◇◆◇帰って来た嗜好の隠れ家blog◇◆◇

嗜好な事や色々の思った事を再び書き連ねます。

表の掲示板テストお願い

2009年05月03日 23時14分48秒 | HPの素材
こちらを御覧の方々で、OFFで筆者をご存知の方、
表の方のHPも見てたる方、見てた方が居ましたら、
表の方の掲示板が見れるかどうかテストして見て下さい。
いざと言う時、書き込もうとしたら駄目だった。
と言う事態に成らない様に、事前に試して頂きたいのです。

今回、かなりキツ目なアクセス制限の設定にしたので、
もしかすると、スパムが使うサーバと、同じ所を使用している人は、
弾かれると思います。
ですので、弾かれるかどうか、試してみてください。

もし弾かれる様でしたら、此処にコメント頂くか、
管理人までメールして下さい。

"2ちゃんねる"に嵌ったのは?2

2006年02月16日 23時42分00秒 | HPの素材
まだ、一般的では無かった2chは、パソコンに精通したディープな人しか居ない様な感じだった。
 そして各ジャンルの板の住人も、ライトな一般人が居ない為に、
その筋では精通した人が多く居た。と言う印象が有る雰囲気だった。
 だが、代わりに荒らしと呼ばれる人達も多く居るので、
住民に対して一目を置くも、ドップリと嵌り込む。
と言う様な事は無かった。

 が、筆者にとって、その状況に変化を来たしたのが、
2chで起きた一つの事件だ。

 それは、2001年の8月25日に起こったと言う、「2ch閉鎖危機」事件である。

 実はこの危機は、筆者もリアルタイムで(段々と板が消滅して行く様子を)
経験して居たのだが、その時「2chが無く成ってしまう。」と言う噂を目にするも、
悪い冗談だろう… 位な軽い気持ちしか無かった。
 実際、翌日には何事も無く元通りに戻って居たので、
絶対に管理人のひろゆき氏の、ドッキリだったんだな。と思っただけだった。
(実際、管理人さんは住民に悪戯をする事も有るらしいし)

 しかし、その数日後に、都民統一志向Jクラブで知り合った、
2チャンネラーだと公言している方が主将をしている、5人制蹴球チームのHPを見た時に、
そこの掲示版で、その管理人さんが、「2チャンネラーも捨てたもんじゃ無いね。

と言って、その時の2ch閉鎖を救った、UNIX板住民の活躍を記したフラッシュの、
リンクが張られていた。

 これを見た筆者は、非常に衝撃を受けた。
2chとは、だいたい嫌な感じの人の方が多いと思って居たが、
そうでも無くて、良い人も勿論沢山居るんだな。と解った事と、
またそんな人々が力を合わせて何かを成し遂げる様が、凄く格好良い。
と思ったからだ。
 また、そう言う風に、2chと言うコミュニティーの場を大切に思う人々も居るのだ。
と理解すると、全く見るイメージが違う様に感じた。

 要は、人間が好きか?嫌いか?と言う禅問答の様な問に似ていると思う。
 人間は、良い人ばかりではない。が、悪い人ばかりでもない。
それは人1人の中の心で言っても同じ事だ。
 良い心しか持たない人は居ないだろう。逆に悪い心しか持たない人間。
と言うのも、やはり居ないと思う。
 人間と言うのは、完璧じゃないから付き合っていて面白いと思うし、
そんな清濁併せ呑んだ状態をひっくるめて、人間だと思う。
 そう言う人間を、認めるか認めないか?
そんな問に似ていると思ったのだ。

 2chは有る意味人間界の、ネットの縮図だと思う。
なので、良くお偉いさんが、2chは犯罪の温床に成っているので、
潰すべき。と言う人が居るが、
 それは人間は犯罪を起こす生き物なので、絶滅させるべき。
と言っているのに似ていて、凄くうすっぺらい思考だと感じた。

 なので、そう言う酸いも甘いも有る。2chって、良いじゃないか!
と感じた訳です。

 その後、筆者も色々と2chで面白い体験をさせて貰いましたが、
それは、別の文章、”2chの楽しみ方”の項に譲ろうと思います。


UNIX板の活躍フラッシュ★ 

"2ちゃんねる"に嵌ったのは?

