St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

法学について少し学び始めました・・・

2011-10-31 08:10:54 | Weblog












東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
昨日は、ミサ、教会でのパイプオルガンコンサート、大学のOB会、祈り。
に過ごす。
一昨日は、終日諏訪。蓼科高原小津映画祭。
他は、別のブログで述べることとし、OB会。
その中の講演。「医療事故における無過失補償」に関し。
法学学術院の山口斉昭先生。
レジメの目次から。
Ⅰ 医療事故における無過失補償制度の必要性とこれまでの議論
Ⅱ 各国における医療事故の補償制度
Ⅲ 無過失補償制度を考えるにあたっての論点
Ⅳ 論点に対する示唆に代わる議論の紹介
Ⅴ 無過失補償と医療安全
過失・無過失×補償・非補償で、4つに分かれる。日本は、世界に誇れる
補償制度を持っている、と
医薬品副作用救済制度。
医療全体の補償の雛形が示されている。
法学の・民法の専門的なお話。
大変興味深く拝聴申し上げました。
。。。
爾来、法学に嵌る。
先ずは、蔵書より予備知識を得ることにする。
1 「法学入門」(G.ラートブルフ;碧海純一氏訳;東京大学出版会)
2 「法学概論」(我栄妻氏;有斐閣)
3 「法律学への旅立ち」(渡辺洋三氏;岩波書店)
4 「法」(小高朝雄氏;頸草書房)
5 「民法」(有泉亨氏;頸草書房)
6 「民法」(田中輝明氏;岩波書店)
7 「民法」(我妻栄氏;頸草書房)
8 「行政法」(田中次郎氏;頸草書房)
9 「法における常識」(P.G.ヴィノグラドフ;末延三次氏他訳;岩波文庫)
10「法とは何か」(渡辺洋三氏;岩波新書)
11「法を学ぶ」(渡辺洋三氏;岩波新書)
12「法と社会」(碧海純一氏;中公新書)
13「ポケット六法平成9年版」(平井宜雄氏他編;有斐閣)
14「民法基本判例集第三版」(我妻栄氏編;一粒社)
を拾い読む。
他の人の様には、持っていない。
社会人ならその持っていないとと恐縮なのですが。
。。。
文献6から、先ず目次から。関連しそうな言葉を探す。
安全配慮義務・医療品副作用被害救済基金法・医療過誤・過失の証明・
熊本水俣病事件・健康保険組合・後遺症・国立病院と診療契約・
社会的保償・社会保険制度・食品公害/薬事公害・診療契約・
騒音公害と利益衡量論・相当因果関係・損害の社会的分散化・損害賠償責任・
損害賠償の範囲・損害補償・大気汚染と水質汚濁・大東水害訴訟・
チェルノブイリ原発事故・地方公共団体による消費者関連条例・
ドイツ民法の完全賠償の原則・都市下水路として通常備えるべき安全性・
新潟水俣病事件・売買契約・販売信用と貸付信用の融合・被害者救済の方法・
人の生命/身体に対する侵害行為・品質保証書・福岡カネミ油症事件・
無過失責任・四日市喘息事件・立証責任の転換。
これから、
第4章 契約当事者と権利・義務
第5章 消費者問題と私法
第6章 現代社会と不法行為
を読む予定。
文献5は、
第5章 違法とその救済
文献8は、
第11章 行政救済-特に国家補償
。。。
文献6の第4章は、
1 契約当時者の注意義務と責任-有償契約を中心として
2 責務不履行と契約の解除
3 契約締結前と契約終了後の責任
から成る。
。。。
p106~ 「医療過誤」ということで、
「次に諸君が病気になって治療を受けたが、医師のミスによって身体的
損害を受けた場合について考えてみよう。」と述べられている。
1 法的責任追求として2つ。
a)不法行為責任(看護婦に;709条)と
b)不法行為責任としての使用者責任(医師に;715条)。
2 a)は、責任追求が、国等もある。
3 初めの頃は、a)が多かった。
4 最近では、併せてb)の追求も。
5 原告にとって、b)の方が有利。
。。。
文献13より、
民法第709条[不法行為の一般的要件・効果]
故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル
損害ヲ賠償スル責ニ任ス
民法715は略。
。。。
文献14。
第3編 第23 不法行為 p502 [334]
最判昭和36年2月16日・民集15巻2号244頁(輸血梅毒事件)
[事実]X女はY(国)の経営する病院に入院中、A医師から職業的給血者B
の血液を輸血されて、梅毒に感染した。・・・。
。。。
ラートブルフまで辿り付くのに、酷く時間が掛かりそうです。
何回か継続するか、そう言って何時もの様に実行しないか、
それともこれ位にするか。
。。。
炬燵で調べていたら、何時の間にか寝てしまいました。
OB会は楽しかったです。
ただ、皆、立派な方々許り。気後れしてしまいます。
集まりでは何時ものことですが、惨めと思います。
教会で祈りました。神に感謝して。
。。。
飯田は、雨もあがりました。
教会音楽許り暫く聴こうと思います。
今、バッハ。
「音楽の棒げ物」「王の主題による各種のカノン」
「2声のカノン/トリオ・ソナタ」。
カール・リヒター、オーレル・ニコレ他。‘93録音。

