決勝リール=モスクワ選手権2019 =ユース標準
映画『モルゲン、明日』予告編
コメント頂いた映画はこちらですね。
ネットでも見られるでしょうか?
見てみたいですね。
亡国紀という小説もいいですよ。
銃剣を喉元に、突きつけられたのだという。二・二六事件のその日、十七歳だった日本画家の堀文子さんは、自宅近くで、決起した軍人に呼び止められている。<死への予感と目前に迫り来る戦争の気配を強く感じた>と恐怖の体験を著書で振り返っている▼大正七年の東京生まれ。いやでも、混乱の中を生きなければならなかった世代だ。戦争では、航空隊の弟らを亡くした。家は空襲で焼かれた。幼少のころの関東大震災では、死を目の当たりにしている▼時代に絶望と死を突きつけられたところから始まった画家としての歩みであろう。名もない草花や鳥、獣たち…。画風を変えながらの長い活動で、描かれた作品には、命の美しさや自然の息吹を感じさせるものが多い▼絶望を知ればこそ、みる人の心に染み込んでくるような絵の中の生命感ではないか。「一所不住」と自ら言って、旅を続けた人でもある▼四十代で三年間、世界をひとりで放浪している。七十代の前半はイタリアで過ごした。八十歳を過ぎてヒマラヤに行き、高地に咲く花を探した。一生、何かを追い求めた人が先日、百歳で亡くなった▼特定秘密保護法の成立を受けて、平和への危機感をつづり、東京新聞に投稿していたのが五年前。九十五歳のことだ。少女時代、戦争反対を口にしたくてもできなかった。無念の思いも、長い旅の終わりに晴らしている。
Joson Austin - Dzneladze Nino, Pasodoble | Royal Cup 2018
がっぷりと組み合って、動かなくなった二人の力士には、一見、平和が訪れているかのように見える。実際は、力が辛うじてつり合っているにすぎない。夏目漱石は、これを「互殺の平和」と呼んでいる▼<現状を維持するに、彼等(かれら)がどれほどの気魄(きはく)を消耗せねばならぬか>(『思い出す事など』)。平和な日常を維持するためのわれわれの営みも、<まさにこの相撲のごとく苦しいものである>とも▼さまざまな力がせめぎ合う物の価格の世界にも、緊張と均衡の「互殺の平和」があろうか。どうやら、そこに変化が起きているらしい。大手メーカーによる飲料や食品の相次ぐ値上げ発表である▼二十七年ぶりに、一・五リットル入りの「コカ・コーラ」の希望小売価格が四月以降二十円上がる。物流費上昇などの圧力を受け続け、長く保ってきた均衡が、維持できなくなったようだ▼ほかにも四年ぶりという乳製品の値上げもある。他の大型ペットボトル飲料やカップ麺も列に連なる。理由はそれぞれだが、運送業界の人手不足などによる物流費上昇という要因は共通だ。労働人口の減少という難題が、食品などの価格に影響を及ぼしてきたということだろう。原油高など国際的な要因もあって、他の食品の値上がりも考えられる▼家計が土俵際に追い詰められたわけではないだろうが、消費税増税は近い。消耗はしたくない時だろう。
腕利きの営業担当者が書いた「指南書」を読んでいたら、セールスの技術としてなるほどと思うものがあった。売ろうとする製品の悪い面にも言及することだそうだ▼売るために製品の良い面ばかりを強調したくなるのが普通である。そこをあえて「少々高いですが」「ここはやや操作しにくいですが」と不便な部分にも触れる。お客さんはこの営業担当者に正直な人という印象を強め、心を開くようになるらしい▼とすれば、このセールスの人はさほど優秀ではないかもしれない。トランプ米大統領の一般教書演説の感想である。「空前の経済繁栄だった」「雇用は最高」「もし私が大統領になっていなければ、北朝鮮との大きな戦争で数百万人が犠牲になっていた」-▼この「営業トーク」はやや眉唾ものも含めて、自分の手柄と自慢が続く。米国第一主義や乱暴な政治手法に対する国内外の批判を見て、謙虚に反省する姿勢を少しでも示せば、大統領への見方も変わっただろうが、相変わらず、一本調子の売り口上である▼国の団結も訴えていたが、「分断」を招いたその人自身が態度を改めなければ、無理な相談だろう▼演説時間は八十二分で、近年では最長の八十八分に迫る広長舌。団結には「ハムレット」のポローニアスの台詞(せりふ)が必要である。「どんなひとの話も聞いてやれ。だが、おのれのことをむやみに話すでない」
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スーパーに鬼の面が置いてあった。きょうは節分である。鬼やらいの豆を買えば、一枚いただけるらしい。手に取ってみると、この鬼の面がまったく鬼に見えぬ。なるほど、顔は赤く角もあるのだが、怖くはない。それどころか、むしろ、かわいらしい▼昔もこの手のお面はさほど怖くなかったが、まだ鬼の不気味さは残っていた気もする。最近の「ゆるキャラ」まがいの顔を見れば、もはや退治すべき憎い鬼とはおよそ思えぬ▼節分とはいえ、あまり子どもを怖がらせてはという配慮もあるのだろう。そういえば、最近の幼稚園の豆まき行事では子どもを怖がらせないため、大人が扮(ふん)した鬼は登場させず、人形などで鬼を演じるところもあるらしい▼国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に選ばれた伝統のナマハゲに対しても子どもをおびえさせるのはいかがなものかとの意見があると聞いた。節分の鬼とは違うが、そういう時代なのだろう▼美術家の篠田桃紅さんが節分の鬼についてこんなことを書いていた。鬼とは冬の間に自分の心に棲(す)みつきそうになった化身であり、それを季節が変わる前の日に鬼やらいで追い払う▼無論必要以上に子どもを怖がらせることはないが、鬼が人の心の中に棲みつく悪心邪心なら、鬼の顔は怖い方が追い払うべき存在として教えやすいかもしれぬと思わぬでもない。鬼は内にあり。
タイタニック号には、沈没の一時間ほど前を含め一日に六回も氷山に関する警告が届いていたそうだ。高度の安全設計を誇っている船でもある(ダニエル・アレン・バトラー著『不沈 タイタニック』)。最近、豪華客船を世界に見立てた例え話にはっとさせられた。「私たちは、タイタニックの乗客のようだ。目の前の氷山を無視して、優雅な食事と音楽を楽しんでいる」▼発言したブラウン前カリフォルニア州知事は、世界の終わりまでを象徴する「終末時計」を動かす委員会の幹部を務める。米国のニュースによると先日、警告の言葉を発し、今は核の脅威などで「残り二分」であると発表した▼残り二分は昨年と同じだが、冷戦期の一九五三年と並ぶ最悪の時間だ。正しいなら、世の中は危機から目をそらしていよう▼昨年、米朝首脳会談で北朝鮮が半島の非核化への努力を約束した。わが国の上をミサイルが飛ぶこともなくなっている。危機を忘れさせる旋律かもしれない▼だが、氷山は消えていない。中距離核戦力廃棄条約を巡る米ロの話し合いが、物別れに終わったと昨日報じられた。失効が近づく。なにより北朝鮮の非核化が進んでいない▼二回目の米朝首脳会談の開催が、決まった。重要な会談を前に米国から非核化への悲観論が聞こえる。時計が正しくないことを祈るが、目をこすり暗い海をみつめる時だろう。