当時、ご主人の(母の兄慶光)は、私が物心ついたころ、ある事情でブラジルへ行っていたので”ともちゃん”にはお父さんが居ないのだと思っていた。
5月のこどもの日には庭に5~6メートルの柱を立て鯉のぼりが作られた。
それがとても羨ましかった。
後に分かったのだが慶光の姉である喜久子妃殿下が父親の居ない慶朝の為に作られたものであったことを知った。
ともちゃんは、あまり活発な子では無かった。
私と弟は夏休みのほとんどは宮家のプールで過ごしたが、誘いに行っても三度に二回は断られたように記憶する。
ある秋の日、3人で近くの高松中学校に潜り込み、もいだ柿をかじりながら校庭の周りの山の上を散策していた。
そこは木々に囲まれており、その木々の間から校庭で体操の授業をしている生徒たちが見おろせた。
悪ガキの私は、食べかけの柿をその校庭に向かって投げ込んだ・・・
そのまま、ぶらぶらと散策をしていると、体操をしていた中学生が我々に向かって十数人駆け上って来た。
私が投げ込んだ柿が先生に当たった様で、おそらく先生の指示で一斉に捕まえに来たのであった。
それに気が付いた我々は、慌てて逃げ出したが、小学生の3人はあっという間に捕まえられ、先生のところに連れていかれ懇々と怒られた。
ともちゃんと弟は私の巻き添えになってしまった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
5月のこどもの日には庭に5~6メートルの柱を立て鯉のぼりが作られた。
それがとても羨ましかった。
後に分かったのだが慶光の姉である喜久子妃殿下が父親の居ない慶朝の為に作られたものであったことを知った。
ともちゃんは、あまり活発な子では無かった。
私と弟は夏休みのほとんどは宮家のプールで過ごしたが、誘いに行っても三度に二回は断られたように記憶する。
ある秋の日、3人で近くの高松中学校に潜り込み、もいだ柿をかじりながら校庭の周りの山の上を散策していた。
そこは木々に囲まれており、その木々の間から校庭で体操の授業をしている生徒たちが見おろせた。
悪ガキの私は、食べかけの柿をその校庭に向かって投げ込んだ・・・
そのまま、ぶらぶらと散策をしていると、体操をしていた中学生が我々に向かって十数人駆け上って来た。
私が投げ込んだ柿が先生に当たった様で、おそらく先生の指示で一斉に捕まえに来たのであった。
それに気が付いた我々は、慌てて逃げ出したが、小学生の3人はあっという間に捕まえられ、先生のところに連れていかれ懇々と怒られた。
ともちゃんと弟は私の巻き添えになってしまった。
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