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続:口是禍之門

2009年01月21日 00時00分00秒 | 雑感
この言葉は、中国の五代十国時代で、何と六王朝に(うち五朝は大臣として)仕えた。と言う、
この時代を代表する政治家、“馮道”の著書、『舌詩』に有る言葉です。
日本語に訳せば、「口は災いのの門」と言う事で、
日本に流布して居る「口は災いの元」の語源とも成った、故事成語です。

この馮道と言う人物は、乱世の中、中原王朝の殆どで、大臣として活躍した、
と言う、非常に変わった経歴の人物。
これだけ多くの王朝に仕えた為に、後世の儒教&中華思想の強まった中国では、
忠誠心の無い破廉恥漢として、批判をされました。

しかし、逆に乱世だけに、敢えて常に中央政権の中枢で
影響力を持つ事で、民衆を守ろうとした人物でも有ります。
中でも、北方騎馬民族の、契丹族(モンゴル民族の一派?で、現在のキルギス共和国の元の民族)の遼王朝が、中原に進出して、
騎馬民族として、民衆は戦利品位の意識しか無い彼らは、
民衆を安寧させると言う概念が無く、民衆を皆殺しにしようとした時、
外交交渉の過程で、その人物を見込まれてしまい、この王朝にも仕える事と成った馮道は、
時の皇帝に「今、人々を救えるのは、仏以外は、陛下だけです。」
と言って、煽て、諌め、民衆の虐殺を止めさせる等、
命を張って、説得(口)により、世の中を動かした人物です。
(このエピソードが、逆に中国では、下等な騎馬民族ごときを仏と同列に例えた、
として後世に批判をされました。)
ですので、どちらかと言うと、本国よりも、中華思想が薄い、
日本の方が、彼の評価は高いのでは無いかな?と思います。

この様に、格言は「口は災いの門」ですが、彼自身は災いを気にせず、
口によって命を掛けて歴代皇帝を諌めた人物なのです。

逆に、こう言う人物が言った「口は災いの門」と言う言葉だからこそ、
凄く重みが有る言葉だと思います。

筆者は、よく調子に乗って軽口を叩いてしまい、
後で「あー失礼な事を言ってしまったな。」とか、
「悪気は無かったんだけど、傷つけてしまったかも?」
と、後に成って後悔して、反省する事が多かったので、
今年は、この格言を胸に、言葉に気をつけよう!と思いましたので、
今年の書き初めは、この言葉にしました。

ちなみに、この故事成語は、筆者の歴史コンテンツの、故事成語でも、
取り扱う予定な位の言葉です。