St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

ハリウッド2本、高森の写真、近況・・・

2010-03-31 05:22:59 | Weblog













明日からもう新年度。
春ですね。
僕は今、2本の映画を見終わる。
「パッション・フィッシュ」「恋人までの距離」
1992年アメリカと3年後アメリカ。
J・セイルズ監督・R・リンクレーター監督。
ともに賞に絡んでいて、それぞれ、
アカデミー主演女優・脚本。ただし、ノミネート。
 ちなみに、メアリー・マクドネル、監督自身。
ベルリン銀熊。こちらは受賞。
 こちらは、I.ホーク・J.デルピー主演。
・・・・
「パッション」は、舞台がルイジアナ。車で町に行く風景があるが、田舎。
深い森と湖。河瀬監督作品を思い出したが、この作品は、女優。
半身不随の悲劇。アルコールに浸る生活。黒人の看護婦。
テンポよくユーモラスに綺麗な映像のドラマが進む。
ハリウッドからの友人、出演の誘い。そして、幼馴染。
心の傷を癒して行く様が、主演の力演によって際立った。
良質の葉巻を燻らせて・・・、の気分に。
・・・・
「恋人」は、14時間のドラマ。ウィーン。古い街並み。陰翳ある綺麗な映像だ。
音楽がバロックからポップスまで、上手く使われていて心地よい。「ベロニカ」を
思い出したが、これは、ユーレイルから始まった出会い。
2人のデート場面を溝口監督のような長回しで撮った、の印象が。
ストリートの詩人が出て来て、オーデンを自身口にして・・・
会話が、そもそも詩だ。
 一方にも詩の朗読がある。こちら、舞台女優。難解だかデカダンだか。
2人とは、パリジェンヌとアメリカ人。ガーシュインは鳴っていただろうか・・・
jazzyな映像。
・・・・
’92に何に挫折して、’95に何に出会っていただろう?
自問するが答えが出て来ない。
I.ホーク氏やJ・セイルズ氏ではない・・・
・・・・
ただ、ちっぽけな人生にも、挫折に伴うドラマや素敵な出会いは何かしらあるものだ。
し、しかし、それが無い。
僕にはドラマが無いのである。「息の喪失」。ポーではないが、無いらしい。
・・・・
’90どうしてたか?’00どうか?そして、’10。
何をどうして行くか見つからないまま、何処をどうぶらぶらして来たものやら。
 どうして行くやら・・・
兎に角、’10の会計年度。
予算の概算要求と年間計画の空白のまま、列車の旅に出る。
・・・・
御射山でワンちゃんと散歩&勉強に出る。田圃を見晴らしながらの旅。
列車が4本通過。1両・2両・2両・4両と。
梅畑はもう散ってしまってる。桜が今、満開とか。
・・・・
昨日は叔母を見舞った。
隣接の日夏先生の墓前と並木の碑前でキーツとポーを原書で読む。
3人の様には朗読出来ない。オーデンを持って来るんだったと・・・
「幸福(きざはし)の如く」僕の人生は去った。
・・・・
ラムネを飲む。
髪結いの文七先生の墓前に参る。
水引を興した先生。元々、髪結いだった。
今、全国の7割を占める。海外にも展開の予定。
置物としてらしい。
ルイジアナ・ロケで文七先生の生涯を撮ったら・・・・???
・・・・
職安さんへ。
年間計画未定とはこのこと。振り返るに、2つの10年が節目。
’85~’90、’95~’00。
直前5年。過ごしかたが、やはり、節目に反映。
僕の人生、7年サイクルの捉え方も・・・
’85~’02、’03~’10。やはり節目。
・・・・
ニュースで2つの野球を見る。プロと高校。
対戦など不詳。
外野への犠牲フライ2つで、セーフティーバント2つでも。
ともに、試合を引っくり返した。
3割の意味は、ライナーに近い当りで内野を抜く、と思う。
ただ、外野に飛ばせる技術、内野ゴロでも間に合う技術。
野球の要素は様々だ・・・
・・・・
7割。
深層だそうです。行動に占める。
周りの反応へのフェデリティー。
気付くと周りに乗せられてトンでもないこと言ってたり、やってたり、
って経験あると思う。
・・・・
そんな時のおまじないです。
「主よ、あなたの御導きに心より感謝致します。アーメン。」
・・・・
挫折。でなく試練と。
「主よ、私にお与え下さったこの試練に心より感謝します。
でも、私は他の試練も欲します。アーメン。」
が、祈り。
・・・・
人生。要は、「パッション」までの距離と思う。
僕達は、ウィーンに14時間降りた若者。イエスの恋人となるための。
・・・・
From Holy Bible
Jesus replied," People soon become thirsty again after drinking this water.
But the water I give them takes away thirst altogether. It becomes a perpetual
spring within them, giving them eternal life."
・・・・
写真は、高森。
豊丘の不登校の子らの私校をお手伝いしに行っていた時、帰りに撮影。
真夏の夕。
確か。
私校は、渓流に行ったり、プールで泳いだり。室内の遊戯、校庭で・・・
車待って校門での「**さ~ん」って声は忘れられない思い出。
・・・・