2006年02月12日 22時21分51秒 | HPの素材
 と言う様に、2chを見る様に成ったのだが…
(前回の見る様に成った記事からTB予定)

 見る様に成っては居たが、嵌る。
までは熱中しなかったのだ。

 見る板は色々有った。
今は世界史板や、日本史板。そして三国志戦国板。の様に、
枝分かれした板が一杯有ったが、当時は”歴史板”だけだった。
 その歴史板や、
 好きなサッカーも、サッカー板じゃ無くて、スポーツ板だったかも知れない。
話せる内容の範囲は、凄く多岐に渡って居るけど、
まだ今の様に細かく限定されたものじゃなかったと記憶している。
まぁそんな話はどうでも良くって、
 筆者が嵌らなかったのは、見ていてどうも受け付けない感覚が有ったからだ。

 それはどうやら”名無し”である。と言う事に原因が有るらしい事は判った。
名無しで有ると、顔が見えない(正体がバレない)ので、
言えない事も正直に書ける。と言う利点が有るが、
変わりに、不必要に場を荒れさせる書き込みをしちゃう痛い奴が多い事だ。
 中には、礼儀を欠くと、この様に世の中が上手く回らなく成るんだ。
と言う事まで頭が回らなくて、尊大な態度の馬鹿も居るのだろうが、
明らかに確信犯的に、人を挑発して楽しんで居る者も多く見受けられた。

 それが原因で、良く掲示版が荒れて居るのも見掛けたし、
殺伐と悪意と不毛が溢れる掲示版を見ているのは、ハッキリ言って気分の良い物では無いので、
正直頻繁に見ようとは思わなくなった。
(つづく)

"2ちゃんねる"を知ったのは? 2

2006年02月09日 23時15分34秒 | HPの素材
前回の続きです。

 まず始めに、前回、2chが98年終わり頃創設?と書きましたが、
創設は99年の5/30の様ですね。失礼致しました。
と言う事は、本当に黎明期から見ていた事に成るんですね!凄い!!

 まぁそんな事は良いとして、前回の続きです。
 筆者が2chを2chとして認識し始めたのは、
友人T君が、「面白いサイトが有る。」と言い出したのが切っ掛け、
 筆者は「へぇ~色々な話題が語れる掲示版なんだなぁ~」
とは思ったが、あれ以来、そこには足を運ばなく成って居た。

 しかしその友人の勧めで見て見ると、そこが2chだったのだ。
「あ!あのドラクエサッカー談議の場所だ!」と思ったが、
その時初めて此処の名前が2ch。だと言う事を知った。

 当時の2chは、名無しを利用して、本音を語る。と言うシステムから、
荒れる事もしょっちゅうだった。
 なので、ネットに精通したツワモノが集まる。と言う印象で、
実際に、ネットを使用した犯罪を扱った、アンダーグラウンド(UG)系の
リンクで紹介される事も多く、逆に2chからUG系な場所に飛べる。
と言う事も多く、その住民も、被って居る様に感じた。
 実際、やはり当時の書き込みの様子を思い出すと、
かなりの危なさと言うか、怖さみたいのは感じた。

 そんな感じで、ネットで事件を公表させる。と言う事も多く、
ニュースでも流れた、東芝クレーマー事件。も、
この2chを舞台に広がった事件だった。

 そんな中、友人が紹介したのは、ひょんな会話から、
97年に起きた。神戸の酒鬼薔薇聖斗事件の、未成年犯人って、
どんな奴なんだろうね?と言う物が出て、
友人が、「それだったら俺(写真画像)持ってるよ。
2chと言う匿名掲示版とか行けば、手に入るよ。」
と言う会話が有り、どれどれ…と掲示版のURLを教えて貰ったのがそうだった。

 まぁその時はそれだけで終わったのだが、その時、彼が、
「此処には匿名だから、ネットのどんな情報でも手に入る凄い場所だよ。」
と勧められたのが切っ掛けだ。
 その時初めて、匿名だからこそ盛り上がれる要素を認識したし、
話題別に板が分かれている(その中で更にスレで独自の話題が出来る)
と言う良さを認識し、定期的に閲覧する様に成った。

 こうして、2chを2chとして、筆者は認識した訳で有った。

次回は、2chに嵌ったのは? に続きます。


ウィキペディア2ちゃんねるの歴史
2ch裏の歴史と噂話と真相☆(アンチ系)

"2ちゃんねる"を知ったのは?

2006年02月06日 23時54分56秒 | HPの素材
現在、日本国内でも最大と言われている”2ちゃんねる”
 筆者は、その2ちゃんねる好きを公言して憚らない存在の様に、
仲間内では見られる存在に成ってしまっているが、
では、筆者はいつ2chんねると言う存在をしったのか?