写真は、獅子舞 at Iida。
。。。
新しい一日が皆さんにとって良い一日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが豊かに皆さんに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願いしつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.10.31.記す


「マクベス」について集めました(2)(一部iCarleyパクり!)

2011-10-26 09:20:49 | Weblog








東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
Shakespeareの続編。
所持している中からの、“マクベス”、或いは他のシェークスピア作品への言及
を列挙。続編。
「私の「マクベス」」(木下順二氏;講談社)
“Confession of An Actor”(L.Olivier;Orion)
「名優演技を語る」(H・バートン、福田逸氏訳;玉川出版局)
「演技について」(R.オリビエ、倉橋健氏他訳;早川書房)
前2冊は再。
。。。
「私の」のP.170
“シェイクスピアはたしかに一六~一七世紀の人だけれども、彼の英語は今日
の英語と同じ英語なんですね。英語史でいうと、ことばの変遷を一本の線で区
切るわけにはむろん行かないけれど、そのめどをいうと、古代英語の時期という
のが、一一五〇年まで、一二世紀の半ばね、それからあと一五〇〇年までを中世
英語といいます。中世英語は我々でも類推して読めることは読めるんです。
チョーサーの「カンタベリ物語」なんか、「源氏物語」を原文で読むよりは少し
ぐらい分かるぐらいじゃないかな。そして、そのあと、つまり一五〇〇年から今
日までが近代英語、ということは一六世紀から近代英語で、そしてシェイクスピ
アというのはその一六世紀の後半から仕事を始めている。つまり近代英語の一番
最初にいた人ですね。“
。。。
“Confession” p.121
“ I was now forty-eight,in the plenitude,as one kind writer said,of my powers.
I don’t think my memory flatters me if I hear in my mind-from critics,public
And,above all in significance,from colleagues and loved and admitted friends
-the opinion summed up for me by Terry Rattigan:”’Yes,at last,the definitive
Macbeth.’
I had at that time,most importantly of all,lungs like orange-bellows,vocal
Power and range that no infection could seemingly affect,and bodily expression
Balanced by a technique that could control all physical expressiveness from
Dead stillness to an almost acrobatic agility,my peformances were apt to have,
If anything,too much vitality.Romeo forgotten or forgiven,I was now described
As a Shakespearian actor;whether I had unconsciously and imperceptibly
Adapted myself to be more in line with their reqirements,which I did not like
To think,who is to say? I had now a Shakespeare-trained intellect,and had come
To terms with the verse-speaking problem by reaching the never singing it
( natural speech is essential),but working in harmony with the inherent fabric,
Rhythm,beat,with full awareness of all the poetic values and nuances.(‘ Hates
Himself,doesn’t he?’ All right, I can hear you,dear.)
。。。
「名優」P.26
オリヴィエ:“・・・。しかし「マクベス」となると問題は全く別です。「マクベス」
についてあなたがどんなに的外れの批評をものしたとしても私は気にしませんよ。
つまりこういうことです。もしあなたが二十七歳だとしたら、あなたには出来ない
役だ。朗読なら出来るでしょう。肉体的にも動けるでしょう、終幕の戦闘の場で激し
い切り合いも出来るし、いかなる詩的なセリフも恐らく理解し自分のものに出来ると
思います。人間性に関してもある程度は理解出来る、しかし飽くまでもある程度でで
す、ああいう巨大な役を演ずるには、人生を経験した年齢が必要です。人間というも
のを知らなくてはいけない、人間と人間の関わりについて多くのことを知らなくては
