St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

「もんしぇん」を見ました(後半)

2011-11-28 06:41:19 | Weblog






東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
シグロ制作の映画「もんしぇん」。編の後半を見る。
「海」、海がテーマ。
「天草の海」、そこで生まれた物語。
。。。
脈絡なく、アンソロジーをする。
“星は、進化によってHR図上を移動していく途中で、セファイド不安定
帯に入ることがある。そのとき、星の外層が振動を始め、セファイド型変光
星とかRRラリイ型変光星とかの脈動変星になる。これらの変光星は、ヘリ
ウム燃焼段階でセファイド不安定帯に入ったが、その不安定帯が主系列と交
わる所では主系列も脈動変光星となる。さらに、白色矮星の系列と交わるあ
たりには、白色矮星の変光星が存在する。“
(「星の進化」(斉尾英行氏著;培風館)
“海へ!
・・・ だが、この地上の異なる地域を結ぶ海と、その千変万化する豊
かな表情に、しだいに、こころを奪われるようになった。できれば、鯨のよ
うな優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。“
(「時間の園丁」(武満徹氏著;新潮社)より)
“Hours are leaves of life.
And I am their gardner.
Each hour falls down slow .“
(「夢と数」(武満徹氏著;リブロポート)より)
“五月の或る夕、一雙の漁船が横風を受けてストックホルム多島海の南部、
茫々たる海面を走っていた。あの有名な三つのピラミッドのある島は青く
薄れ始めた。そして太陽が沈みかけると晴れた空に雲が出て来た。既に岬
々に海水が激しくぶつかっていた。“
“かなた、新しいクリスマスの星を目指して、航路は沖へ出て行った。己
が胎内に於いて生命の最初の閃光を点ぜしめた万有の母、生産と愛の無尽
蔵の源泉、生の本にしてまた生の敵なる、大海を越えて、彼方へ。“
(「大海のほとり」(ストリンドベルク著;斉藤しょう氏訳(済みません字が
出ません);岩波文庫)
“青
・・・青は体全体を覆い、磨いた瑪瑙のような眼を覆う、浜辺に打ち上げ
られて生き物は横たわる。蒙く、鈍く、ぽろぽろと乾いた青い鱗を零しなが
ら。その金属を思わせる青が浜辺の錆びた鉄を染めあげていく。青は打ち上
げられた手漕ぎボートの肋材の色。一叢の青い糸沙参の下で水が揺蕩う。“
(「ヴァージニア・ウルフ短編集」(西崎憲氏編訳;ちくま文庫)より)
“ただ私の心臓の鼓動が聞こえるのみだ。私は床に寝ながら、差し込んでく
る月の光で、私の小屋から同じ間隔を置いて植えられている葦を見ることが 
できた。それは、昔の野笛で、タヒチ人のヴィヴォと呼んでいる一種の楽器
とでもいうべきものである。しかしそれは、昼のうちは沈黙を守っている楽
器だ。“
(「ノア・ノア」(P.ゴーガン著;前川堅市氏訳;岩波文庫)
“子供はやがてねむっても、
月のひかりは夜あけまで、
しずかにそこに佇ってます。
 こわれ荷ぐるま、やぶれ傘、
 一本はえた草にまで、
 かわらぬ影をやりながら。“
(「金子みすゞ童謡集」(角川春樹事務所))
“放浪生活、またボヘミアン主義と呼び得るもの、音楽によって表現される
多次元の感覚を讃えること。リストを参考にすること。“
(「ボードレール全集Ⅱ」から「日記」(矢内伊作氏訳;人文書院)より)
“天使の名に似てエルで終わる言葉たち、
思いを寄せる大空と舐め楽しむ蜜蜂(ミエル)よ“
(「アポリネール傑作短編集」(窪田般彌氏訳;福武文庫)より)