 今回はその事に付いて書いてみたいと思います。

 筆者が初めて”2ちゃんねる”と言う存在を知った(訪れた)のは、
一般の人のペースで言うと、意外に早い時期だと思う。

 2ちゃんねるが出来たのが、98年の終わり頃?らしいのだが、
筆者が初めて訪れたのは99年だと思う。

 その時は、その場所が2ちゃんねるだと言う事は、知らないで訪れたのだった。
切っ掛けは、筆者が応援している都民統一志向Jクラブの前身、
某実業団時代から応援サイトを開いていた老舗サイト○京中○思想と言う所の、
管理人氏がTOPで紹介した。某スレッドだった。

 確かスレタイは、「サッカーの事をドラクエ風に書くスレ」みたいなタイトルだったと思う。
 内容はその名の通り、サッカー界の時事ネタを、ドラクエ風に表現して書く。
と言う物だった。

例:
「トルシエが現れた」
「トルシエはフラットスリーの呪文を唱えた」
「しかし何も起こらなかった」
「協会はトルシエに苦言の呪文を唱えた」
「トルシエは辞任の呪文を唱えた」
「協会は混乱した」

 みたいな事が、延々と書かれて居た記憶が有る。

 お勧め面白ネットな感じで紹介されて居たので、
確かに読んで面白かったが、書き込みして居るのが”名無しさん”と言う同じ名前の人がやたら居て、
システムが判らない筆者には、何の事だか理解できず、そのまま記憶の彼方に去った様な気がする。
 これが、2ちゃんねる。と意識はして居なくても、
後で考えるとあれが初体験だったな?と思い起こせる出来事だった。

 その後、2ちゃんねる。とちゃんと理解して体験する時も来るのだが、
それはまた後程…

エピソード0 外伝二 -2

2005年11月20日 23時36分12秒 | HPの素材
蹴球馬鹿への道 エピソード0 その2-妹、中西永輔に惚れる- 二話

これの続きです。

 中西がどのチームに入団したのか、判らなかった妹だったが、
遂にそれを発見する時が来る。

それは、当時サッカー好き芸能人の第一人者として、有名だった、
”とんねるず”の木梨憲武氏が、自らの欲求を満足させる事が一番の目的なのでは?
と思われる、『とんねるずの生でダラダラいかせて』の人気コーナー、
PK職人、木梨憲武と、当時人気絶頂だった、Jリーガーとの対決。と言うコーナーだった。

 このコーナーは、Jリーグ各球団の人気選手と、GKのレギュラー(落ちてもサブ)が、
木梨憲武と、元日本代表GKだった田口氏とが、PKで対決して行く、と言う物だ。

 妹は、この番組の企画で、きっと新人一押しな彼は、その入団球団代表として出てくる筈!
と言う読みの元、この番組とコーナーを、毎週見続ける事を決心する。
その執念が実ったのか、何と東日本鉄道古河電工連合市原の代表が、この中西だった。

 遂に見付けた愛しの中西。
勿論選手の名前とチーム名は、二度と忘れる事は無い様に、頭の中にインプット!

 かくして、これで、妹のJ開幕後の、応援チームは決定したので有った。
このJ応援の決意が、その後、筆者の運命や、
その後筆者と蹴球で関わり合っていく人達にも、
影響が出る凄い出来事の切っ掛けに成ってしまうとは、
筆者自身も、まだ知らない事実で有った。

 これ以降、妹はミーハーサッカー雑誌の大御所、サッカーaiが愛読書と成った(苦笑)
ちなみに、その後は中西の事を、今でも中西さんと尊敬の念で、さん付けで呼んで居る。
 あと、更に蛇足だが、その後中西以外で嵌った選手は、
一時東京の貴公子とも呼ばれた、佐藤由紀彦等も居る。
彼の事は、彼が高校二年時代(全国制覇)から追っ掛けをして、
次の年には、優勝候補筆頭に上げられながら、初戦敗退してしまい、
会場で有った西が丘から泣いて帰って来た。と言う、熱いエピソードも残している。

 ちなみに、その時対戦相手だったキーパーが、無失点に抑えた事で敗退したので、
それ以降、その対戦相手のGKが大嫌いで有る。
 そのGKは、何を隠そう、現日本代表GK、楢崎性豪(←字間違ってます)その人で有る。