いけない。「マクベス」は家庭の悲劇です。“
。。。
「演技」P.100
“私の一九三七年の「マクベス」の演出家はミシェル・サン=ドニであった。機知と
想像力にとんだ人気のある演出家であったが、この公演に関しては、いずれも発揮さ
れなかった。いわば、様式的演出であった。万事が神がかって、けたはずれだった。
メイクアップはめるで仮面だ。・・・。すべてを外面的にとらえ、内面が不十分だっ
た。この公演ではマクベスは、内面の心をはなれ、小手先の外形に堕した。“
「演技」P.104
“もちろん私はその後何年かしてから、一九五五年にストラットフォードで、「マク
ベス」をまた演じた。グレン・バイアム・ショウの演出で、かなりの成功だった。
私声はますます張りが出て力強くなり、それに初演以来の人生経験の拡がりが、この
マクベスを違ったものにした。初めは純粋なイマジネーションを通して年をとってい
たのだ。今は知識が身についたというわけだ。“
。。。
再び、「私の」に戻る。3つ引用。
P.156
“このあいだ亡くなられた齋藤勇先生、ぼくの先生ですが、この方が「英詩概論」と
いう本でいってられますが、「Spontaneity」と「variety」とを
保ってこの詩型を用いることは天才でなければなし得ない。故に凡庸詩人がこの
「metre」を以って劇を書く時には、機械的で読むに堪へないものとなる」“
P.154
“この詩型が最初に使われたのは、シェイクスピアの生まれる十年足らず前だったの
だそうですが、最初は一行ごとで意味が切れる、いわゆる“句切れ”だったのが、
もっと自由になって来た。クリストファー・マーロウ、・・・、が、一行目から二行
目に意味が走ってつながる場合もあるという、ひとつ崩したというか、自由にしたっ
ていうか、そういう書き方を使いだした。Run―on verse、“句跨り”な
どといいますが。そして、そのライヴァルとしてシェイクスピアがそのやりかたを一
層自由に受け継いで・・・“
P.185
“例えば、ロレンス・オリヴィエの「マクベス」は、昔イギリスで見たとき、ぼくは
感心しませんでした。ライエルさんが朗々と言ってきるところを、非常にさり気なく
リアリスティックにやる箇所がある。そこはやっぱりそうじゃないだろうと思った。
もしぼくがオリヴィエに教わっていたら、なるほどそうかというだけのことになっち
ゃうわけだけれど、・・・“
。。。
英語論と演技論。韻を踏んだということで。
私はこれで・・・。
ではなく、もう一つ韻を踏んで映画。纏めとする。
「作家主義」(奥村昭夫氏訳;リブロポート)
「ぼくの映画を見る尺度」(三島由紀夫氏;潮出版)
「裁かれる記録」(安倍公房氏;潮出版)
は順序通り。
。。。
「ドライヤーとのインタビューで」P.429
”・・・「ハムレット」の物語が展開される城についてのドキュメンタリー
「シェイクスピアとクロンボア城」のことです。それにこの城については、
私はドキュメンタリーをもう一本つくりました。かつてのクロンビア城と
その廃墟を-今でもまだ、いくらかの残骸が残っています-、より純粋に
歴史的かつ考古学的にあつかったものです。“
。。。
「ぼくの」の中、「ウラノワのジュリエット」は、P.154から。
“たとえば、シェイクスピアの原作だと、乳母がずいぶん下世話なセリフ
をいう。少年少女の恋愛が、グロテスクな背景のうちから浮かび上がり、
シェイクスピアのいつもの流儀で、どんな悪徳、どんな清純さも、あらゆる
種類の判断をとおして見られねばばらぬ。マーキュショーの目からは単なる
青春の血のさわぎとして、乳母の目からは官能そのものの動きとして、ティ
バルトの目からは憎むべき掠奪者として、・・・そうして劇は立体性をもち、
純潔は危機のただ中に置かれる。“
。。。
「裁かれる」の中で、「様式化について」は、P.125から。
“形式を尊重するということは、形にはめこむことでも、まとめてしまうこと
でもなく、むしろ現実のエネルギーを再構築する方法なのだから、いくら自由
であってもかまわないわけだ。
・・・形式とは一種の文法であり、リズムだが、その中に現実をはめこむこと
ではなく、現実を洗い出し、抽象して、その中からリズムをとりだすことなの
である。だから、ある意味では、ドキュメントな目こそ、現実のリズムの発見
者だといえるかもしれない。形式は既存の形のなかにではなく、やはりあくまで
も、現実の中にあるのである。現実そのものが、すでに一つのリズムであること
の発見が、形式の創造なのである。」
。。。
「Spontaneity」と「variety」。
演技、撮影、詩作。3つについて引用しました。
即興で作る。
Spontaneity on my scotch
Varaiety on my piano
Very Poor indeed
I am sorry、but surely
And metre、
Where‘s Maetel?
my Maetel
Oh、Indeed or surely?
Maetelは、「スリー・ナイン」の。
韻は、弱弱弱で!
9ダフダフ9ダフダフ9!
マクダフにならないことを願う。
(批評、昨夜の“iCarley”からパクり。見苦しい点お詫びしつつ)
。。。
シューベルトは、交響曲第3番と8番のカップリング。
グラモフォン。
写真は、獅子舞 at Iida。
。。。
新しい一日が皆さんにとって良い一日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが豊かに皆さんに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願いしつつ。
主への賛美と感謝とともに。