“星
・・・ 彼は旅をする 彼はこの市を去った
青い小舟 そこでは大勢の子供たちが彼をパパと呼んでいた
七つの島を前にした静かな湾の奥で
ガスパールは歩いているそして米を茶をなつかしがる
   夜は天の川を
彼が歩くのは夜に限るので
たびたび眼につく
   だがガスパールは知っている
それを追ってはいけないと“
“ラインの夜
僕の杯は炎のようにわななく葡萄酒でいっぱいだ
足につくほど長いみどりの髪をくしけずる
七人の美人を月の中に見た
一人の舟子が歌いだすゆるやかな節を聴きたまえ“
“ミラボー橋
・・・手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
    こうしていると
   二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る“
・・・
日が去り 月がゆき
    過ぎた時も
  昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
    日も暮れよ 鐘も鳴れ
    月日は流れ わたしは残る“
(「アポリネール詩集」(堀内大学氏訳;新潮文庫)より)
。。。
銀河と海と生命と。そして、舟。
イメージのまま引用しました。
見終わって印象に残ったのが、その映像美と音楽。
殊に音楽。
ラストに流れる玉井さんの歌は不朽の名作。
石川セリさんを連想させる声質・歌。
強く心に残る。
他、銀河の様に鏤められた名曲。
クレジットされた中から、
“Psalm of the sea”
“脈動変光星”
“ドゥルグンナスティー”
玉井さんのオリジナル。
CD出てるかな?
。。。
西脇順三郎氏の“Ambarvalia/旅人かへらず”
詩が頭に流れだす。
また読みたくなった。
。。。
いい映画です。
是非、一度と云わず何度も見てください。
それだけの価値はあると思います。
。。。
音楽は「リパッティ」を聴きながら書きました。
写真は、今年の小津映画祭。
出来上がりを見ると、わたしは完全にカメラ小僧でしかない!
と、ここで手落ちに気付く。
もう一つ引用。
翻訳の新潮文庫が手元に見当たらないので。
“When they enter they found、hanging
upon the wall、a splendid portrait
of their master as they had last
seen him、in all the wonder of his
exquisite youth and beauty.Lying
on the floor was a dead man、in 
evening dress、with a knife in his
heart.He was withered、wrikkled、
and loathing of visage。It was not
till they examined the rings that 
they recognized who it was.“
(From “The picture of Dorian Gray”
(contained in
“The Complete Works of Oscar Wilde”
(Perennial Library)))
。。。
飯田は寒いです。
昨日から新しい典礼年。今年はB年。
土曜から日曜に掛けてお御堂でカウントダウンをしようと
思いました。
「前晩の祈り」。
。。。
今日一日が皆さんにとって良い日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
また、この小文が皆様の何かの糧になりますよう。

