ。
「すべての民のためのGood News」・喜びの知らせ。
「神はともにいる」を伝えていく。
小学生のいじめ。励ましてくれる人がいてくれれば。
小学生が自死。自分で死んでいく。孤独の中で。
恐ろしいこと。
「ひとりぼっちでない」、わたしたちはそれを信じて生きていく。
喜びの中で生きていく。
。。。
両方とも、わたくしのメモを経て興しました。文責はわたくしにあります。
。。。
写真は、クリスマスの日の雪の飯田の風景と、駒ヶ根の教会。
クリスマスの飾り付け。
。。。
今、これを書いていて、映画「マリア」の中で何回か出てきた。
「神はそよぐ風の中にいた」を思い出していました。
。。。
写真が前回から巨大です。
今迄通りのサイズにするにどうしたらよいか、時間の余裕が出来たら
対応しますので・・・
。。。