ある日、休みの早朝に芝にあったゴルフ練習場に行くと練習場の真ん中に4~5人の人がいた。
(朝から熱心な人たちだな)と思いながら少し離れたところで私も練習を始めた。
少し気になったので、飲み物を買いに行く時に近くで見ると、なんと寛仁殿下であった。
周りにいる人はSP2人と練習場の支配人であった。
後ろで見ていると殿下も気にされ、私を見られ「なんだ、お前か。朝から熱心だな!」と言われたので「そのお言葉そのままお返しいたします。」と言うと殿下は少し笑われていた。
寛仁殿下は、叔父にあたる高松宮宣仁殿下を大変頼っておられ、よく高輪の御殿に来られていた。
また、スキーの大会などは御一緒に参加されていた。
宣仁殿下が薨去されたおりは、「お舟入り」のときに宣仁殿下が使われていた愛用のスキーの板をお棺の中にお入れになっておられるのを私は見させて頂いた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
(朝から熱心な人たちだな)と思いながら少し離れたところで私も練習を始めた。
少し気になったので、飲み物を買いに行く時に近くで見ると、なんと寛仁殿下であった。
周りにいる人はSP2人と練習場の支配人であった。
後ろで見ていると殿下も気にされ、私を見られ「なんだ、お前か。朝から熱心だな!」と言われたので「そのお言葉そのままお返しいたします。」と言うと殿下は少し笑われていた。
寛仁殿下は、叔父にあたる高松宮宣仁殿下を大変頼っておられ、よく高輪の御殿に来られていた。
また、スキーの大会などは御一緒に参加されていた。
宣仁殿下が薨去されたおりは、「お舟入り」のときに宣仁殿下が使われていた愛用のスキーの板をお棺の中にお入れになっておられるのを私は見させて頂いた。
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