主のお恵みが皆さんに豊かに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願い申し上げつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.11.28. 乗倉記す


「もんしぇん」を見ました(前半)

2011-11-23 04:30:42 | Weblog






東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
シグロ制作の映画を見る。
DMMで見つけ。
「もんしぇん」。
少女が12年かけて育てたファンタジーとある。
それは、玉井夕海さん。
主演・脚本・音楽と手掛ける。
。。。
引き続き人形が一つのモティーフ。
例によって未だ半分しか。
45分。
“歓迎”の手前迄。
。。。
先ず印象は、2人-ロベルト・ブレッソン/安部公房。
「ラルジャン」/「砂の女」。
シネマトグラフ/<愛郷精神>。
もう一人途中で-ルイス・ブニエル。
日常の中に幻想的に挿入される映像。
。。。
例の如く文集。
。。。
「砂の女」(新潮文庫)のP.23。
“案内されたのは、の一番外側にある、砂丘の稜線に接した穴のなかの
一つだった。
 稜線よりも、一本内側の細い道を右に折れ、しばらく行ったところで、老人
が、暗がりの中に身をこごめ、手を打ちながら大声で叫んだ。
「おい、婆さんよお!」
足もとの闇のなかから、ランプの灯がゆらいで、答えがあった。
「ここ、ここ・・・その俵のわきに、梯があるから・・・」
 なるほど、梯でもつかわなければ、この砂の崖ではとうてい手に負えまい。
ほとんど、屋根の高さの三倍はあり、梯をつかってでも、そう容易とは言えな
かった。昼間の記憶では、もっと傾斜がゆるやかだったはずだが、・・・“
。。。
「裁かれる記録」(安部公房氏;潮出版)より。
「砂漠の思想 「眼には眼を」」から。
“記憶の中でも、その半砂漠的風土のなかにいてさえ、なお砂漠ぼこりの日、
乾ききったまぶたの裏に、拭いてもふいてもぬぐいきれない砂がくいこむ、
あのいらだたしい気分の裏には、不快感だけではなく、同時にいつも一種の
浮きうきいた期待がこめられていたように思うのだ。“
。。。
“けじめのない空間を、内部から、けじめをつけてとらえるというのは大変
なことである。そこまで想像力を緊張させるには、どうしても対象に肉薄する
ための方法が必要なのだ。・・・、すべての芸術ジャンルについて、・・・、そ
の方法を、別な言葉でいえば、思想ということになる。“
。。。
砂掻き。泥人形。
海の中に沈んで行く数多の泥の人形。
潮が満ち波の中に孤立する家。
昨晩あった船の不在。
海が安部公房のここの砂の役割を果たしていると感じる。
。。。
「作家主義」(奥村昭夫氏訳;リブロポート)より。
「ロベール・ブレッソンに聞く」から。
“生な素材としての人間の中には、シネマトグラフだけではなく、心理学にさ
えも関する、きわめて重要ななにかがあることがわかる。生な素材としての人
間を使う場合は、創造がなされるんだ。その人間が、自分の肉体や筋肉、血、
精神をつかって創造をおこなうわけだ。そしてわれわれの創造と結びつくのは、
そのけがされていない人間の創造の方なんだ。というのも、われわれはそうした
人間とこそ結びついているからだ。・・・、つまり、・・・われわれ自身がそのな
かに入りこんでいるからだ“
。。。
「愛すること、命を繋いでいくこと、自然との調和の中で生きること
― 見失っていた大切なことを、この海が教えてくれた。
わたしたちの遠い記憶を呼び覚ますような、静かなファンタジー」。
映画のHPから引用。
「天草で映画をつくりたい」
-主演・脚本・音楽の玉井夕海さんは、12年の間、ゆっくりとストーリを現実
としても生きていたのかも知れない。
。。。
「ブニュエル」(A.キルー著;種村季弘氏訳;三一書房)
「アンダルシアの犬」から。
“くだんの男はもうそこにはいない。壁は家具も装飾もなく完全にもとどおりで
ある。
若い女のいらいらした侮蔑の身振り。
あらためた壁をながめると、壁の真中に小さな黒い汚点がついている。
この黒い汚点は近くで見ると一匹の剥製の蝶である。蝶のクローズ・アップ。
蝶の剥製の羽がスクリーンいっぱいに広がる。
腰から上のサイズで、ふいに短いマントの例の男があらわれて、まるで歯をなく
した人のように手を口元にもっていく。若い女はそれをツンと澄ましてながめて
いる。“
。。。
「わたしらも船に乗って他所から来た。」
島の人々が、実は既に存在してない人達なのでは?
そう印象させるところもある。
一瞬現れては消える“ちい”と奇妙な老人。
。。。
期待する今後の展開としては、
「砂の女」「眼には眼を」「アンダルシアの犬」、3作品を頂点とする直角2等辺
三角形の重心に、ストーリーを収束させていきたい。
トラジェクトリーの様に・・・
失踪と思想と詩草。
ヒタヒタと波が方寄る様に、島人と“はる”さんとの関係にも知らず影が忍び寄り、
平凡な日常に隠された不条理が次第次第に明らかになっていく。
そして、満月の綺麗なある夜、崎津の入江を悲劇が襲う。
天草の海は、三島の「豊穣の海」と化す。
「“ちい”ちゃんは、最初から居なかったんとちゃいますか?」。
恋破れて雪の中、作一は海にあるお寺を訪ねる。
そこで待っていたものは・・・。
なお、再度念押ししますが、これらは映画とも3作品とも全く関係ないファルス。
記事に惑わされず、映画を見てください。
是非とも。
DMMでも!!
J.ルノアールらと並べて遜色ない必見の名作と。
。。。
音楽は聴かず書きました。
写真は、今年の小津映画祭。
飯田は寒くなって来ました。
。。。
今日一日が皆さんにとって良い日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
また、この小文が皆様の何かの糧になりますよう。
主のお恵みが皆さんに豊かに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願い申し上げつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.11.22. 乗倉記す


「空気人形」(2)

