



。。。
東北関東大震災被災者のために祈ります。
「憐れみ深い神様、あなたはどんな時にも、私達から離れる事なく、
喜びや悲しみを共にして下さいます。
今回の大震災によって、苦しむ人々の為に、
あなたの助けと励ましを与えて下さい。
私達もその人達の為に、犠牲を奉げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。
また、この震災で亡くなられた全ての人々が、
あなたの元で安らかに憩う事が出来ますように。
母であるマリア様、どうか私達の為にお祈り下さい。
主キリストによって。アーメン。」
。。。
カトリック飯田教会年間第17主日ミサにおける
主任司祭であられるウルバン神父様の御説教より。
今日の福音は、
マタイ13・44-46
-”宝を見つけた人は、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う”
「「キリストに賛美」と言う。
けれど、今日の福音で厳しい言葉があった。
「燃える炎に入れられる」、「歯軋りする」。
その言葉を踏まえて、心から言えるかというと、なかなか言えない。
イエスの姿をすべて見る。
どうしてそう言えたか?
ユダヤ人は神の民と言われたけど、いろいろな人がいた。
神を無視する人がいた。良い顔してながら心の中に入らせない人もいた。
けれどそう言えた。
喩え話しを聞いた人達はピンと来たか?
ガリラヤで話しをした。そこには湖がある。
魚の喩えが通じない人もいるけど、漁師はよくわかる。
ユダヤの人々は皆、旧約で育てられた。
何時でも「キリストに賛美」という訳ではない。
畏るべき神と感じてしまう。
得と損、罰と褒美、それはよく通じた。
子供によくそういう言い方をする。
「神様が見ているから・・・」「だからやっちゃ駄目よ」
愛する人、奥さんと主人の場合はどうか?
純粋に喜ばせることだけ思う。喜びだけ思う。
旧約では、神は遠くから見た方が安全と考えてた。
近づいたら大変。
今でも同じ、同じように考える人達がいる。
「神様はお前を見ているよ」「悪いことばかり見ているよ」
そして、最後、良いこと・悪いこと、書いてあって、
悪いことをすべて見られている。まずい。
例えば、おいしい物、誰もいないとき、ちょっと齧る。
「神様、それを後ろから見ていないかな?」
そこには、「愛する神様」が出て来ない。
神様は、悪いことを見ようとしない。
「いい事あるではないか!」
ロウソクを消して、それでも僅か光っている。
神様はそれを見て生かそうとする。
生活の中では、良いこと・悪いこといろいろある。
渇いている人に水一杯でも飲ませてあげたら、救われる。
神様は決して忘れない。イエス様の考え・心。
ユダのこと。ユダの心の中、すべて知っていらっしゃった。
それでも、接吻したとき、「友よ」と言われた。
「接吻でもってわたしを裏切るのか」
「友よ」という言葉をユダは忘れなかった。
それでも、ユダはイエス様に近づこうとはしなかった。
人間は神様を捨てることある。
そうしたら神様はその人を救えない。
溺れている人がいて、浮き袋を投げる。
それに掴まらなければ、救うこと出来ない。
人は神様に「はい」と言わなければ、
神様は救うことが出来ない。
いい魚・悪い魚、選り分ける。
イエス様は「よしよし、私のところに来なさい」
「どんなことがあっても待っているよ」
と言ってくれる。どんな時でも。
父母にとって、子供は忘れることの出来ない存在。
神様もみんな一人一人忘れることがない。
イエス様の心、新約の中でいろいろ出て来る。
主に十字架にかけられたとき出て来る。
羊と羊飼いの喩え。
羊出かけて行った。迷ってしまった。
でも、夜、羊の声が聞こえた。
人の泣き声があれば、それを主は聞いていらっしゃる。
必ず聞いてくださる。
ペテロは「主よ、あなた以外行くところはありません」
と言った。
その通り。
けれど、信者であっても、そこまで行かないことがある。
光を望んでいる。イエス様は光であり泉。
それが分らないことがある。
ドイツからの手紙ある。
従兄弟から。
10年前。従兄弟の父が亡くなったとき。
父は従兄弟たちにイエスとの親しみを教えること出来なかった。
でも、従兄弟は40のとき、神と出会った。
ただ、従兄弟の父母は神を否定して暮らした。
でも、他の人達に本当に尽した。
だから天国に迎えてくださる。
(ここのところ少し省略があります)
神は人を立ち上がらせる。
すべてを捨て、先ずイエス様を中心に据える生き方。
「あなたがいなければ、何処に行ったらいいのでしょう?」
行くところない。
命を見つける。イエス様は命の泉。
本当に心の中から涌いて来る喜びを見つける。
イエス様は泉、命の泉。
主よ、私はあなたを望みます。
毎日毎日、何十回もイエス様を望む。望み続ける。
神様は、何年・何十年かかっても、その思いを無視されることはない。
一人一人の為にイエス様はいらっしゃる。
「私達はあなたたちに喜びを与える」
「あなたたちに喜びが溢れるように」
主よ、あなたを見付けさせてください。
あなたは、わたしの宝、私の喜び。
あなたと出会って、嬉しさで飛びあがる。
そういった者となるように。
あなたが命となるように。
イエス様はそれを待っている。
家に帰って、寝る時、聖書を前に、
「わたしはあなたをお待ちしています」
と言う。
叩きなさい、そうすれば開かれる。
イエス様に「私はあなたを信じます」
と言う。
そして、今日も、主を喜びましょう。」
文責はわたくし、乗倉にあります。
。。。
「祈りの書」(カルメル修道会編;サンパウロ)より。
「
主よ、時間はあります
主よ、このように、
みんな時間を気にして
生きているのです。
人生を走りながら、
急いで、押し合いへし合い
重荷を負いすぎ、
狂気じみて過ぎてゆくのです
・・・(中略)
主よ、わたしはこよい
あれをする時間、これをする時間がほしいとは言いません
あなたがわたしにくださった時間の中で
あなたがわたしにせよ、とおっしゃったことを
心しずかに行うことのできる恵みを
ただそれだけを、あなたからいただきたいのです。
。。。
(ミシェル・クオスト)「神に聴くすべを知っているなら」より
。。。
主よ、
あなたがわたしにせよ、とおっしゃったことを、
実行する勇気と決断をわたしにください。
。。。
最近、TVを意識して少し多く見る。
「東京スカイツリー」に甚く感動する。
物作りの魅力中、建築は最先鋒。
壮大な夢。
そこに、降り掛かる様々な困難。
人跡未踏の領域。技術。
どんなシナリオを以ってしても成し得ないドラマ。
真のドラマ。
再見したい。
音楽はバッハ。
写真は飯田です。
。。。