◇◆◇帰って来た嗜好の隠れ家blog◇◆◇

嗜好な事や色々の思った事を再び書き連ねます。

中国歴代皇帝、独断評価ランキング

2006年04月06日 22時50分36秒 | 世界@名無史楽家
唐突ですが、中国で歴代王朝に、それぞれ居た数多くの皇帝、
その皇帝の中で、誰が一番優れて居るか?魅力的なのか?を、
筆者なりに考えてみました。

 以下は、そんな結論の元、導き出した。筆者の独断と偏見ランキングです。


順位:王朝:廟(帝)号:即位前の名前

1位 :東漢:光武帝 :劉秀
2位 :明 :洪武帝 :朱元璋
3位 :唐 :太宗  :李世民
4位 :西漢:高祖  :劉邦
5位 :宋 :太祖  :趙匡胤
6位 :明 :永楽帝 :朱棣
7位 :清 :康熙帝 :愛新覚羅玄
8位 :西漢:武帝  :劉徹
9位 :隋 :文帝  :楊堅
10位:秦 :始皇帝 :エイ政


 見ると、やはり動乱を統一した皇帝や、統一期の王朝の中興を成した皇帝が多いですね?
なら、統一期限定で良いじゃ無いか!!
と言う意見も有るかと思いますが、そうすると5位の皇帝が該当で無いので、
中国全史からのランキングでした。

 逆に動乱期(群雄割拠)の頃の皇帝の方が、魅力的な皇帝(王・君主)や
個性的な皇帝(王・君主)が多いので、その点も悩みましたが、
まぁあの広大な中国を安定させる。と言うのは、それだけで凄い事だと思うので、
まぁこのランキングも妥当では無いかな?と思いました。

 続きとして、こちらを御覧の皆様でも、中国の皇帝は余り知らない。
と言う方も多いと思いますので、各ランクインした皇帝を、
10位から、個別に寸評して行きたいと思います。
 それから、ランク外だったけど、こいつは面白い!
てな、番外編的皇帝も、紹介します。
 まぁ、別のページで扱って居る内容と被る皇帝も何人か居ますが、
予習の積りで読んでやって下さい。

吉川弘文館 世界史年表地図

2006年02月12日 03時45分53秒 | 世界@名無史楽家
表題の本は、学校で使うとか、そう言う事で無く、
筆者が趣味の為だけに、自腹で本屋で購入した物だ。

 所謂教科書に属する物を、自費で購入してしまって居る自分に、
自分で呆れてしまうが(苦笑)
歴史が好きなので仕方が無い。

 しかしこの地図帳・年表は、自費で買うだけ有り、かなりの優れものだ。
まず第一に、歴史の人物(主に中国人)の漢字が、全て正式な字体が使用されている。

 そして一番に感心したのが、
元号(使用国)の、元号一覧表が有るのだが、
中国等は、歴代王朝が使用した元号が全て有るのは勿論だが、
動乱期に活躍した群雄の中でも、王や皇帝を名乗った者が沢山居る。
そんな群雄皇帝は、歴史的に正当では無くとも、
皇帝を名乗る以上は、建元し無ければ成らず、
ほとんどの政権が独自の年号を使用しているのだが、
なんとこの本には、これら群雄皇帝の年号までが網羅されて居るのだ。

 群雄皇帝と言うと、筆者が開設して居る、
中国の群雄割拠を扱ったページで扱っている(予定)の群雄の年号も有り、
もうビックリです。

 かなりお勧めですよ。

旧唐書 蘇定方列伝-1-

2006年01月21日 22時18分55秒 | 世界@名無史楽家
以前こちらでも書いた中国の正史で興味の有る列伝の翻訳にチャレンジ。
と言う事だったのですが、全部終えるまで待つと時間が掛かりそうなので、
序盤部分だけでも終えた物を公開します。