2011-11-21 01:32:39 | Weblog






東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
「空気人形」の続きを見る。
余りに美しく悲しい物語。
それだけで感想を終わるべき。
が、不純にも見終わってポーを想う。
「息」がテーマと・・・。
。。。
“Loss of Breath”
“The most notorious ill―fortune must、
in the end、yield to the untiring courage
of philosophy―as the most stubborn city
to the ceaseless vigilance of an enemy.
Shalmanezer、as we have it in the holy
writings、lay three years before Samaria;
yet it fell.“
(from Complete Tales & Poems;
Vintage Books;p395)
(済みません、英語/国語の教材も考慮しているので・・・)
から始まる物語。
。。。
「エドガア・ポオ-人の作品」(谷崎精二氏;研究社)にその解説が。
筋を述べる代わりに引用。
原作は、新潮文庫などで読んでください。
。。。
“一見主題の明瞭でないものが幾つかあって”、“緊密な繋がりのない映像が
現れて、シュール・リアリズムの作品を思わせるが“、”精神分析的見地か
ら(この作品に)明快な解釈を下したのがマリイで“。
・・・
マリイとあるのは、フロイトの弟子で、ナポレオンの姪の心理学者。
マリイ・ボナパルト。
性的な指摘は略。
生命だけ。
 ・・・
“息とは生命力の象徴であって”、“聖母受胎の伝説によればマリアは神の息
によって懐胎した“、「生気をその鼻にふき入れたまえり、人すなはち生霊と
なりぬ。」“、”息、もしくは風が受胎作用を持っているという迷信は世界各国
にあって・・・“。
 ・・・
疑惑も。
 ・・・
“だが、息を失ったラコブレックスは(疑惑について)どうにもならない。
自殺を考えたがそれもできず、結局家出をして、見知らぬ国へ行けば、自分の
不幸な災難を隠し得るだろうと決心する。わびしい遁走曲である。“
 ・・・
一方、
“「ブラックウッド・マガジン」の無謀さを風刺するために書いたのだと、
彼(ポオ)は知人に述べている“。
 ・・・
ここで、作品から。
“「ここにいるのは何の人間的同情にも値しない奴だ。」こう言いながらその
人間をもっとよく見るために私はそいつの鼻を親指と人差し指でつまみ、地
面にすわった姿勢をさせて、私の腕の先にそのまま支えながら私は独語を続
けた・・・“
。。。
谷崎先生から引用して、結局言いたいのは、こうです。
「純一はヴァージニアで、ノゾミはポー!」
。。。
同じ谷崎先生から。
“ある日、実った桜の実を取ろうとしてポオは木に登り、ヴァージニアはそ
の下にうづくまった。烈しく枝を振ると桜の実は彼女の頭上にどっしりと落
ち、ヴァージニアは声を立てて笑ったが、同時に口からまた赤い血が吐き出
された。ポオは驚いて彼女を家の中に連れ込んだ。彼女はもう死を覚悟して
いて、ポオにしみじみ語った。「私が死んだらあなたの護り神になってあげま
す。もし何か悪いことをしそうな気持ちになったら、あなたの両手で頭を抱え
なさい。私はあなたを護ってあげます。」“
“それから五、六日間、彼がボルティモアのどこでどう暮らしたか、はっき
りわからない。ブラッドショウというホテルに泊まっていたらしいが、ホテ
ルを出た彼はフィラデルフィア発の列車の中で前後不覚になって寝そべって
いるのが発見され、別の列車でボルティモアに送り帰された。“”彼は半ば昏
睡状態で夜の街を歩いているうちに・・・“”酒場で死んだようになっている
彼を知人が見出して・・・“、”彼(従兄)が病院へ駆けつけて以来、ポオは一
言も発っしなかった“。
。。。
縦糸と横糸。
ノゾミの行動を辿る。そこにフラッシュバックされる様々な人々。
生活することはこんなに果敢なく、そして淋しい。
背景の夜の都会が印象に残る。
ハッピー・バースデー。
“喪失”の前、純一を失った彼女の夢に、2つが悲しくクロスする。
年の本数の蝋燭を消す。
それは彼女の息によって。
恋人を失うことになった彼女の息によって。
感情が詰まってしまう。
。。。
少し原稿が余ったので。再び引用。
“「ここにいる・・・」・・・”の前。
“”But here、“―said I―”here“―and I 
dragged spitefully from its 
receptacle a gaunt、tall、and peculiar
―looking form、whose remarkable 
appearance struck me with a sense 
of unewlcome familiarity“
引用の後。
“”Entitled、“I repeated、”to no earthly
commsiseration.Who indeed would think
of compassionating a shadow?Besides、
has he not had his full share of the
blessing of mortality?He was the 
originator of tall monuments-shot―
towers―lighting―Lombardy poplars.“
。。。
「ポオ詩集」(日夏こう之介氏訳;講談社文芸文庫)より。
“えむ・える・えすの君にまゐらす