 そんな感じで、妹は、Jリーグを見る事を決心したのだった。

蹴球馬鹿への道。妹外伝、終了。

エピソード0 外伝二

2005年11月11日 23時58分35秒 | HPの素材
蹴球馬鹿への道 エピソード0 そのに2-妹、中西永輔に惚れる- 一話

 何故、筆者の妹が、東日本旅客鉄道-古河電工連合市原を応援しようと思ったのか?
それはJリーグ開幕する年の、約一年半前まで遡る。

 この日は、その年の高校選手権決勝。毎年の正月の風物詩と言えばコレ。
この日、何の気無しにTVを点けた妹は、実はサッカーは好きなスポーツ。と言うだけ有って、
他に見る物も無いと言う事も有り、思わず目を止めたらしい。
 対戦チームは、東京都代表の、帝京高校 対 三重県代表、四日市中央工業高校。

 この時の両校には、来年から開幕する、Jリーグのチームに入団が決まっている
スター候補も多く、結果は両校優勝と言う凄まじい記録を残した、名勝負と成った試合である。
 この時、やはり地元東京だからと言う事で、始めは東京代表の帝京を応援(贔屓目)で見ようかな?
と思ったらしい。
 しかし、よく見ると、帝京の方は何だかゴツイ顔をした選手が多く、
方や四中工は、さわやかな良い男が多かった為、女で有る妹は、
迷わず、”地元より良い男!”として、四中工を応援する方針に変えたと言う。

 まぁ確かに、帝京の方はゴツイ選手が多いよね。
だって、G大阪の松波とか、元FC東京の小峯とか…

小峯とか… 小峯とか… 小峯とか!

 あのブサイクキャラを、この時から嫌ってたって言うのも、妹はかなりマニアですね(苦笑)

 かたや、当時ゴールデントリオとして女の子の間で既に大人気に成っていた。
小倉隆史・中田一三・中西永輔。う~ん、格好良いね!(?)
 まぁそんな感じで、当時同年代ではTOPクラスなそのプレイ振りもあいまって、
妹は中西に一目惚れをしてしまったらしいのです。

 そして、試合も終わり、感動と共にその年の選手権は幕を閉じたのだが、
なんと妹は、中西の顔は(惚れたので)覚えて居ても、その名前をド忘れしてしまったのだった(苦笑)

 痛恨の健忘(汗)

 しかし、この大チョンボにもめげず、この中西の正体と、入団するクラブを発見する為に、
妹は執念を燃やす事に成る。

 さて、妹は無事に中西の名前と、入団するJリーグのクラブを発見出来るのだろうか!?
手がかりは、四中工のゴールデントリオの一人。と言う事と、
ゴールデントリオ、と呼ばれる位だから、三人共、何処かしらのJクラブからオファーが来て居て、
きっとプロに成るだろう。と言う、単なる勘とも言えなくも無い、根拠の無い推測だけである。

 はたして妹の恋の行方は!!!???

次回、請う御期待。           次回:妹、中西を発見!チーム応援を決意!の巻

エピソードⅡ 1回

2005年10月12日 23時26分13秒 | HPの素材
○○o、の蹴球馬鹿への道 エピソードⅡ -○○o、首都実業団チームにハマル- 第1話

この話は連載物ですので、話の繋がりが知りたい方は、↓のページで、エピソードⅠを御覧下さい。
サッカー馬鹿への道

 ドーハの悲劇に遭遇して、筆者はサッカー観戦の楽しみと興奮を実感して、Jリーグを見る事にした。
 しかし、どのチームを見る(応援する)かは、全くの白紙で、正直どうしようかと思った。

 が、ちょうど良い具合に、家族の中で、このJリーグブームに思いっきり乗って居る者が居た。
 それは筆者の妹だった。

 長年家族をして来たが、今まで妹がサッカー好きだと言う事実と言うか、記憶が全く無い、
なので筆者はテッキリこのミーハーな波に飲み込まれてしまったのだろう… と思って居たが、妹の話では、実は小さい頃からサッカーは好きで、スポーツの中では断然サッカーが好きだ。との事だ。
 兎に角、妹はJリーグ開幕以後、毎週欠かさずJリーグを欠かさず見続けて居る。
と言う事実は、開幕以後チャンネル権争いを戦って来ていたので、良く解った。

 そんなミーハーだと思って居た妹だったが、筆者はテッキリ、このブームに乗ったのだから、応援(見ている)して居るのは、当然、一番の人気チーム”緑色川崎”なのかな?と思ったが、しかしその想像は全くの外れで、なんとそのチームは、東日本旅客鉄道-古河電工連合市原だった。

