<ワン、ツー、スリーストライクでアウト。昔ながらのボールゲーム>。米大リーグの球場などでおなじみの曲「私を野球に連れてって」。一九〇八年の作曲というからおよそ百年、「昔ながらの」と野球ファンに歌い継がれてきた▼ミュージカルのファンには、同名映画のフランク・シナトラが懐かしいか。そう歌われた「昔ながらの」野球にまた変化の兆しである。米メディアによると、大リーグで敬遠のルール改正が議論されているそうだ▼打者を敬遠するには当然、投手は意図して四球を投げる必要があるのだが、これを見直して守備側の意思表示のみによって敬遠を認める方向で進んでいる。「投げない敬遠」である▼大リーグが導入を決めれば、日本のプロ野球も検討せざるを得ないだろうが、表情の険しくなるファンもいるか。確かに試合時間の短縮になるかもしれない。その一方で失われる「ドラマ」もある▼敬遠の球が大暴投となって三塁走者が一気に生還。敬遠球を狙ってのまさかの安打もある。敬遠に腹を立てバットを持たないで構えた強打者もいる。絶滅させるには惜しい場面である▼時間短縮といえど、それが手抜きや悪(あ)しき変化と映ればファンは「野球に連れてって」とはなるまい。だいたい、「敬遠にします」という味気ない、事務的手続きは球場では忘れたい仕事を思い出させるだけかもしれない。
大谷翔平shohei otani 163km プロ野球 最速更新 プロ野球交流戦 巨人vs日ハム クルーズ 全球 2016/6/5 #163km #大谷翔平 #日本最速 #163キロ
稽古始め
子どもに習い事をさせる時、始めるのはいつからが良いのでしょうか。
寺子屋や私塾では、初午に入門する習わしがあったそうですが、楽器や舞踊などの伝統芸能では、子どもが稽古を始めるのは6歳の6月6日から始めると上手になるとされています。これにちなんで、6月6日には「楽器の日」「邦楽の日」「いけばなの日」などが制定されています。
■世阿弥(ぜあみ)の著「風姿花伝」(ふうしかでん)が由来
室町時代に能を大成した世阿弥が著した能の理論書、「風姿花伝」の中にその由来の一つがあります。
「風姿花伝」は、子どもの成長とともに芸の稽古の有り様を説く「年来稽古条々」(ねんらいのけいこのじょうじょう)から始まっています。この冒頭に、「一、この芸において、おほかた、七歳をもてはじめとす」とあり、「習い事を始めるには数え7歳(つまり満6歳の年)がもっとも良い」と説いています。
大まかな内容は次の通りです。
「能楽の稽古は、だいたい七歳くらいで始めるのが良い。この頃の能の稽古は自然にまかせること。どんな子でも、やりたいようにやらせておくと、自然に出てくるやり方の中に必ず個性が見えてくる。型にはめず、その子の好きなようにやらせておくのが良い。
この頃はあまり細かく教えたり、口うるさく注意したりすると、やる気を無くしてしまう。
基礎的なことだけを教え、それ以上のことはさせてはいけない。子どもの中にはもっと演技ができる者もいるが、あえてそのようなことは教えないほうがよい。
格の高い大きな場所には出演させてはいけない。ちょうど良さそうな、その子の最も得意とする役柄で出してやるのがよろしい」
子どもを叱らず、のびのびと楽しく稽古させている姿が浮かぶようですね。
このような、「褒めて伸ばす」教え方は、現代の教育にも通じるところがあり、古さを感じさせません。
■6月6日の訳
江戸時代になると、歌舞伎の台詞として「6歳の6月6日の・・・」と6続きのゴロの良い言い回しが使われるようになり、それが定着し、習い事を始めるのは6歳の6月6日からというのが定着したようです。
また、別の由来として、数を数えるとき、親指から順に指を折って数えていくと、6のときに小指が立ちますね。「小指が立つ」→「子が立つ」ということで縁起が良い6歳の6月6日になったという説もあります。
■稽古の意味
ところで、「稽古」ということばの意味をご存知ですか?
「稽」は「考える」という意味で、「稽古」は「古(いにしえ)を考える」という意味があります。芸能や武術、技術などを習うことや練習することの他に、昔の書を読んでものの道理や故実を学ぶことも稽古といいます。
何かを習うとき、その習い事の由来や歴史を考え、伝統を大切にしながら身につけていきたいものですね。