 漢和辞典片手に頑張ってみたので、間違いも多々有ると思います。
指摘出きる方居ればして欲しいですね。

 でも一応読んで意味は通って居る感じなので、自分的には大丈夫かな?
少なくともHPの資料としては問題無い感じです。

訳文

蘇定方、冀州は武邑出身の人。父の名は”邕”。
大業年間末期、郷里の者達数千人を率いて、地元の郡に現われた賊を討った。
蘇定方は驍悍で力強く、膽気は絶倫、年は十余歳で、父に従い討捕した。
先制し登り陣を陥れた。父が卒した。郡守は又定方に命令して領兵させた。
郡南の賊首、張金稱を破る。金稱の手を斬る。又、楊公卿を郡西で破る。
追奔する事二十餘里。獲えて殺す事甚し、郷党は之をる。後に竇建に仕える。
建の將、高雅賢が甚だ之を愛す。以、養子と為す。
又、俄かに雅賢は劉闥の城邑を攻め陷すを為す。
定方は毎に戰功が有り、闥に及び、雅賢死す。定方は郷里に歸す。
 貞觀初め、府の道を匡す折衝を為す。李靖に隨い 突厥の頡利を磧口にて襲いに行った。
李靖は定方を使い二百騎を率いさせ前鋒と為す。霧に乘じて行く、賊が去るのを一里許す。
忽然と霧が止み、其の牙帳が望み見えた。馳せ掩(おお)い十百人を殺し數いた。
頡利及び隋公主は狼狽して散走した。餘は俯伏し、靖軍は既に至る。遂に悉く降った。
軍は還り、左武候中郎將を授かった。

原文

蘇 定 方 , 冀 州 武 邑 人 也 . 父 邕 , 大 業 末 , 率 郷 閭 數 千 人 為 本 郡 討 賊 .
定 方 驍 悍 多 力 , 膽 氣 絶 倫 , 年 十 餘 歳 , 隨 父 討 捕 , 先 登 陷 陣 . 父 卒 ,
郡 守 又 令 定 方 領 兵 , 破 賊 首 張 金 稱 于 郡 南 , 手 斬 金 稱 , 又 破 楊 公 卿 于 郡 西 ,
追 奔 二 十 餘 里 , 殺 獲 甚 , 郷 黨  之 . 後 仕 竇 建  , 建  將 高 雅 賢 甚 愛 之 ,
養 以 為 子 . 雅 賢 俄 又 為 劉  闥 攻 陷 城 邑 , 定 方 毎 有 戰 功 . 及  闥 、 雅 賢 死 ,
定 方 歸 郷 里 .貞 觀 初 , 為 匡 道 府 折 衝 , 隨 李 靖 襲 突 厥 頡 利 于 磧 口 .
靖 使 定 方 率 二 百 騎 為 前 鋒 , 乘 霧 而 行 , 去 賊 一 里 許 , 忽 然 霧 歇 , 望 見 其 牙 帳 ,
馳 掩 殺 數 十 百 人 . 頡 利 及 隋 公 主 狼 狽 散 走 , 餘 俯 伏 , 靖 軍 既 至 , 遂 悉 降 之 .
軍 還 , 授 左 武 候 中 郎 將 .


 この序盤だけ読んでも、郷里の者達と群盗討伐した段階でも、
名の有る群盗勢力を破って居るのが、正史で解ります。
 それにこの時代の代表的群雄で有る竇建徳に仕えた事も書かれ、
彼の部下、高雅賢に特に可愛がられた事も解ります。
更にこの頃、後に竇建徳に降伏後は、彼に心酔して、
竇建徳勢力滅亡後は、彼の残党を率いて、その勢力を継いだ劉闥とも闘い、
彼も破っています。凄いですね。
竇建徳滅亡後は郷里に帰った様ですが、その後北方騎馬民族の
突厥族の族長、頡利可汗の討伐戦で、唐王朝に仕え手柄を立てて、
官職を得た。と言う所まで解りました。