 え?何そこ…

 って感じで有る(汗)
筆者も、前身の古河電工サッカー部が、日本リーグ時代一の、古豪名門チームだと言う事位は、朧気ながら認識して居るが、
 Jリーグのチームと成ってからは、ちょっと地味な印象だなぁ~
と言う感じだった。
 一応開幕直前に、西ドイツ時代に大活躍した、スーパースターのリトバルスキーとか言う凄い選手が居るらしい。
と言う位の話を聞いて、ふぅ~ん…と、力無く納得する位の印象です。

 まぁ、でも、サッカー(と言うかスポーツ)は、どちらかを応援(贔屓目)で見る方が、断然面白い事は知っているので、取り敢えずは、妹が応援している。このラスタカラーのチームに、肩入れ気味にTV観戦に参戦する事を決めたので有る。

 さて、このラスタカラーを見始めた筆者は、今後どう成って行くのか?

続く…



蹴球馬鹿への道、番外編。-妹、Jリーグ応援への道- も執筆予定。

地元関連の企業・団体

2005年07月25日 22時29分22秒 | HPの素材
 シリーズ第3弾!今回は地元に所縁の有る企業・団体を紹介します。
ちなみに、取り上げる企業や団体は、色々な企業イメージとかも有ると思いますが、
そう言う物は勘案せず、純粋に所縁の有る所を紹介致します。

注) 此処を切っ掛けに、掲載企業(団体)が、地元J目指しチームの、
スポンサーに成ってくれたら良いなぁと個人的には思いますが、
あくまで個人的な感想で、チームの方針等に関係して居る訳では御座いません。

東芝-TOSHIBA-東芝
日本を代表する国産電機メーカーなので、説明は不要でしょう。
地元には、社内有数の工場が、かなり早くから有り、工場の有る地区は
東芝町と言う町名まで付く程、地元とは密着した関係。
社内部活動の代表的チームも、殆どがこの工場を拠点として居る。
嘗ての野球部は、都市対抗の名門として名を馳せ、元部員には
三冠王、落合博満選手も輩出して居ます。
ラグビー部では、トップリーグ以前からも、実業団名門として、
神戸製鋼と覇を争う存在で、日本代表選手も多く輩出して来ました。
サッカー部は、川崎に有った東芝サッカー部が、札幌へ移転してコンサドーレと成り、
消滅したので、現在は社内トップチームと成って、関東リーグ二部に所属しています。
そして市内最強サッカーチームでも有ります。

NEC
日本電気。こちらの国内を代表する企業で、国産パソコンの製造で、昔から有名です。
この会社も、本社は有りませんが、有力な事業所が、市内に有り、
大企業としては、市内を代表する関連企業です。

サントリー
こちらも、国内4ビールメーカーの一角として有名ですが、
関西系企業なので、本社は関西に有ると思いますが、
市内に国内有数のビール工場が有ります。
 この企業のビール主力商品である。「モルツ」の、丹沢山系の物は、
この工場で生産されています。
また、此処も、ラグビートップリーグのチームを有し、
東芝と共に、地元ダービーを繰り広げています。

さくらコマース
アミューズメント施設の展開を初め、焼肉屋等を展開して、市内に密着した企業です。
この名前よりも、「モランボン」と言う名前の方が、一般的には有名かも知れません。
 その焼肉で、焼肉のたれ「ジャン」は、全国的な大ヒット商品と成り、
その後スーパーマーケットの経営もされて居ます。
最近では、旅行代理店も始めたみたいですね。
 ちなみに、こちらの社長さんは、競馬の馬主さんとしても名を馳せて居ます。
競馬馬で、「サクラ~…」と言う号名の馬は、だいたいこの社長さんがオーナーです。

ドン・キホーテ
こちらも、最近若者が深夜にまで買い物を楽しんで居る場所。として、一躍有名な企業と成りました。
現在、本社は市内では有りませんが、此処の一号店(本社)が、長く市内だけに細々と有り、
まさか此処まで大きく成長する企業に成ろうとは、昔から知っている市内の方は、
思いも拠らなかったと思います。
 ドンキの原点は、地元に有ったのです!!

サンドラッグ
近年の安売り品揃え薬局が急成長の兆しを見せた時に、その流れに乗り、急成長を遂げたのが
この”サンドラッグ”です。赤い看板が目印。
一般的には、余り地元との繋がりの印象は有りませんが、なななななんと!
この会社の本社は、市内地元に有るのです!