父の記憶・英語・想い出・東京と甲府の写真・・・

2010-03-26 01:58:57 | Weblog









実は以前、ペンタゴンさんだったと思うんだけど、ファインマン氏のことで質問した。
Auto Answering で返って来て、意のユーモアをとってくれなかった気がした
それ以前に”規格外”の英語だったかも・・・
・・・・
今、アブラムソンの「情報理論入門」(宮川洋氏訳:好学社さん刊)を読んでいる。
情報科学の黎明期(’60~80頃)の本は皆そうだが、中々含蓄のある本と感動する。
というのは、その中で、英語の近似がある。
第0次~第5次。
第0次とは、無記憶。
第1次は、生起確率の無記憶。
第2次は、シャノン。無作為に取り出すuとする。その次の文字をピック・アップでなく、
      次のuの次の文字をピック・アップ。その繰り返し。
第3次。先行2文字のシャノン。
第4次。単語のシャノン。
第5次。単純マルコフ。
例文は、本に当って欲しい。ここでは、E.A.Poe(Vintage Booksの1冊本)を引く。
”But、There being no division, my first step was to ascertain the predominant
letters, as well as the least frequent. Counting all, I constructed a table thus:
*** table *** " Now, in English, the letter which most frequently occurs is e.
Afterward, the succession runs thus: aoidhnrstuycfglmwbkpqxz. ・・・”
”Finegan’s Wake” タイプか認証spellを思い出してしまう。
ポーの不幸は、理系に進むべきを文学に行ったことという気もする。ルイス・キャロルの
時代に、シャノンの成果を考えていた。
・・・・
序でに、ルイス・キャロルからも。
"" And how do you know that you're mad ?""
"To begin with," said the Cat, " a dog's not mad. You grant that ?"
" I suppose so," said Alice.
" Well, then," the Cat went on, " you see a dog growls when it's
angry, and wags its tail when it's pleased. Now I growl when I'm
pleased, and wag my tail when I'm angry. Therefore I'm mad."
" I call it purring, not growling," said Alice. ・・・           ”
・・・・
どうせだから、ロートレアモン「マルドロールの歌」は角川さん。文庫。栗田勇氏訳。
「おお、厳格なる数学よ、あなたの蜜よりも甘い、精緻な授業が、さわやかなさざ波のように
ぼくの心にしみ透った日いらい、あなたを忘れたことはなかった。揺籃の日いらい、太陽よ
