辻久子先生(バイオリニスト)が13日に亡くなられて、いろいろ思い出すことがありました。
天才少女と言われ、父親から英才教育(スパルタ教育)をうけ、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチなどの初演や、海外演奏会もされ、その半生は「弦鳴りやまず」というドラマにもなりました。
私が関西に来た時(東京出身)、関西を拠点に地域文化発展に貢献している音楽家といえば朝比奈隆氏と辻久子先生でした。まだまだ東京中心の音楽界でしっかり根を下ろされていました。
大阪芸大で何度かお見かけし、入学式でも演奏されたことを今でも覚えています。その後先生が建てられた、桜ノ宮弦楽アンサンブルホールにも足を運びました。
まだ、ネットのない戦前から演奏家として活躍され、オイストラフという名バイオリニストを師にもち、海外に目を向けながら関西という地域を離れず、名器ストラディバリウス購入のため自宅を売り(今の時代有名バイオリニストに音楽財団や大学が貸し出す場合があります)後進指導のため弦楽ホールを建て、お年を召されても、背筋をピンとされ髪を結いあげ教え子たちに、「音楽家である前に魅力ある人間、より高い理想、希望を求める人間に」と説き続けられた姿勢は頭が下がる思いです。
ご冥福をお祈りいたします