今日の福音より。ルカ13・22~30
”狭い戸口から入るように努めなさい。”
”入ろうとしても入れない人が多い”
”家の主人が立ち上って、戸を閉めてしまってからでは、・・・、預言者たちが神
の国に入っているのに、自分は投げ出されることになり、・・・泣きわめいて歯ぎ
しりする。”
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関連して。シスターのご説教から。
”今週、2つのことに生きましょう。第一に、主の鍛錬。愛する子を獅子は谷底
へ落とすと云います。人はどうでしょう?”主は愛する者を鍛え、・・・、受け入れ
る者を皆、鞭打たれ”ます。そして、第2朗読にあるように、”鍛え上げられた人
々に、義という平和に満ちた実を結ばせる。”のです。第2。上に立つ者は仕える
人になりなさい。あなた方は、給仕する人です。イエスに倣い、互いに仕え合い
ましょう。”
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「Lectio Divina」(日本聖書協会)より。
”キリスト者として生きることは、イエスを通しての神との個人的な関係において
行うすべてのことに関連している。”
”イエスを信じ、生活のあらゆる側面で信仰を実行していくことによって、神への
信仰に個人的に入って行かなくてはならないのです。”
”イエスを通して神への個人的な信仰の忠誠を行うときを意味します。それには
個人の選択が求められ、誰か他の人があなたのためにできることではありませ
ん。”
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ミサ後、役員会。
今、伊藤神父様が南信6教会を見ておられる。
先週の信徒会でのお話しにあったように、信徒でいろいろと事を進めていかなく
てはいけない。
今日もミサでなく、集会祭儀。
そんな中、サマー・キャンプ報告、巡礼旅行、信徒の葬儀を教会で、などのテーマ
で話合いが行われた。
その後、裏庭のプチ・トマト摘みを行う。
夕方、環境問題のNHK・ETV。
里山・野菜作り・絶滅種・文学。
環境庁が出来たのが、もう30年以上前。一時、関心が離れた時期があった。
今、温暖化など緊急性を持った課題として大きくある。
このまま、滅びるのか?
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朝、矢高の祭り、後片付け。
ゴミ拾いと掃き掃除。
松川を中心として、矢高は一つの丘、銀座などはもう一つ。双丘。
矢高から下って、松川沿いに走って、押して銀座へ登る。
チャリだ。マウンテン・バイク。
スローライフ。
ウォールデンの「森の生活」を読み返してみようかな、とも思う。
中西悟堂氏の「山の随筆」も。
環境庁が出来た頃、地方の本屋さんで手に入れた。
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渋谷HMV(?)が閉じ、大阪でも大手百貨店。
文化・流通。
時代の流れの中での変遷。
ともに余り自分と関係なく、精々が店舗の喫茶店で数時間雰囲気に浸ったくらい。
ずっと、中心から離れた辺鄙な周辺地域で暮らして来て、
車と同じく、遠く離れた国の出来事としか思えなくなっている自分がいる。
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夕方、ダンスを見る。教育。
グランプリ2校、福岡の女子高と筑波と、お茶の水、3校見る。
18型では、ハッキリ迫力が伝わってこないので、正鵠を得たコメントは不可能。
それ以前に知らない。モーリス・ベジャールとか、古い名前しか知らない。
現代舞踊。
よく、鍛えられていると思った。
阿修羅は東洋的、ゴッホは西洋的。椅子は総合、と括ってみた。
思いの他、抽象的。
”我々の時代の芸術のうち、時代特有の様式をもって過去に打ち克ちえない状態にある
ものは、音楽と演劇である。”(p.357)
”美術及び文芸においてはすでに我々の時代が始まっているにもかかわらず、音楽と演
劇とのみが何ゆえに「我々の」と言い得る様式を産出し得ないのであろうか。”(p.357)
は、「日本精神文化史研究」(和辻哲郎;岩波)の「歌舞伎についての一考察」の冒頭部
分。
1920年代の著作は、1世紀を経ている。
しかるに、高校・大学のダンス。
現代の音楽と演劇の一つの総合芸術。
高校や大学に措いて既に、”我々の時代”、”我々の時代の芸術”と優に呼びうる質と量の
芸術活動が日本にある。
心より素晴らしいことだと思った。
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<’05.7月撮影、天竜村>