りもなお古いあなたの泉に、喉をうるおいしたいものだと、本能的に熱望していた。 ・・・」
「わたしたちはまだ論理の支配下に生きている、ここへ、むろん、わたしは話をもってきた
かったのだ。けれど、論理的手法は、今日では、もはや二次的な問題の解決にしか適用
されない。・・・ 」
は、「シュルレアリスム宣言」(アンドレ・ブルトン集成第5巻・生田耕作氏訳:人文書院さん刊)
より。
・・・・
ポーの「詩の原理」とブルトンの自動書記の下りの掲載は今度。
・・・・
earth/music/ecology のCMが何故そんなに気になったのか?
暫らく前に朝日さんにカラーで載ってた、川上未映子さんの写真とダブらせてた、に気付く。
・・・・
今、ワンちゃんが隣に寝ています。
2F玄関に連れて来た。
父が改造した時に、深夜カラオケから帰って来て、家族に迷惑が掛からないよう、
2Fに玄関もトイレ・キッチンも造った。
2世帯住宅の走り。
・・・・
父の仕事は、朝9時から夕方3時まで食肉後の骨・羽・脂を集荷。5時までに積み込む。
5トン・トラック(だった気がする)に。
そこからが驚異。岐阜や静岡・山梨・愛知。時代によって変遷したが、それらの地に”飛んだ”。
家族言葉での運ぶこと。5時に出ても、帰宅は大概、午前1時。
中央道の未だ無い時代。清内路など一般道を越える。
・・・・
逸話がある。
吹雪。峠の頂上近くに、雪男みたいに人が立っていた。その形相や鬼。
恐怖ながらも急停止する。転げ込んだ人は、谷にトラックごと転落、必死に登って来たという。
また、運転しててやけに対抗車が少ないと思っていた。気が付いたら道路脇に車止めて寝てた。
僅か50センチ程先崖という位置に悪寒が走る。
来る対抗車、来る対抗車がライトをパッシングさせる。何も異常は無い。
鏡を見て卒倒しそこなう。酷い怪我をしている。
・・・・
暫らく荒れていた時期もあったという。十二指腸潰瘍にもなった。
運転の度毎、ヒヤッヒヤッとする瞬間があるらしい。大型の所為。
幸いなことに、優良ドライバーで30年間無事故無違反だった。決して無理はしなかった。
・・・・
そんな父の解消法がカラオケだったらしい。
カー・ステレオ(!)の時代。ビデオくらいの大きさの演歌が何本もある。
当然何回か、助手席に居て父の歌うのを聞いて(子守唄かも?)育った。
・・・・
そんな中、ガソリン・スタンドで買って貰ったのが、S&Gの「best part 2」だった。
・・・・
人により勿論様々だが、思うに人生で好む時代の曲の傾向って、そんなに汎くない気がする。
一番輝いていた若い時の歌が、その人の”持ち歌”だと思う。
それは、その人に与えられたもの。
ただ、よりレベル上のジャンルに好みが移って行くし、また、そうあるべきと思う。
それも与えられたもの。
・・・・
カー・ステに曲流しながらオフロード・ドライブすることはもう無いと思うし、自己に厳しく課すと思う。
”身を弁えぬ不遜な奢侈”と。
山口百恵さんの「part2」は、わたしの中の永遠の記憶だし、わたしの若き日の思い出。
「振り返るのは、あなたでは無く、雀斑だらけの日の私」(定かでないです)は、もう1つの記憶。
大貫妙子さんのグリーグ曲。
・・・・
大貫妙子さんか、ジャニス・イアンさんが、わたしの”持ち歌”。
・・・・
記憶の糸を辿って、その道に来た
緑なす山並み、禿げた道
高原の風に当って、暫し休む