                        2011.10.26.乗倉記す


秋です!獅子舞の写真など・・・

2011-10-24 15:18:17 | Weblog










東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
ここで、突然ですけどクラシックから離れ、W.Shakespeareに
何故か飛ぶ。
最近、BBCのMacbethを見ながら、TVの前で“真似てます”。
先日見たところから。
Act5 Scene1 冒頭です。
Eneter a Dctor of Pysic and a Waiting-Gentlewoman
Doctor:I have two nights watched with you,but can perceive no truth
In your respect.When was it she last walked?
Gentlewoman:Since his majesty went into the field I have seen her
rise from her bed,throw her nightgown upon her,unlock her closet,
take forth paper,fold it,write upon’t read it,afterwards seal it,and
again return to bed,yet all this while in a most fast sleep.
Doctor:A great perturbation in nature,to receive at once the benefit
of sleep and do the effectc of watching.In this slumbery agitation
besides her walking and other actual performances,what at any
time have you heard her say?
Gentleman:That,sir,which I will not report after her.
Doctor:Neither to you nor anyone,having no witness to confirm my
Speech.
Enter Lady Macbeth with a taper
Lo you,here she comes.This is her very guise,and,upon my life,
fast asleep.Observe her.Stand close.
Doctor:How came she by that light?
引用は、”The Oxford Shakespeare The Complete Works”
(S.Wells et al ed.;Oxford)
此れまで何回か引用した来ました。此れからも準拠すると思います。
。。。
所持している中から、“マクベス”、或いは他のシェークスピア作品への言及を
列挙します。
「私の「マクベス」」(木下順二氏;講談社)
“Confession of An Actor”(L.Olivier;Orion)
「名優演技を語る」(H・バートン、福田逸氏訳;玉川出版局)
「演技について」(R.オリビエ、倉橋健氏他訳;早川書房)
。。。
P.154
“そこでそのアイアンビック・ペンタミアの典型的な二行をこの黒板に書いておき
ました。・・・。
これを弱強五脚の調子で声に出してみると、というより、声に出すと自然に弱強に
なるのですが、・・・。
I conjure you,by that which you profess.
How e er you come to know it,answer me:”
。。。
p.121
“Macbeth was to be directed by Glen Byam Shaw; I was both pleased and
Challenged by the chance to have another bash at this impossible monster.
I had just turned thirty the previous time I had tried it at the Vic. As the work
Fell round me like a cloak,one thing struck me; it is obvious that experience of
Life too has spectial gifts to offer.”
。。。
最期2つが残りました。コメント含め次回に・・・
。。。
バッハ平均律。
写真は、獅子舞 at Iida。
”獅子舞の頭の如く鵜かしずき”
。。。
新しい一日が皆さんにとって良い一日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが豊かに皆さんに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願いしつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.10.24.記す