 彼はこの後、唐の将軍として次々と活躍し、後には我が日本軍とも戦います。
面白い人物です。

女系天皇についての考察2

2005年11月19日 23時30分57秒 | 世界@名無史楽家
前回の続きです。

 では、逆に、この問題が良くない。と言う理由、問題点はどんな所に有るのか?
と言う事を書きたいと思います。

 まず、一番の理由は、万世一系としての皇族の存続が、非常に困難に成ると言う事です。
 女系を認めてしまうと、それ以降の皇位継承者の正当性が、あやふやに成る危険性が有るのです。

 その理由について、もう少し解り易く書きますと、
 日本の国民の大多数の人と言うのは、女系の血筋を含めると、殆どの人が、天皇の血統を持って居るのです。
これはどう言う事かと言えば、男系の血筋は、皇統として尊く記録されていますが、
その娘で有る女王や姫は、大体が時の有力者(大臣や近臣)の子息へ降嫁する場合が多いでしょう。
 それに、有力な武士で有る、平氏や源氏自体が、皇族の親王の宮家が、臣籍降下して創設した家なので、
源氏系、平氏系の誰もが、天皇の血統を引いて居る事に成ります。
 日本人の大多数は、源平藤橘の四大血統の何れかに属していると言われますので、
それに女系の血筋も加われば、殆どの日本人に、天皇家の血が流れている事が理解して頂けると思います。

 この状況を踏まえて考えて欲しい事が有ります。
 もし女系の天皇、が認められた場合。男系女系問わず、長子を皇位継承者とする。
と成った場合、過去にも、今まで即位して来た数多の天皇よりも、年長な女性が居たはずです。
(実際、今上天皇にも姉上が居ましたし)
今後科学や研究が進み、遡って一番の天皇の血を引く長子相続を続けて来た人物。
と言うのも、発見される可能性も有ります。
 もしそう言う人が現れたとして、野心有る人が、その人を担ぎ出したとしたら、
(女系天皇容認に切り替わって、数代を経た)現状の天皇と、その僭称者との間に、
正当性の違いは何処に有ると思いますか?
 人に拠っては、長子血統の証拠が、本当に示されたなら、そちらの僭称者を容認する人間も多く出現する事でしょう。
 この場合、仮な現行の天皇の正当性を示す物は、唯一つ、いち与党政権の一つに過ぎ無い、
小泉政権下での皇族に関する事を何も存じない、シロートだけで作った訳の解らない協議会が、
密室で数ヶ月で作ったと言う、いい加減な皇位継承のルールで認められた天皇。と言う以外に、
正当性を主張する理由が無い。と言う事なのです。

 もっと極端な事を言えば、何かしらの天皇の血を引いた国民ならば、
初代の神武天皇(に相当する存在の大王)から見たら、現行の帝も、自分も、
神武天皇(に相当する存在の大王)の血の濃さは変わらないのです。
違いはただ、間の血筋の人に、天皇と名乗っていた人の代が多かったか少なかったか。
と言うだけなので、極論に成ってしまいますが、国民総皇位継承対象者。
と言う事に成るかも知れません。

 これが、男系の男子の制を継続して居るのなら、
今上天皇に一番近い(男系の男子な)人が、皇位継承者で有る。
と言う事が、明確に解る。と言う事が理解頂けると思います。

 今後、この国がどの様な動乱期に突入するかも解りません。
その時に、変更後の天皇に正当性を見出せない。と言う論法が存在する以上、
より正当性を認められる人物を担ぎ上げる人間や、野心有る者が伸上がり、
権力を握った後に、自らが僭称する者が現れても、なんら不思議では無いのです。
 また、天皇位その物を反対する勢力が権力を握っても、その正当性の無さから、
躊躇せずに、断絶をする事も容易く成る事と思います。