遠く鷹が舞っている
洞穴の近く、缶を埋めた記憶が
ここは蛇は出ない 
桑畑に紫の風が過ぎる
ごこ平凡に ごく当たり前に

夕日が当る斜面には、透明なセミが鳴き
どこからともなくこうもりが大量に来たる

もう夜だ

そしてまた、人生も過ぎ去った
・・・・
今、配達ルートをずっと辿って行きます。懐かしい想い出です。
大きなマンション脇、小道を登ります。土が見えます。桜が今満開。
スタートで勇気づけられます。
登り切って工場が。
右に曲がってからは、幹線ですが、車は未だいません。
左に1纏まり、右に幾つか。
右の集合住宅、バイクを止め、出たり入ったりです。
終えると、踏み切りを越え、隘路へ。
店に届けて、夜も交通量のある繁華な通り。
先ず手前をこちらから西に向かう。配りきったところ、横断し向かいへ。
・・・・
・・・・
どういう訳か飲食店は蕎麦屋しか覚えてません。
アパートの通りに2軒。未だに店内の内装を覚えています。
飯田や諏訪の比ではありませんが、何処か郷愁からだったのかな?
と思います。
市役所屋上の食堂も想い出です。
展望が素晴らしく。安価な食事でした。
・・・・
あとビデオ屋さん。
トーコさん・広末さんなどダビングしました。
最後の晩、コンビニでアイスを買いました。
自分への寂しさを紛らわす餞別として。
再び訪れると店員さん。「さっきのアイス、美味しかったです~?」って聞かれる。
びっくりした。
暖かい言葉掛けられることなど滅多なかった。
・・・・
部屋で泣いてました。
・・・・
バスで5つ先のカトリック教会に行きました。
ちょうど、復活の徹夜祭の夜です。
受洗前。前の地に続き2回目。
近くのアパートは、同僚の住所で、傍らボクシングを目指してました。
練習もハ-ドで起しに行った記憶が・・・
・・・・
今回、バイブルなど休み・・・
・・・・

