(前回記事の続き)
水泳教室と言ってもかなり厳しいもので、ほとんど毎日試験があり、8級~1級まであった。
特に自信があったわけではないのだが、毎回の試験は次々に合格していった。
試験は、遠泳10㎞・潜水75m・順華(3mの高さから海面に垂直に飛び下り頭を潜らないようにする救助の一つ)試験の名前は忘れたが、3~4mのところに沈めた石を拾い上げ、立ち泳ぎでその石を手首から上に持ち上げて小舟の周りを一周するもの。
とキツイ試験ばかりであった。
ほとんどが、救助のための試験だった。
まだ他にもあったと思うが記憶にない。
夏休みが終わり2学期が始まった時、最初の授業でほとんど口を聴いたことの無い担任から私を名指しで前に呼び出された。
その担任はニコニコしながら、みんなの前で「井手君は見事に1級の試験に合格した。」と、褒められた。
学年で2名だけだったそうである。
褒められたのは最初で最後のことだった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
水泳教室と言ってもかなり厳しいもので、ほとんど毎日試験があり、8級~1級まであった。
特に自信があったわけではないのだが、毎回の試験は次々に合格していった。
試験は、遠泳10㎞・潜水75m・順華(3mの高さから海面に垂直に飛び下り頭を潜らないようにする救助の一つ)試験の名前は忘れたが、3~4mのところに沈めた石を拾い上げ、立ち泳ぎでその石を手首から上に持ち上げて小舟の周りを一周するもの。
とキツイ試験ばかりであった。
ほとんどが、救助のための試験だった。
まだ他にもあったと思うが記憶にない。
夏休みが終わり2学期が始まった時、最初の授業でほとんど口を聴いたことの無い担任から私を名指しで前に呼び出された。
その担任はニコニコしながら、みんなの前で「井手君は見事に1級の試験に合格した。」と、褒められた。
学年で2名だけだったそうである。
褒められたのは最初で最後のことだった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)