きみいまさば朝とも感じ、はた
いまさずば小夜ともならむ、
てる日をも空に掻き消すおもひかな。
のぞみのきみ、いのちのきみとめで泣きて
真や徳また道ぬちに深々と埋めたりし信仰のよみがへりこそ
めでもせめ。
絶念の死の床の穢にやみふして
ひかりあれてふみことばや
天人のきみが瞳のまがよへる、
そのささやきをなえなえと
感じわたりて息衝きしか。
・・・

原文。
“To MLS―

Of all who hail thy presence
 as the morning―
Of all to whom thine absence
 is the night―
The blotting utterly from out
 high heaven
The sacred sun―of all who、
 weeping、bless thee
Hourly for hope―for life―
 ah!above all、
For the resurrection of deep
 ―buried faith
In truth―in Virtue―in Humanity―
Of all who、on Despair‘s 
unhallowed bed
Lying down to die、have suddenly
 arisen
At thy soft―murmured words、
 “Let there be light!”
At the soft―murmured words
 that were fulfilled
In the seraphic glancing of thine
 eyes―
。。。
これは、ヴァージニアの死の2週間後のポオの詩。
。。。
写しているうちにもう一つ連想。
「イヴ」もそうだが、何回も引用して来た。
が、
もう国語/英語の教材集になってしまっているので・・・。
ええい、引用、と。
「沖の少女シュペルヴィエル幻想短篇集」(三野博司氏訳;社会思想社)
。。。
“どのようにしてつくられたのだろうか、この波に浮かぶ街路は?
 どんな船乗りが、どんな建築家の手をかりて、この路を建造したの
だろうか、大西洋の沖合、六千メートルもの深さの海上に?“
で始まる「沖の少女」。
“この波に浮かぶ町では、時間が経過しなかった。そこで少女はいつまで
たっても一二歳のままだった。自分の部屋の鏡つきのたんすの前で、その
小さな胸をふくらませてみたが、ちっとも大人の胸にはならなかった。“
“しかし、大西洋の上にはなにも見えなかったし、流れ星のほかはなにも
やってこなかった。“
“(波は)貨物船が遠ざかるのを見て、とり残された少女の悲しみを理解し
たのだ。もうがまんができなくなって、波は、ひとことも言わずに、そこ
から遠くないところへ少女をさらっていった、まるでその手をとるように
して。“
“船の手すりにひじをついて、海の沖合で夢見る水夫たちよ、夜の闇の中
で、愛する人の顔をながいあいだ思い描くことは避けたほうがいい。そん
なことをすれば・・・“
。。。
ノゾミが見るもう一つの夢、海に溺れるシーン。
これは、半ばの部屋遊泳と対。
。。。
済みません、以上原作の漫画を読まずに書きました。
誤解が多々あると思います。
お詫び申し上げます。
。。。
音楽は聴かず書きました。
写真は、今年の小津映画祭。
飯田は寒くなって来ました。
。。。
今日一日が皆さんにとって良い日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
また、この小文が皆様の何かの糧になりますよう。

主のお恵みが皆さんに豊かに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願い申し上げつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.11.20. 乗倉記す