東京の写真、earth music ecologyについて等

2010-03-23 05:42:39 | Weblog













From Holy Bible
Soon Samaritan woman came to draw water , and Jesus said
to her, " Please give me a drink." He was alone at the time because
his disciples had gone into the village to buy some food.
The woman was surprised, for Jews refuse to have anytihng to
do with Samatitans. She said to Jesus," You are a Jews, and I am
a Samatitan woman.why are you asking me for a drink ?"
文語訳聖書
 サマリアの或女、水を汲まんとて来たりたれば、イエス之に「われ
に飲ませよ」と言ひたまふ。弟子たちは食物を買はんとて町にゆき
しなり。サマリアの女いふ「なんぢはユダヤ人なるに、如何なればサ
マリアの女なる我に、飲むことを求むるか」これはユダヤ人とサンマリ
ア人と交りせぬ故なり。
共同訳聖書
 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」
と言われた。弟子達は食べ物を買うために町に行っていた。すると、
サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、ど
うして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマ
リア人とは交際しないからである。
・・・・
名訳比較
ランボオ詩より
中原中也氏訳角川書店の全集より
「酔ひどれ船
     私は不感な河を下って行ったのだが、
     何時しか私の曳船人等は、私を離れてゐるのであった。
     みれば罵り喚く赤肌人等が、私等を的にと引ッ捕へ、
     色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けてゐた。
     ・・・・                               」
「金子光晴全集」中央公論社より氏の
「酔っぱらひの舟
     ひろびろとして、なんの手応へもない大河を僕がくだっていったとき、
     船曳きたちにひかれてゐたことも、いつしかおぼえなくなった。
     罵りわめく亜米利加印度人たちが、その船曳きをつかまへて、裸にし、
     彩色した柱に釘づけて、弓矢の的にした。
     ・・・・                               」
講談社文芸文庫「近代フランス詩集」斎藤磯雄氏の
「酔ひどれ船
     不感無覚の「長江」を下りて行けばいつしかに、
     船曳どもにこの身はや誘導はるるを覚えぬは、
     喚き罵る赤肌の蛮夷らこれを標的として、
     彩なす色の杭にこそ裸となして釘づけしなれ。
     ・・・・                                」
続きは是非、各本で・・・
・・・・
「不感な河」「ひろびろとして、なんの手応へもない大河」「不感無覚の「長江」」。
比較はよそう。勿論、平均も。
唯。音韻。
「フカンナカワ」
”FUKANNA KAWA”
「ヒロビロトシテ、ナンノテゴタエモナイタイガ」
”HIROBIROTOSITE NANNOTEGOTAE MO NAI TAIGA” 
「フカンムカクノチョウコウ」
”FUKAN MUKAKU NO TYOUKOU”
ここで、オシロが出て来るのだろうけど、無い。
音読未読が1番!
J-BUNGAKUにして英語にしてみたいけど、止めとく。
・・・・
未だに鳴ってる。Earth Music EcologyさんのCM。
「ヒマラヤ程の消っしゴムッ1つ。楽しい事を沢山したい。ミサイル程のペンシル片手に、
面白い事を沢山したい。」
・・・・
エッフェル程におっきいコンパス?そして、ウルトラマンよか大きくすげー先生。
でも、一向楽しくない気がする。
縮尺変えればいいってものじゃない?表現って?
・・・・
因みに、
これ書いてるの、「オーベルニュの歌」聞きながら・・・
「沢山したい、ヘイ!」って。
・・・・
今度、デュビッシーの歌曲に「酔いどれ船」被せる!
・・・・
このCMの魅力、宮崎さんの(この映像通じての)魅力って何だろう、と思う。
ナナとかナバコフとかルイス・キャロル、シュペルベルとかと思う。
偶々、その日、テレ朝さんで田中絹代さんをやっている。
「投げキス」迄、どの作品に近いか?どう移ってるか?って考える。
2人、非常に重ねづらいけど・・・
・・・・
「何故、こんな事になってしまったのだろう?」
このところ極端に色々悩む事が多い。
先々週は流石にあまり鬱が嵩じて、脳溢血の喫水線近く迄3晩くらい行った。
ぐっと必死に堪えて、漸く倒れなかった。良かった、うっー。という経験をする。
以来、肋膜付近が痛んだり、一週間風邪だったり、多少の言語障害もあったり。
信徒の集まりの時も、少し変だった。
こんな事は初めてだ。
若い時の薬の所為もあると思う。脆い。
だから、皆さんも健康にはくれぐれも充分配慮なさってください。
改めて、皆さんのご健康、本当に本当に心からお祈り申し上げます。
・・・・
今、「ヴォカリーズ」に変る。
都会に出たのは、18だった。
洋間6乗。ベッド備え付けの寮に入った。
そこで毎晩、民放ラジオの「誰某恵美子のミュージック何とか」というのを聞いていた。
イントロ・ラストの曲もうろ覚えだが、どうにか覚えている。
番組名は当時の新聞がないと分らない。っと、図書館にあるか。確認出来ると嬉しいな。
他愛もないハガキばっか中で、突然この曲が流れ、衝撃が走った。という曲。
以来、大ファンです。
ラフマニノフは「ピアノ協奏曲第2番」が、シューベルト「未完成」と並んで最も美しい曲、
という大家。グレゴリアン・チャントを非常に愛したとか。
・・・・
「黒衣の僧」。他含め、チェーホフのラジオ・ドラマを初めて知ったのも其処。
ただ、結末はまったく逆に作ってた。
・・・・
昨晩、戸田恵梨華さんのドラマ、ちょっと見ようとした途端、左手中央が突然病みはじめて、
結局、全く見えず、って経験する。他局で濁す。
こういった事、何回かあるけど、何故だろう?原因が未だに分らない。
・・・・