シューベルト「冬の旅」を聴いて・・・

2011-10-18 23:05:13 | Weblog















東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
先ず、参考文献をリストします。
「クラッシク名曲ものがたり集成」は、前回から。
「“TheGreatCollectionOfImmortal
Performances“の解説」(Sony)
「私の見るところ」(P.ヴァレリー;佐藤正彰氏訳;筑摩)
「無私の精神」(小林秀雄氏;文芸春秋)
「ボードレール全集Ⅲ」(人文書院)
「アラン・ヴァレリー」(世界の名著66;中央公論)
「時間の園丁」(武満徹氏;新潮)
「“TheOriginal(Vol.1) Legendary
Recordings“の解説」(ポリグラム)
なお、短い引用なので、何れが何処からの詳細は詳らかにしません。
大体順序に沿ってます。
Sonyさんのシューベルト「冬の旅」を聴きながら・・・。
アンソロジー。
。。。
“有り余る才能を抱きながら、恵まれない生涯を送らなければなら
なかったシューベルト。・・・。シューベルトの万斛の思いが込められ
たこの<冬の旅>は、彼の死後になってやっと出版された。彼が死の
床にあって、熱に浮かされながら携わっていたのは、この歌曲集の校正
だったという。“
“シューベルトの生まれ育った時代はフランス大革命の余波のさなかに
あり、産業革命の進展しはじめていた時期だった。・・・。シューベルト
は大都市ウイーンに住み、そこから殆ど離れなかった。しかし、彼は自
分の家を持たず、作曲家なのにピアノもなく、友人たちの家を転々とし
ながら、彼らの好意と僅かな作曲料を頼りにまるでボヘミアンの様に暮
らしていた。・・・。彼自身の暗い未来の予感は、紛れも無く反映してい
る。彼は地理的な旅の意味が終わったと悟ったとき、それを心の中の遍
歴に転換し、旅の新しい意味を模索し始めたのだった。・・・。「冬の旅」
の荒涼とした冬景色の中を歩む若者は、最早職人ではない。・・・。彼の
目的は何か。楽しかった過去への回想に幾度も捉えられながら、・・・、
何時しか、歩みの意味を問う求道者となっている。・・・。自分より更に
悲惨な境遇に置かれた者に気付く。・・・。愛を失って初めて人は他者への
愛に目覚める。”
“しかし、ワグナーは付け加えます。「私は或る非常な情熱の支配下に、且
つ数ヶ月の理論的瞑想の後に「トリスタン」を完成した。」・・・。両立しな
いものとさえ見なされている生命活動の二様態の、この特異な調整ほど稀有
なものがあろうか、又羨むべきものがあろうか。・・・。一方においては、
<感情>の深刻な動揺、情緒的懊悩の至上権、心魂の偶像の官能的礼賛、他
方においては、複雑な理論的瞑想、形而上学と技術との相混じた瞑想、・・・。
又他の場合には、一詩句は明らかにその音響性によって、音色によって産み
出されて、私に現れて来ました。詩篇のこの思い設けぬ要素の暗示する意味、
それの喚起する心象、その統辞的詞姿等が、過飽和溶液中に一小結晶の働く
が如く働いて“
“もともと言葉と音楽とは一緒に人間に誕生したものである。一つの叫び声
は一つの言葉です。リズムや旋律の全くない言葉を、私達は喋ろうにも喋れ
ない。歌はそこから自然に発生した。古い民謡は、音楽でもあり詩でもある。
・・・。ボオドレエルは、エドガア・ポオの詩論から得ていたのであるが、
恐らくワグネルのうちに鳴り響いていたものは、理論的詩論そのものの様に
思へたでありませう。“
ワグナーに2つ移ったが、3つ目。
“やがて、年月と研究とが積み重ねられるに従って、詩的にまた同時に音楽的
にと二重に思考しないことが、彼にとって不可能になったし、二つの芸術の一
方は他方の限界が尽きるところにその機能を開始するので、あらゆる観念を二
つの同時的形式のもとに予見しないことは、彼にとって不可能となったのである。“
アランは、詩と音響。
“詩は、いっそうよく工夫をこらされ、またことに幾度も口にされることを目的と
するものであって、これらの規則に一層よく従うが、・・・。音の連続のうち
には、声を叫び声に近づけ、・・・、発音するにくくまた聞き取りにくいもの
があることは、確かで、・・・。この反対に、容易で、謂わば待ち設けられた