「空気人形」を見る。

2011-11-19 22:55:49 | Weblog






東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
是枝監督の「空気人形」を見る。
最近の作品だし、世界的な賞に多く絡んでいるので、
詳細は省きます。
。。。
実は、未だ半分。
見た人は分かると思うが、
人形の女の子が、ビデオ店の店員と映画館で何回目かのデートする、
や、
部屋の中で遊泳する辺り。
そこで中断。
。。。
正直、東京に初めて/2回目に出てきた頃と痛切にダブる。
夢を抱いて、18で/38で。
。。。
もうこの年では、久しく忘れ去られていた都会の喧騒。
ふたえに。
一つは、都会で出会う何もかもが珍しい。
ただ、そこにいるだけでウキウキする。
一つは、そんな彼女が居て気になってた。
係累といって周りに誰も無く、孤独の中で、
そんな中、気になる人が出来て・・・。
一歩一歩、歩き始めてる。
。。。
そんな風に、だから、
思ひ出だけが妙に一人歩きし始めてて・・・
妙にしんどかった。
だから、一番ファンタジックな場面で中断。
。。。
挫折、思うから。
。。。
長屋の様な襤褸アパートに一人暮らし。
風呂も通い。洗濯もランドリー。食事は貧しい食堂で。
軒を幾つも潜って、窓から遠く港が見える・・・。
思ひ出を辿りながら、読みさしの本のページを急いで捲る。
「未来のイヴ」(V.リラダン;齋藤磯雄氏訳;創元社)。
。。。
ってより、
何かを吹っ切る様に、必死に探して、1年振りに続きを読む。
場所は偶然。
。。。
並べれば、映画の批評としてアンチ・テーゼ。
それを承知で・・・
2つ引く。
。。。
第2章 第六巻 ・・・かくして<幻>は生まれぬ! より。
“佳人の瞼は静かに、少しづつ、その曙のような雙の眼の上に閉ざされて
行った。バロスの大理石で作られたかに見ゆる雙の腕もまた動かなくなっ
た。-一方の腕は食卓に凭れかかり、他方の手は、青白い薔薇の花束を携
えたまま、クッションの上に垂れ下がってゐた。
近代趣味で飾り立てたオリュンポスのヴィイナス像のように、彼女はこの
姿態のまま凝結していまったかに見えたが、その顔の美しさは、この瞬間、
超人的な反映を帯びてゐた。“
・・・
“つまり、あの女の肉体にはっきりとその跡形が認められるヴィイナス像
との類似は、左様!あの類似は-要するに病的なものにすぎないといふこ
とだ。“
。。。
“・・・”の部分は可也シビアに書かれている。
肉体と精神。
ここは控えよう!
読んでください!
特に「空気人形」ペアで・・・。
。。。
で、
画面の中だけの架空の空気人形さんに/だからこそ、
恋してしまいました。
チラホラと・・・。
冷たい雨の様に、心に降ります。
。。。
で、今後の展開として、
空気人形さんは、実は地球侵略者・烏賊人間の回し者で、
これから徐々に本姓を現して来て、
人類と存亡を賭けた壮絶なバトルを・・・
密かに期待しつつ・・・
(本編は決してそんな内容ではありませんので!
悪しからず!)
。。。
リパッティ。
J.S.バッハ、ヘス編「主よ、人の望みの喜びよ」
~エネスコ「ピアノ・ソナタ第3番二長調」を聴きながら、は同様。
写真は、今年の小津映画祭。
飯田は寒く雨続き。
。。。
今日一日が皆さんにとって良い日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが皆さんに豊かに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願い申し上げつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2011.11.19. 乗倉記す


インターミディエット!!!

2011-11-17 14:35:10 | Weblog






。。。
東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
誤解が無い様申し上げて置きます。
最近、
Twitter(TwistToShout)、Facebook
許りでした。
時間が有りません。
それはいいのですが、
“福音”と書かれているのは、
「毎日の福音」(荒木関巧氏;オリエンス宗教研究所)
の引用です。
それに、わたしなりの祈りを付け加えています。
悪しからず!
そして、良かったらTwitterなども見てください!!
。。。
福音。年間33木曜。
「おまえは訪れの時を知らなかった」。
「人々の頑固な心に対する(主イエスの)嘆きと神の悲しみ」。
「エルサレム、エルサレム、預言者を殺し、派遣された人を石で打ち殺す者よ」、
「イエスがエルサレムに近づくにつれ、神の訪れの実現も迫って来る」。
主よ、救い主キリストよ。
あなたは聖書の中で、
“You have rejected the opportunity
God offered you“
とおっしゃっています。
何度、わたしは拒んだことでしょう。
主よ、救い主キリストよ、わたしの咎を許してください。
あなたを素直な気持ちで受け入れる恵みを、あなたから頂きたいのです。
主、イエス・キリストの御名によってお願い致します。アーメン。
。。。
写真は、茅野。
映画祭。無芸荘。
あと、雲古荘もあるらしい。
マカロニホウレンソウ。
キンドン(でしたっけ?)ちゃん。
神の訪れを待つには、無や雲がいい。
法(新約)を用意して・・・。
リパッティーは同じ。
。。。