 日本人は、この権威は有るが、権力を持たず。と言う天皇家を推戴した時代を、
(一時期権力も有る時代も有りましたが)長く過ごしてきました。
 この状況と言うのは、非常に解りにくく、有る意味日本人的だとも思いますが、
これで、日本は長く政治的なバランスがとれて上手く行って来た部分も多いと思います。
実際に、多くの時の権力者。平清盛や源頼朝。足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉や徳川家康等も
どんなに権力を握りながらも、その権威を利用してうまく立て続けて来た。と言う事も有ると思います。

 その絶妙なバランスすら失いかねない危惧も出てくる、この様な状況に陥る可能性が有る為に、
この女系天皇容認と言うのは、非常に筆者は危ういと言う考えに至った訳です。

 この問題は、単に男女平等だから良いとか、悪いとか、そう言う次元の問題では無いのです。
 どうでしょう、こちらを御覧の、天皇制は容認しているけど、女系でも良いじゃん。
と思って居た方。
 これで少しは、この女系が好ましくない制度だ。と言う事が理解頂けましたでしょうか?
 これを読んでも、それでも良いじゃん。と言う事でしたら、筆者はもう何も言いません。

女系天皇についての考察

2005年11月18日 21時52分06秒 | 世界@名無史楽家
 最近皇族での話題も多いので、ちょうど良い機会と言う事で、
今回は少し社会派な話題を書きたいと思います。

 最近騒がれ始めた、この女系天皇の是非。と言う問題ですが、
皆さんはどうお考えですか?

 この問題は、天皇制自体が反対。無くても良い。興味が無い。と思われる方には、どうでも良い問題だと思いますが、
その様な方には、読んで頂いても何も意味は無いと思いますので、どうぞ今回はすっ飛ばして下さって結構です。

 筆者は取り立てて右寄り思想では無いと思いますが、
それでも歴史や日本人らしさ、等への思い入れは強いと思いますので、
最近の軽い感じの若者達に比べれば、比較的右寄りだと思います。

 また、この問題にもかなり注目をしています。

 これを御覧の(この問題に関心が有る)方々は、どの様なお考えをお持ちでしょうか?
想像するに、多分世論調査が示す通り、半分以上の方が肯定派なのでは?
と思います。

 その肯定している理由はどんな事でしょうか?

○- 実質問題として、皇統が絶たれてしまう危険が有るから。
○- 男女同権の世の中で、皇族だけが男しか認めないのは、時代錯誤。
○- 実際に歴代天皇の中でも、数人の女帝が存在した。
○- 愛子様の即位の道を拓く為にも改正は必要。

 まぁ、大体、こんなところだと思います。

 実際、筆者も当初は以上の様な数々の理由で、容認派でしたが、
去年のある時、新聞でこの問題を取り上げられた時の、
否定派の学者の説を読んで、↑に上げた諸理由での容認が、
欠陥と問題が有る短絡的な考えで有った事に気付き、
それ以降は、この問題への考えを改める事にしました。

 多分こちらを御覧の、肯定派も方の殆どの人も、その問題点に気付く事無く、
また知らずに容認している方が多いと思いますので、
この女系天皇の問題点と言うのを、我がブログで書いてみたいと思います。

 もしそれを読んでも、『それでも容認する。』と言う事で有れば、
筆者は何も言いません。
ただ、この問題を気付かない人達が多数の中で、世論調査が行われ、
短絡的に改正への道を急ぐ動きが、かなり危険だな?と思いましたので、
このブログを読んで頂いている方達だけでも、正確な問題点を把握した上で、
是非の判断をして頂きたいな?と思いましたので、この記事を書こうと思いました。




 長く成りそうなので続きます…

法家と儒家… と言うか、老荘家かな?