様な音の連続があって、発声器官の一つの運動がそれに先立ちまた従う運動
と自然に接続するようになっているものがある。・・・。音楽的律動に於いては、
時の分割が最も重要なことであり、和音に於いてもそうである。詩に於いては、
事情はこれと異なり、・・・時間の計られていない休止、音の引き伸ばしを伴う
表情法や装飾が、普通のこととなる。・・・。音と抑制の規則によって既に我々
から切り離された人間的なものが、律動によって生命と動きを獲得する。“
。。。
結びとして、武満氏を引く。私は既に詩と思っている。
“人間の生き方は、人によって、それぞれ、さまざま。だが、合唱の美しい響き
を作り出すには、他人の歌を聴かねばならない。そして、他人はまた自分の声に
耳を傾けているのだということを知らなければならない。・・・。合唱で何より
も大事なのは、互いを信頼し、敬うこと。他人の声を好きになること。そして、
人間はそれぞれの顔かたちと同じように、めいめい違った声をもっているのだ
ということに、驚きと歓びが感じられたら、あなたの合唱は、きっと、これまで
より多くのひとの心を打つだろう。“
。。。
で終わってしまうと、「何だかな~」ということになってしまう。
Immortalから。
“「美しき水車小屋の娘」。一見するとこれは美しい失恋の物語だ。だが、それには、
時代背景が深く関わっている。・・・。産業革命の発展とともに、職人制度は崩れ
始め、都市が発達し、田園は荒廃し始めていた。この遍歴と修業の職人制度が牧歌
と共に滅んで行く時代を、悲しみを込めて美しく回想している。当時、多くの若者
にとって、旅は人間的な成長を意味した。だが、職人制度の崩壊によって、この旅
の意味が宙に浮いてしまったのである。・・・。職人になることが出来なかった当時
の若者達は、都会に工場労働者として流れ込んで来た。そして、都会の迷路の中を
あてどもなくさ迷う心の旅人になっていた。シューベルトは、これら行き場のない
若者の旅は、心の中にしかないと見抜いていた。“
。。。
「一方に於いては、心魂の偶像の官能的礼賛、他方においては、複雑な理論的瞑想。
形而上学と技術との相混じた瞑想。」
ワグナーについて触れたヴァレリーの言葉、それは、そのまま、シューベルトにも
当て嵌るのではないでしょうか?また。他の2つも。
。。。
ロマン主義について、他の芸術分野の解説にもImmortalと同じ記述を見る。
それは、心得ておいて良いだろう。
ただ、翻ってここで安易に現代に結び、
「21世紀のこの時代は紛れも無くロマン派の時代、郷愁も・・・」と力説する積
もりは毛頭ない。
。。。
「もしドラ」で、私はチーム・ナブラチノワを連想する。
企業体としてのスポーツ選手を。
“自由主義者と共和主義者とがいわゆる古典派文学の旧習に頑として固執している
一方、ロマン派の進展が君主制によって便宜をあたえられたのを見た“
ワグナー論は、ボードレール。「月の王」か。
一方、「もし女子マネージャーがシューベルトを知ったなら」。
「もしシュー」。
それも主張しない。
ただ、思想を排して、音楽にだけ専念する。
。。。
当然、次に「未完成」を聴く。
“「曲がこれに何かを付加することを許さない完結性を備えており、純粋に美学的
見地からシューベルトは、これを未完のままにとどめたのだ」。
比類なき美、余りに深い抒情のゆえに、この作品は自ら未完に終わる境涯だったの
であろう。“
比類なき美。余りに深い抒情。
K.クライバーのウイーン・フィル、1978、
W.フルトヴェングラーのベルリン、1952、
B.ワルターのニューヨーク・フィル、1958、
B.ワルターのウイーン、1936。
普通の人の様にCD持ってなくて、たった4枚の鑑賞に終わるのを残念に思う。
。。。
写真は、人劇とカトリック堅信式。
重複かも・・・。
厭わず。
。。。
新しい一日が皆さんにとって良い一日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが豊かに皆さんに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願いしつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.10.18.記す


