今年の春。友人から進められた手帳。それがフランクリン・プランナーだった。それから私は慎重にもお試し版の手帳をゲットした。「人生は手帳で変わる」という本を読み、初めて使ってみたのが今年の6月。その1ヵ月後、7月始まりのフランクリンプランナーを購入。そうして気がついたら半年が過ぎている。
「来年の手帳、買おうと思うんだけどいい手帳ある?」
さりげない会話の中で「手帳って、大事だよ」と答える私。本当にそう思う。このブログを過去にたどっていただければ私の変化が手に取るようにわかるはず。半年前の私には夫がいて、半年前の私は「法人化を目指す」と語り、半年前の私は自分のマネジメント力のなさで悩んでいた。今の私は独身で夫とは良いパートナーとなり、10月に法人化をし、マネジメント力でなく現実的な金策の辛さで悩んでいる。
もちろん現在進行形で悩みはある。(ついこの前も!ちょー落ち込んで泣いてたし)ただ、それは自分の足で歩いていることの結果だ。
私は、半年前、一人になって自分の価値観起こしをした。自分にとって大事なものは何か、大事なことは何か、どう生きどう死にたいのか。そして、自分のお葬式のときに友人が語る私への弔辞まで考えて、自分の生き様を具体化した。今、そのイメージに沿って一歩一歩を歩んでいる。
田舎への移転もその一つ。命のありがたさを実感しながら、不自由な丸太小屋であれこれ工夫して楽しく暮らすのだ。冬は寒く、夏はめっちゃ暑い。世の中思うようにはならなくて、理不尽なことに文句の一つも言いながら乗り越えて、暗くなったら眠ってしまう。思いをぶつけたわがままな本を書き、「いつまでたっても貧乏だ」とか言いながら、実はその暮らしぶりが心地よいと感じている。
それでも自己顕示欲が旺盛で、じっと黙って田舎暮らしはしていない。自分の仕事の仕方や暮らし方を「いいよ~」としゃべりまくって、「いいね~」と共感してもらいたいと思う自分がいる。そのために、アンテナを貼りめぐらせ、やるべきポイントでことを起こし、外で語れるだけの感性を磨く。
時々、都会に出かけておいしいコーヒーを飲み、本が降ってきそうな大きな本屋さんで3時間も4時間も本を眺める。読みたい本をいっぱい見つけて、まだまだやることがある!と生き続ける意味を実感したら、おいしいお酒でも飲んでフォークソングを歌いさっさと眠ってしまう。
こんな、人生を送るために。
私は、毎朝手帳を眺めているんだ。
「来年の手帳、買おうと思うんだけどいい手帳ある?」
さりげない会話の中で「手帳って、大事だよ」と答える私。本当にそう思う。このブログを過去にたどっていただければ私の変化が手に取るようにわかるはず。半年前の私には夫がいて、半年前の私は「法人化を目指す」と語り、半年前の私は自分のマネジメント力のなさで悩んでいた。今の私は独身で夫とは良いパートナーとなり、10月に法人化をし、マネジメント力でなく現実的な金策の辛さで悩んでいる。
もちろん現在進行形で悩みはある。(ついこの前も!ちょー落ち込んで泣いてたし)ただ、それは自分の足で歩いていることの結果だ。
私は、半年前、一人になって自分の価値観起こしをした。自分にとって大事なものは何か、大事なことは何か、どう生きどう死にたいのか。そして、自分のお葬式のときに友人が語る私への弔辞まで考えて、自分の生き様を具体化した。今、そのイメージに沿って一歩一歩を歩んでいる。
田舎への移転もその一つ。命のありがたさを実感しながら、不自由な丸太小屋であれこれ工夫して楽しく暮らすのだ。冬は寒く、夏はめっちゃ暑い。世の中思うようにはならなくて、理不尽なことに文句の一つも言いながら乗り越えて、暗くなったら眠ってしまう。思いをぶつけたわがままな本を書き、「いつまでたっても貧乏だ」とか言いながら、実はその暮らしぶりが心地よいと感じている。
それでも自己顕示欲が旺盛で、じっと黙って田舎暮らしはしていない。自分の仕事の仕方や暮らし方を「いいよ~」としゃべりまくって、「いいね~」と共感してもらいたいと思う自分がいる。そのために、アンテナを貼りめぐらせ、やるべきポイントでことを起こし、外で語れるだけの感性を磨く。
時々、都会に出かけておいしいコーヒーを飲み、本が降ってきそうな大きな本屋さんで3時間も4時間も本を眺める。読みたい本をいっぱい見つけて、まだまだやることがある!と生き続ける意味を実感したら、おいしいお酒でも飲んでフォークソングを歌いさっさと眠ってしまう。
こんな、人生を送るために。
私は、毎朝手帳を眺めているんだ。
素晴らしい人生だ!