東京の風景、東京の想い出、など・・・

2010-03-22 01:17:21 | Weblog












ごく平凡な都会の人の生活だったと思う。
1人の地方出身者。
何十万だか何百万いる地方からの上京者に1人加わったというだけの。
上京するのは、何も初めてではなかった。
山手線など、雑踏の中、下を見詰めてても目的の改札口くらいどこも行ける。
・・・・
3月だというのに霜が降っていた。
就寝は午後8時。夕食が6時だから、逆算してもそのくらいにはなる。
新聞配達員。
12時に起きても、30分で朝食・準備は少しキツイ。
ここでは、出勤時間が予めバレテしまう。
同室の先輩は、もう出て行った。11時半。
最初、声を掛けて呉れたが、慣れたのと上の階への移動準備で
それは無くなった。
・・・・
学生時代、霞ヶ関の飯場で日雇い労務を一週間やった。
必須は「電話番号教えてください」だった。
起きない場合が多いし、当てにしてるからだと言う。
幸いその時は、どうにか一週間努め上げる。
・・・・
ここでは、生活によってはそれが毎日続く。
だから、生活を大事にしなくては。
・・・・
新宿他を経由してキイ駅から30分の準急駅。
駅からバスで15分。
未だ歩いたことはないけど、大方1時間と見ている。
丁度2つの私鉄中間。
周りに、土の公園が幾つかあった。
林だってある。坂も。
・・・・
昨晩は天気だったのにと思う。
薄明かりの中、寝に着いた。
くたくたに疲れていても、隣のアパートからのTVの音と漏れる灯りが嬉しい。
色彩。
それが都会の生活だと思う。その愉しみだ。
モームだったか、「都会、その喧騒。その魅力」みたくに言っている。
・・・・
モームは、もう何十年も読まない。
最初の上京は予備校。予備校もモーム。
英語。小説・評論・おまけに伝記まで読まされ、そのシニシズムに感心する。
青春は、モームだったかもと今も感慨する。
大学で先ず読んだのが、「絆」など。文庫。
授業に取り上げた原書を丹念に拾いつつだった記憶が。
・・・・
ここでは大変困ったことがあった。もっと言えば第一の筈。
バイクの免許が無い。乗ったことは勿論無い。
自転車で配達も居なくはないそうであるが・・・
どうにか、原付が自動車免許で乗れた。
だが、実際原付には戸惑った。
自転車と根本異なる。体重の掛け方である。
体を預けなくていけない。もっと言えば投げ出さなくてはいけない。
例え、高速走行のカーブででも。
しかも、ポスト・ツー・ポスト。素人と違いミリ単位の正確さが要求される。
加速は殆ど急加速・急発進。
日々近づく為に、開いた時間での悪戦苦闘が続いた。
・・・・
夜、睡眠と云って、そのくらいである。
大概、昼寝る。
だから、寝る前の昨夜の隣のTVがその続きをやっていたりする。
昼なのか夜なのか不詳の状態で起きる。
再び言うが、それが楽しみであった。
枕元には、年甲斐も無くコンピュータの本が揃っている。
室賀先生のデジタル回路から。
そう言えば今回も真っ先に購入したのが、翻訳の出たばかりのヘネシーと
パターソン。
まあ、仕事には関係ないけれど、趣味に読むには凝り過ぎでもない。
睡眠前に妥当か、は分かれると思ったりする。
・・・・
From ”Introduction to Computer Architecture (Stone et.al.Tower Press)
p.319 Stack Computers 7.1.
”A stack is a last-in,first-out data structure.In its simplest form it can
be accessed by only two operations, PUSH and POP.A PUSH operation
takes new data and pushes it onto the top of the stack, where it is saved.
・・・”
・・・・
食事は原則、スーパー。白米と惣菜を揃える。
炊飯だけはすべきと思う。だが、「慣れたらそのうち」と言い聞かせてダラダラ来ている。
配達員は住の心配が要らないからいい。
衣料も前の職場でコツコツ買い溜めしてた。
やはり、「あれがいる」と固定観念してた結果だと思う。
食事は極めて大事だ。わたしはそうでなかったが、割り振りによっては、結構な肉体労働となる。
時間も変則だ。
多めに採らないと体が持たないと思う。
・・・・
対をなすよう書いてみたのですが。アメブロを参照してください。
失敗っぽい!何ら積み合わない。
なお、写真と内容は無関係です。
・・・・
 From Holy Bible
 He had to go through Samaria on the way. Eventually he came
to the Samaritan village of Sychar, near the parcel of ground that
Jacob gave to his son Jeseph. Jacob’s well was there; and 
Jesus, tired from the long walk, sat waerily beside the well about
noontime. 
 文語訳
 サマリアを経ざるを得ず。サマリアのスカルといふ町にいたり給へるが、この町はヤコブ
その子ヨセフに与えし土地に近くして、此処にヤコブの泉あり。イエス旅路に疲れて泉の傍
らに座し給ふ、時は第六時頃なりき。
 共同訳
 しかし、サマリアを通らねばならなかった。それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の
近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエス
は旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。