青木屋
此処は、昔から有る。地元密着な和菓子屋さんなので、企業と言うイメージは少ないと思いますが、
現在は多摩地区各所に店舗を構え、市内には本格的工場も備えるまでに成りました。
また、スマッシュヒット商品として、”武蔵野日誌”と言うチョコお菓子は、
かなりファンも多く、贈答品等に重宝しています。(ちなみに首都Jチーム株主です)

丸玉屋小勝煙火店
江戸時代から伝わる国内最大の、花火会社で、国内の多くの花火大会では、この会社が関わっています。
あの大川(隅田川)の花火大会や、三多摩最大の調布花火大会も、この会社がやっております。
こちらの経営者は、地元名士一族でも有ります。(ちなみに首都Jチーム株主です)

うちでの小勝(府中スポーツガーデン)
多分、確証は無いのですが、↑の会社とは、関連会社か、一族は同じ系列と思われます。
地元名士一族で、元はゴルフの打ちっ放し場でしたが、その同じ場所で、
現在はフットサルコートも経営して居ます。
フットサル処地元初のフットサル場と言う、意外な一面も有ります。
こちらは、現在、既に地元J目指しチームのユニフォーム胸スポンサーです。

JRA
日本中央競馬会です。この組織が所有する。東京競馬場は勿論地元に有ります。
地元J目指しチームのイメージカラーが、茶色なのも、
この組織が運営する馬に由来して居ます。
国内最大で、一番権威の有る。「日本優駿」も、此処東京競馬場で開催される、
関係の深い組織です。

フォーリス
地元駅周辺の建設予定地の地権商店が集まって、共に作られた”伊勢丹(○○店)”と
併設する様に作られた、ショッピングモールです。
中には有名ファーストフード店等も出店して、市内の中心と成るべく有ります。

くるる
フォーリスの隣に、同じく人が集まる施設を!と言う事で建てられた施設です。
中には、市内有名ラーメン店や、映画館等、さまざまな娯楽施設や店舗が有ります。

JAマインズ
JAとは、所謂”農協”です。
地元を含む、周辺地域を担当統括する農協で、地元農家が良く利用する組織です。
他地域のJAでは、Jチームと提携している事も多く、JAデーみたいな感じで、
来場者に野菜や特産品を配るチーム等も有るので、是非地元チームとも提携して欲しいです。

地元の芸能人・有名人

2005年07月24日 20時16分54秒 | HPの素材
 先日の連載記事第二弾として、今度は地元出身or所縁の有る芸能有名人を書いてみます。
意外と居るのでビックリですね。

まず第一は…

見栄晴君:
 言わずと知れた、欽ちゃんファミリーの中堅どころ。「欽どこ」で一躍有名に成ったタレントです。
 現在は、地味ながら堅実なタレント活動を行って居り、そして今では、芸能界一のギャンブラーとしても有名です。
図らずも、地元も賭博の街と言う背景も有り、自らも、地元のそんな風景が、凄く居心地が良い。
と言う様な事も番組内で言ったとか、言わないとか。
 でも地元目指しチームも、ギャンブルな物をモチーフにして居るので、これを切っ掛けに、興味を持って頂ければ!
と思います。

赤木春江さん:
 こちらも、言わずと知れた大御所女優。近年は、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の鬼姑が嵌り役で、
ヒールなイメージも強いかも知れませんが、往年の「金八先生」好きには、女性校長先生でも有名だ。
そんな幅広い演技力を持つ彼女も、今は家族とこの土地に根ざしてお住まいに成る。地元っこだ。

大原麗子さん:
 もう、NHKの大河ドラマの、主役を勤める程の、大女優さんですね。
この方は現在は地元にはお住まいでは無い様ですが、地元出身者です。
なんと筆者は、彼女の在籍中学校の後輩です!!(中学時代途中で転校したらしいです。)

デーモン小暮閣下:
 こちらも、言わずと知れた。日本でヘビーメタルと言うジャンルを、メジャーな形で世に知らしめた、
聖飢魔Ⅱのヴォーカリストで、偉大なロックンローラーです。
 その風貌から、際物っぽい見方もされますが、その歌唱力は本格的です。
 市内町名で言っても、筆者の町名とは隣に位置する町名に住んで居る(出身?実家?)のです。
サッカーのサポーターは、よくロックミュージックをサポーターソングに使い成功しているので、
是非地元所縁の曲として、彼らの曲で格好いい曲を使って応援してみたいですね。

安部譲二氏:
 この方は、ちょっと番外編的、扱いに成るかも?ですが…
本人的には、筆者の地元は良いイメージは無いと思うのですが、
一応、彼の成功著書「塀の中の懲りない面々」の、”塀”も、地元には有る物で…
彼の成功には、筆者の地元も欠かせない訳です!?

