10月9日で手術して1年経過。
10月6日に都幾川は横松郷で落車、大した落ち方でなかったので、身動きとれない自分が信じられず、神経が切れた? 脱臼?そんな風な事を漠然と思った事を思い出しました。
峠の頂上付近で後続確認のため振り返った時の落車ですので、低スピードかつコテッと落ちた落車でした。
それがこんな苦労するとは、当時は全く思わず。
また手術そのものより、手術前に寝返りもできず、連休初日だったので、外科医不在で、4日間、足を牽引したまま過ごす。
身動きできず、白い天井とカーテンしか視界に入らない日々を過ごしたのが、とてもキツかったです。
手術した病院では、最初から人口骨頭を勧められ、具体的なリスクの説明もなかった事から、主治医とのコミュニケーションは良好ではなく、また効果の出ないリハビリに疑問を感じていました。
その後、かなり部位が離れていたのと、骨が一部欠損していた理由から、歩けない可能性が高いなどど指摘された事、治療方針が合わなかった事から今の病院にお世話になる事になりました。
まず、当時は自分の体に自信があったし、筋肉もすぐに戻ると思っていたので、3ヶ月程度で自力歩行し、ロードバイクも乗れるもんだと思ってましたが、現実はなかなか良くならない状況で焦りもありました。
まぁ焦っても状況は変わらないと開き直るまで多少時間はかかりましたが、開き直ると立ち直りは早い性格なんで(笑)
精一杯リハビリやってダメなら仕方ないと思っていました。
それと自転車も乗れない日々でしたので、仕事にはかなり集中できました。(爆)
そして今、歩けるようになるつつあるのは、息子の友人であるスポーツリハビリの先生の指導が大きいと思います。
とにかくキツイ、痛いの連続と、自宅での宿題リハが大変で、さすがに根を上げそうでしたが、根を上げて息子にチクられたら、親の威厳にかかわるので、頑張れました。(笑)
まぁ自転車乗りは、M的な活動は辛くても我慢できるようで、律儀にこなせたかもしれませんね。
今は、大分自力歩行が可能となり、杖も使ったり、使わなかったりしています。
でも階段は少々しんどいです。
右足の筋肉、尻の筋肉も以前のようにはいきませんが、やっとましになってきました。
今、家でのリハは、図書館で借りてきた筋トレの本を参考にして、ピン周りに筋肉を付けようとしています。
またレッグマジックも再開しました。
このピンは抜けるまでは、この違和感、痛みが続くと思うので、少しでも和らげるための筋トレです。
通院リハは歩く事から、ロードバイクへの復帰のリハになり、主に股関節の柔軟性を高めるリハです。
さて、この1年、いろいろ感じたのは、優しい社会の必要性。
こうゆう身になって一番感じたのは、障害者にもっと優しい社会環境が必要な事。
エレベーターの位置は優しくない駅が多くあります。
松葉杖が、滑りやすい素材を使っている公共施設も多くありました。
また、普通なら何も感じないような、歩道のいろんな段差もけっこう大変でした。
こんな事は、こうゆう身にならないと何も感じなかったでしょう
今、心配なのは壊死の問題。
これを防止するには、血流確保が重要らしいので、運動はかなり大切かと思っていますし、そのためにBD-1には乗らないといけないでしょう。
今冬は、壊死を乗り越える大きなポイントのような気がしてなりません。
抜釘は後1年後、と言われましたが、自分としては、長期休暇のとれる来年のGWあたりを目標にしたいと思います。
ただ、良くなったとはいえ、ロードバイクは、跨げないのでまだ無理。
ズボン履く時も、まだ立ったままはできません。
階段も苦手です。
出来ない事もまだ沢山あるので、普通の生活に戻るまで、後少し時間がかかりそうです。
頑張ります。