徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

私・井手純〜帝国ホテル時代2-番外編⑤〜

2019-06-20 05:00:00 | 日記
「大荒れの婚礼」(続き)

新郎の父の肩書は精肉会社の社長であったが、もう一つの肩書があり、反社会的勢力の関係者でもあったようだ。
後に色々と解ったのだが、私は胸ぐらをつかまれた時に見た刺青ではっきりした。
朝からの接客で、何となく感じてはいたのだが・・・そして、新郎と母親の会話がよみがえった。
新郎の父はとにかく酒癖が悪く、何か事あるごとに暴れることが多かったそうで、その都度、警察に呼ばれ問題のある人物であった。
新郎の危惧していたことが起こってしまったのだ。
新郎は壁を叩いて涙を流していた。

私は、とにかく破かれたシャツを着替えに地下のロッカーへ行った。
その後すぐに戻ると現場にはホテルのマネージャー、予約を断った副支配人、それに宴会部の課長の3人が新郎の父と向かい合い、新郎の父は、椅子に座り、なにか大声で怒鳴っていた。
3人は床に正座していた。
そのうち、警察のいわゆる丸暴(暴力団対策課)の刑事が来た。
刑事は私服で、一人で来ていた。
顔見知りの様で、色々と話しをしていたが暫くして、刑事と新郎の父、そして若い衆3人はホテルを後にした。

その後、私は宴会課長の調書をとられた。
結果としてはレストラン部の対応に問題があったことになった。
この頃の宴会部とレストラン部の間には幾つかの問題があった。
宴会部で受ける仕事は人数もさることながら金額が多い。
今回の披露宴も軽く1000万円は超えるのである。
わずか3時間ほどでそうなるのであるから、宴会部としては、お客様のかなりの我儘も何とかしてかなえなければならないのである。
そのため、他の部署にかなり無理を強いることが多くあった。
それを上手にお互い忙しい中、つなげるのが社員同士の人間関係であった。

私としては、披露宴が大成功だったのでこの様な結末が残念でならず、なんにしても新郎が気の毒でならなかった。
犬丸一郎社長が昔より社員によく言っていた言葉が、「サービスは常に、100-1=0である。気を引き締めて最後の最後まで気を抜かないように!」であった。

徳川おてんば姫(東京キララ社)