小室哲哉氏
 言わずと知れた敏腕音楽プロデューサー。地元35周年市報で、市長と対談する程の、
地元出身有名人です。
何故訂正腺を引いて居るかと言えば、彼は地元J目指しチームを、
応援してくれない事が、確定しているからです。
 と言うのは、彼の奥様の出身、”大分トリニータ”を応援して居るからですよ。

 これらの有名人が、これを見たのを切っ掛けに、地元J目指しチームの応援宣言とかしてくれると、
マスコミが騒いだりして、活気が出て嬉しいですね。



見栄晴(浅井企画内)
H.E.DEMON KOGURE
安部譲二”大人気ないオトナ”

地元所縁の代表的サッカー選手

2005年07月22日 22時11分58秒 | HPの素材
 筆者のサイトでは、地元J目指しチームの応援ページも開設している。
そこでそれの追加コンテンツとして、地元に所縁の有る(有った)サッカー選手や、
地元出身or所縁の有る有名人。企業や団体等を紹介するページを、
作ろうかと考えています。

 そこで、そのコンテンツ作成に先立って、こちらのblog読者の方々に、
それらを連続企画として順次紹介したいと思います。

 筆者の地域は、今でこそフットサルの聖地みたいに言われていますが、
元々その素地と成ったのは、少年サッカーで全国区なチームが有った為、
そのチームを中心に切磋琢磨して、サッカー処と成ったからです。
 そう言った意味で、フットサルで無くて、サッカーで、
国内トップリーグを目指そう!と言うチームの意気に感動し、応援しています。
 そんな土地なので、今でも第一線級で活躍する、市内に所縁の有る選手も大勢存在します。
 と言う事で、まずは、表題の通り、代表的なサッカー選手の紹介です。
 この文章が切っ掛けで、下記選手が、支援チームに何らかの形でも携わる様に成ってくれたら、
嬉しいですね。(入団してくれると更に嬉しいですが)

鈴木将方(元ジュビロ磐田の選手)

:彼は地元で国内最初のJリーガーです。
JFLの東芝時代にゴールを量産して活躍し、それを切っ掛けに、
その年に、J昇格を決めたジュビロ磐田に移籍、
数試合出場しました。
最初の選手として、当時地元の星でしたね。
その小さい身長から、チビマサと呼ばれ愛されました。

滝澤邦彦選手(JEF-U千葉の選手)

:地元では7FC出身の様です。高校で高校サッカーの雄”武南高校”へ行き、
そこから名古屋グランパスエイトに入団して、Jリーガーへ
この時、欧州の名将、カルロス・ケイロスが監督をしていて、
彼に、「こいつはレアルマドリーに行っても通用する逸材だ。」
と言わしめたらしいです。
その後、ヴィッセル神戸へレンタル移籍。現在はジェフユナイテッド千葉に在籍です。

中村憲剛選手(川崎フロンターレの選手)

:市外だが、地元最強豪少年サッカークラブに入団し、
都立高校のサッカーの雄、久留米高校 - 中央大学と進学し川崎へ入団。
チームと共にJ1へと舞台もステップアップ!

保坂一成(ヴァンフォーレ甲府)

:地元最強豪少年サッカークラブに入団し、
その後は、当時地元サッカーシーンのエリートコース。ヴェルディーユースへ入団。
J2のヴァンフォーレ甲府へ入団して、Jリーガーに。

馬目茂樹(佐川急便東京)

:地元実業団最強チームに所属し、そこからステップアップして
現在、JFLの強豪”佐川急便東京の点取り屋として活躍する。


--------番外編------------

伊藤雅範(地元J目指しチームフットサル部門)

:地元高校に通い(サッカーはヴェルディーユース)、
大学も名門、そこから自身の地元から近いスタジアムのJリーグチームへ入団。
その後、現所属チームに来て、フットサルでは日本代表に

島村有(シュッツトガルドキッカーズ)

:市内サッカーシーン(男子)で、唯一海外にチャレンジを果たした選手。
現在はドイツ、ブンデスリーガの下部リーグのチームに所属し、
サテライトで頑張っているみたいです。

澤穂希(日テレベレーザ)