2005年10月16日 14時48分21秒 | 世界@名無史楽家
 普段生活している上で、この二つの思想で、どちらを選択するか?で悩む時が有る。
法家と儒家と言うのは、覇道と王道。と言う事で対極に見られて居るので、比較しようと思ったが、
元々法家と言う思想も、儒家の一派が性悪説を唱えた事から派生した物なので、元を正せば一緒、と言うか、儒家自体も堅苦しい事には変わらないので、法家の対極としては、自然の赴くまま気のまま、な老荘家かな?と思いこのタイトルです。(前置き長い)

 まぁ思ったのはね。今日(雨も降ってないのに)空模様が怪しいって事だけで、自分で勝手に駄目出し決めちゃって、ドタキャンかます人が居るって事ですよ。
 あんまりギッチギチに決まり事とか、ルールとかで雁字搦めにするのも筆者は好きじゃ無いので、言いたくは無いですけどね。
 そう言う気軽にドタキャン出来ちゃう人って、多分何かを仕切ったり、運営する人の事まるで考えて居ないんだろうな?と思いますね。
 全員が貴方みたいな考え方の人ばっかりだったら、人数まるで足りなくなる。って考えた事無いのかな?
キャンセル料は誰が払うんですか?

 まぁ、致命傷に成らない状況なので、愚痴だけで済むんですけどね。

 「次も誘って下さい」と気軽に言うけどさ、次が本当に有ると思っているなら、かなりお目出度い頭をしてらっしゃる方ですね。
 まぁ遠まわしに注意っぽい事書いて置きましたけどね。気付くかどうかはその人の人間性です。

 まぁ兎に角、タイトルで上げる二つの思想。
そのアンバランスな対極しそうを、どう言う按配でバランスを取るのか?と言うのが、筆者の人生に置いても難しい舵取りです。

(このカテゴリーは完全に”雑感”だな(苦笑))

日本史の興味

2005年09月17日 16時26分33秒 | 世界@名無史楽家
筆者は歴史が好きです。なので勿論日本史も大好きですが、
今回は、そんな筆者の日本史の興味が今どの辺に有るのか?
と言うのを書きたいと思います。

 一般的には、やはり戦国時代や、源平合戦、幕末等が多いと思うのですが、
筆者もそれらの時代は勿論好きですが、好きな人が多いだけに、
もう語るべきネタや調べるべきネタは、殆ど出尽くされている様な感じもします。
ですので、今筆者が興味が有るのは、かなりマイナーな時代です。

 それは、弥生時代~飛鳥・奈良の律令制度が定まるまでの時代とかが、
かなり興味が有ります。
 それと、古代~中世までの、日本の軍制の変遷等にも興味が有ります。

 この時代や制度に、何故興味が有るか?と言うのは、ちょっと長く成りそうなので、
またそれは後述したいと思います。



あ、歴史カテゴリーの名称を変えました。
中華だと中国大好き君みたいだし、中国の話題しか書きづらく成ってしまいそうなので、
やはり”世界”にしました。

中国列伝翻訳に挑戦したいです!

2005年07月10日 00時51分17秒 | 世界@名無史楽家
 最近漢和辞典を購入し、web上で正史が漢文で公開されて居る場所も有るので、
その翻訳をちょっと挑戦してみようと思い立ちました。

 これが出来れば、今後自分のwebページの更新にも役立つと考えたからです。
 今回、取り敢えず翻訳(執筆)に挑戦して見るのは、事績が面白く、でも比較的短文に成って居る人物。
隋唐時代の蘇烈(蘇定方)。唐末の秦宗権。明末の楊縞。の三人です。

 蘇烈は、隋末の群雄割拠で、唐の創始者、李淵の次に天下に近かった、竇建徳の部将として世に出て、
唐の配下と成ってからは、猛将として鳴らし、新羅の朝鮮半島の統一戦では、
唐の支援軍として、百済救援の日本軍とも、歴史の授業で有名な白村江の戦いで
対戦して居る人物です。