シューベルト「アルペジョーネ・ソナタイ短調」を聴きました・・・

2011-10-18 14:50:43 | Weblog












東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
「他人の本当の苦痛を察することは誰にも出来ない。
-私の苦しみによって書かれた作品は、人々を最も喜ばすかの様に思われ
る。」
シューベルトの言葉。
(「クラッシク作曲ものがたり集成」;志鳥栄八郎氏;講談社より、
シューベルト歌曲集<冬の旅>より。)
。。。
「シューベルト;アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821」
を聴く。
聴くというのは、普段やっているBGMとして聞き流すでなく、鑑賞。
。。。
先ず、CDの説明から。
“アルペジョーネはチェロよりもピッチが高いので、このソナタ
でもとくに高音域の演奏が難しい“
“病とともに生きていたシューベルトも、ハンガリーの情緒豊かな
田園で久しぶりに爽やかな気分になり、作曲も捗った“
“同地で滞在中構想され、10月ウイーンに帰ってから書き上がら
れた“
“次女カロリーネ嬢とのロマンスが伝えられたのもこの頃”
。。。
第1~3楽章の説明は全文載せるか、いっそ載せないがいい、と思う。
是非、CDを購入して頂きたい。
私のは、烏滸がましいのですが、
“M.ロストロポーヴィチ(チェロ)、B.ブリテン(ピアノ);1968年録音”
(DeccaRecord;キングレコード)。
。。。
ここで、フルトベングラー「音と言葉」(芳賀檀氏訳;新潮文庫)より。
“ロマン派について”から。
“一九世紀の多くの芸術家たちはロマン派的でありました。ロマン派的であった
のは、それ以前の偉大な芸術家たちが持っていた様な強烈な形体を生成する力、
あの発言する無条件さをもう持ってはいなかったからです。“
“音と言葉”から、
“リートの巨匠シューベルトは性質の違う完成されている詩に、音楽を注ぎ充た
そうと試み、それによって詩の中に隠されている力を音楽の法則に同化させ、また
その逆をも実現しようとしました。“
最後のは、リートになってしまった。
“せめて”三大歌曲集“のCDだけでも座右に備え置き、折にふれて聴いてみる
ことを奨すめたい。“は、「クラッシク作曲ものがたり集成」から。
奨すめにより、歌曲集「冬の旅」を聴こうと思う。
H・プライ、K.エンゲルの1961年版と、
D.フィッシャー=ディスカウ、G.ムーアの1962年。
。。。
逸話を一つ。
「クラッシク作曲ものがたり集成」、“シューベルト 弦楽四重奏曲<死と乙女>“
より。
“シューベルトは寝ているときも眼鏡をはずさなかった。
夜中に楽想が浮かんだとき、すぐに机に向かうことが出来るように、と。
こうして、14年間で1200曲もの作品を書いた。“
。。。
ただ、酷く貧しく、“貧乏を絵に描いた様な生活だった”。
“僅か最晩年、ベートーベンに、
「この青年のうちには、聖なる火花がある」
と認められる。
ただ、ベートーベン自身、既に死の床にあった。
。。。
ベートーベンの葬儀の夜、シューベルトはワインを注ぎ、
「今、僕たちが葬って来た偉大なる人の為に!」。
続いて2杯目、
「今度は、この次に逝く人の為に!」。
それは、彼自身のこと。
ベートーベンの死後、1年8ヶ月後、31歳の若さで世を去る。“
。。。
墓碑銘の言葉、
“音楽は豊かなる宝を、されど、更に頼もしき希望を埋めぬ
 フランツ・シューベルトはここに眠る“
は、余りにも有名と思う。
。。。
ここで、CDの「ドビュシー;チェロ・ソナタ」が終わる。
写真は、人劇打ち上げ、その前後の飯田風景から。
。。。
今日一日が皆さんにとって良い一日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが豊かに皆さんに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願いしつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.10.18.記す