:女子サッカーでは、日本では絶対的なエースとして君臨する女帝です。
女子ながら地元最強豪少年サッカークラブに入団し、
男子の中でもレギュラーを勝ち取る程の逸材だった。
Lリーグにも若年から参加し、更なる飛躍を求めて、
強豪リーグの米国へ渡り、そこでも活躍した。
女子の世界では、世界的にも名選手である。
彼女の存在が、地元のサッカーの、レベルの高さを、
大いに知らしめたと言っても過言では無い存在。 

御気楽蹴球馬鹿への道(エピソード0)

2005年07月03日 02時16分21秒 | HPの素材
 と言う事で、早速HPの文章系コンテンツの素材を書こうと思う。
 今回は既にエピソードⅠを完成させて居る所だが、その外伝的話で有る”エピソード0”のお話。
 外伝なので、余り重要でも無く、有っても無くてもどうでも良いと言えば良い文章と言う事で、
試験的に始めるなら差し障りが無く丁度良いお話なので、この話にしました。


 時は1998年、2月某日深夜。場所は川崎の某所、国道409号線を走る白い軽自動車のワゴンの車内。
 この時の昨年末に開通した、東京湾アクアラインを見に行こうと集まった、筆者以下友人4名。
 メンバーは、筆者、全て親友で、Y水君・O川君・I川君であった。
 海ほたるの雄大な摩天楼の景色を観終わったメンバーは、皆感動の後でか少し疲れた様に無口で、
少し車内が静けさが漂う感じで、車は淡々と家路に向かって居た。

 そんな中、運転して居る筆者がふとした事に気付き、その静寂を破り話し始めた。
「考えて見たら、今日のこのメンバーって、俺以外は皆サッカー経験者なんだよね?」
「俺も今はサッカー凄く見ているし、また童心に帰ってやりたい気持ちなんだよね。」
「俺ら友達でサッカーチーム作ったら面白そうじゃない?」と

 Y君とO君は小学校中学校が同じで、中学では同じクラスにも成り、授業で二人のスキルの高さは良く知っていた。
もう一人のI君も、クラスは一緒にも成ったが、授業等でのサッカーの印象は正直強くなかったが、
転校以前は市内の名門少年サッカークラブでレギュラーだったと聞くし、それが頭に有ったので、
この話題を思い付いた。

 するとメンバーもなかなか盛り上がって来て、それは面白そうだ。とか、あいつも入れたら面白いかも?
とか、俺はこのポジションがしたい!と言う様な、具体的な話まで出て来て、かなり熱の籠もった話に発展した。
 ○サダは市内の陸上短距離記録保持者だったので、誘って岡野みたいな俊足FWにしたら面白そうだ。とか、
元々I君の友人だが、紹介され今では共通友人と成ったK村やF倉も話題に上る。
 「そう言えば、Iの別荘M原のゲーセンに行った時、サッカーゲームがやたら強くて、何人抜きもしてた。
曰く経験者らしい事を言ってた。」と筆者が言えば、Iが…
 「F倉は学生時代サッカー部でテクニシャンだったらしいし、今も一緒にスポーツすると万能だ。」とか、
 色々な話が出て、非常に盛り上がったのを記憶している。
 そして、いつかこの構想が具体化したら良いね。面白いね。と言う、夢の結論に到達して、帰途に着く事に成った。
 しかしこの時のメンバーは、帰宅までのただの暇潰し、位に考えて居たので、話の内容等は直ぐに忘れた事だろう。
 が、一人筆者だけは、この日のこの会話がずっと記憶の片隅に有り、この会話が、
よもやフットサルチーム結成への触媒に成ろうとは、この時、誰も気付いては居なかった。

 勿論、この筆者までも…

追記: ちなみに時間軸はエピソード0なのにエピソードⅠ~よりも現在に近い話に成っちゃってます。
これはエピソードⅠ~が、サッカー自体に深く嵌って行ったのは何故か?と言う話から初めて居るからで、
このエピソード0は、フットサルチーム結成にスポットを当てた場合の、
チームを始める最初の最初の切っ掛けに成ったエピソードだからです。
 元々このコンテンツは、フットサルチーム結成秘話として書き始めた物で、
フットサルチームに関する話がメインだった為です。
 本編がそれよりも過去から始まるのは、便宜上、自分がフットサルを始める切っ掛けに成った、
サッカー好きに成る話から語った方が面白いと思ったからです。
 なので、時間軸の前後は、余り気にしないで下さい(苦笑)

ちなみにエピソードⅠのコンテンツは、リンクの筆者HPから、蹴球全般 → 御気楽蹴球馬鹿への道
で読む事が出来ます。