上郷リオカーニバルinNaga~no・・・

2010-03-21 02:09:12 | Weblog













外は雨。
突然降り出した雨は非常に激しくて・・・
まるでサンバのリズムの様に激しいテンポで
しな垂れる木々の梢の下にじっと佇んで月を見上げれば、
理由もなく涙ぐんでしまいそうで

怖いのは、あなたの冷たさではなくて・・・・優しさだった

あなたと最後にサンバの流れるパリの郊外のレストランに
入ったのは何時?
ずっと時が経って、自然に不安な気持ちが外せる様になっても、
あなたは依然あなたであって、理屈抜きに唯只管に好きだった
もう何年も会ってないわ
未だきっと追いかけているわ
自分の中で走ってるのは、何の気持ちか位分かるもの

でも、あの時のほんの些細な過ち、夏の日の午後
やっぱりサンバのリズムだったわ
もう取り戻せない、過去は一生取り戻せない
あなたを傷つけた罪は一生背負ってくべきだもの
他の人なんか愛せないわよ

自棄になって、お酒に頼ったこともあるわ
でも、最近、サンバを覚えたの
何て皮肉かしら、大人しい日本の古典美に育ったわたしの唯一の趣味を
奪うなんて
夏の午後が恨めしい
だから、踊るわ
あなたを忘れる為じゃないわ
あの日のあなたを私の中に取り戻したいから・・・

・・・・
火曜、「えっ***さんで」って地元出身のお慕い申し上げる歌手が歌ってらした。
何年降りかに見ました、その枠で歌ってらっしゃるの。
今年はお練の年ですね。
夏13・14・15の盆踊り。
中央公園で歌ってらしたのはもう何年前でしょうか?
10年はひと昔、というのは本当でしょう。
ボサノバ・ジャズっぽい歌(済みません不詳で、センス無くて)を歌ってらしゃいました。
・・・・
「変な感傷に捉われました」っていうのは、「エル・スール」!
・・・・
これって違法ですか?
映画に自分の感情を託して芸能人へのセンチ作りあげ、その上一方的に載せるのって。
しかも主人公って私と同じ頭の薄い中年の・・・。
・・・・
冗談抜きで雨が激しくなってきました・・・
・・・・
でも、ブラジル映画「南東から来た男」は素晴らしい映画、
ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」も隠れた名曲です。
・・・
「悲しき南回帰線」(室淳介氏訳・講談社文庫)より
p.20 
「2 船で
 われわれ小人数のグループだけで四・五年というもの、南米向け<海上運輸会社>の
貨客船の一等船室を占めるようになろうとは、まれには例外もあったが、ともかく思いも
かけぬことであった。・・・                                      」
「予告された殺人の記録」(野谷文昭氏訳・新潮文庫)より
p.31
「 妻を実家に返した男、パヤルド・サン・ロマンが初めて姿を見せたのは、前の年の八月、
つまり婚礼の六ヶ月前のことである。週に一度の定期便で着いたとき、彼は鞍袋を担いで
いた。・・・                                               」

From Holy Bible
Jesus learned that the Pharisees had heard, " Jesus is baptizing and making
more disciples than John" ( though Jesus himself didn't baptize them - his disciples
did). So he left Judea to return of Galilee.

文語聖書
 主、おのれの弟子を造り、之にバプテスマを施すこと、ヨハネよりも多しと、パリサイ人に
聞えたるを知り給ひし時、(その実イエス自らバプテスマを施ししにあらず、その弟子たち
なり) ユダヤを去りて復ガリラヤに往き給ふ。