 秦宗権は、初め唐の節度使(日本の大名みたいな存在)だったが、
唐の最末期に起きた、王朝滅亡を決定的にした叛乱。黄巣の乱を切っ掛けに、
王朝に叛旗を翻して、黄巣と結び、黄巣が滅んだ後も、独立勢力を保ち、
遂には皇帝を名乗った群雄です。
 後に唐を滅ぼした、梁の太祖、朱温(全忠)は、黄巣の配下から王朝側へ寝返り、
王朝の地位を利用した群雄と成ったので、彼とは対照的です。
 しかし、秦宗権は、その後滅ぼされますが、その配下の勢力は、周辺の、その後の五代十国の中の、
王朝と成る群雄に吸収されて、その中心勢力と成ったり、また彼の配下には、
その勢力に入るだけで無く、王朝の皇帝(王)に成る人物も居るなど、
まさに唐末~五代十国のキーマンと成る人物です。

 楊稿は、明王朝末期の将軍として、慶長の役(秀吉二回目の朝鮮出兵)で、
明の救援軍として日本軍と戦い、加藤清正が篭城する蔚山城の攻城戦等に参加します。
 更に後年には、明王朝と、後に中華帝国と成る清王朝の開祖ヌルハチとの、
東亜の覇権を賭けた、サルフの戦いにも参戦する等、まさに東亜の動乱を生き抜いた武将と言えます。
 また彼の配下には、後に清の配下と成りながら、三藩の乱を引き起こす、呉三桂の父親も居ました。

 面白そうな人達だと思いませんか?これら魅力的な人物の翻訳に挑戦します。


 以上の文は、自分のweb掲示板に書いた物ですが、掲示板を縮小するので、
記録を残して置きたく思い、こちらに再掲させて頂きました。

歴史人物に例えると…?

2005年05月28日 04時18分48秒 | 世界@名無史楽家
 以前、親友のT君が、共通の知人から「T君は、tommyにとっては銀河英雄伝説での、
ヤン艦隊・イゼルローン要塞での、キャゼルヌ准将みたいだ。」と言う評を受けて居たが、
自分の印象では、T君は俺にとっての”蕭何”だと思って居る。
”蕭何”とは、前後四百年にわたり中国の大帝国として繁栄した、漢王朝の初代宰相と成った大人物だ。
大人物なのだが、とっても地味とも言われ、後世の評で、彼は高祖劉邦と出会わなければ、秦の小役人で終って居ただろう。と言われる程の人物。
って事は、俺が劉邦程の大人物なの?って事に成っちゃうんだけど、そんな事は全然無くて(汗)
要は、言いたいのは目立たないのだけれども、頼んだ事は確実に、そして正確にこなしてくれる。って所が、
表には余り凄さを感じないけど、わかる奴が見たら凄い。って言う感じだからです。
彼とは凄く長い付き合いだが、本当に彼には助けられて居る。感謝しても仕切れない。そんな大親友だ。

 で俺はと言うと、劉邦の様に、何も才能が無いけど、人を惹き付ける魅力だけは第一。と言う感じでは決して無い。
 敢えて同様の皇帝で例えれば、どちらかと言えば、同様に農民から天下人と成った、朱元璋だと思う。
 自分は劉邦の様な人任せでは無く、どちらかと言えば自分で色々やりたがってしまうタイプ。
そして自分に理解(協力)してくれる人には、とことん力に成ってあげたいと思うが、
一度信用している人から、裏切られたりしようものなら、かなり後ろ向きな対応に成ってしまう所とかが、似ているかな?
とも思う。
 でも彼の様に、大粛清をする程気概も無いし、ましてや天下人なんて恐れ多いな。と思ってしまう。
(と言う人間なので、一般的に余り人気が無い。が、人に裏切られ、そう言う感情に成ってしまうのも、
逆に人間臭いと思うし、その上で戦乱を収めた人物なので、自分は何気にかなり好きなんだよね(部下には成りたく無いけど…))
 なので、敢えて別の人間で例えれば、近藤勇かな?
まぁ武勇は凄く無いけど、完璧とは言えない人格でも、下の物を面倒見る人間性とか、
一部の人間達には支持される(して貰える)感じとか、似ている気がします。(これでも自惚れだな)
まぁ、同郷の誼で許して貰おう!

 と言う事は、T君は鬼の副長??     無い無い無ぁ~い!(笑)