tontonjyoのブログ

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説得して納得

2010-05-06 04:10:04 | 日記

詭弁であれ、なんであれだよ。
人を先導するには、相手を納得させるだけの力。説得力が必要な訳でしょう。

だからね。議論における論破、言い負かすなんてものは、大抵は自己満足の粋を出ないのさ。一見論破したかに見える相手は、別の場所で同じような発言をしていることが多いはずだよ。

言い負かされ次の言葉が出ないとしても、相手の言い分に納得した訳ではない場合が多い。これは日常から見出せる答えだよね。



なんて言うんだろうな、議論において、声が大きいと言うか、なんと言うか、相手の言葉半ばで声を重ね、それがあたかも至上の価値があるかのように振舞う人がいるけど、それを見ると、見苦しいと感じるんだよね。それは幾ら俺の考えに近い言い分だったとしてもだよ。

なんだろう、相手の言葉半ばで声を重ねるってことは、要するに相手の発言を妨害しているってことでしょ。重要なのは、そんなことではないのさ。更に言えば、そんなことに、大した意味はないと俺は思う。重要なのは如何にして相手を納得させるかだよね。

俺の個人的価値基準で言えば、相手を納得させると言ったことに心を開き行動する人に大きな魅力を感じるね。それは幾ら俺の考えに遠い言い分だったしてもだよ。

人と人の遣り取りである以上。現実論というか、論理が全てではないんだなぁ。要するに、心情的部分に訴えても相手の心は動くのさ。だから必ずしも、所謂、観念論が不利な訳ではないんだよね。観念論者が熱くなっている様を、しばしば見かけるんだけど、実際は熱くなる必要なんてないのさ。遣り方の問題。

まぁ、確かに、なんて言うか、心と心の遣り取りが通じないと言うか、主観的ロジックを、あたかも普遍的価値の如く振りかざし、頑迷に考えを変えない、言葉が通じない、そんな人もいるにはいるけど、こちらから問い掛ける言葉に、何らかの真があるとして、それに対し、聞く耳を持たない人は何れ孤立化して行くものでしょ。





多くの人がさ。その場だけで相手を言い負かそうとするのではなく、考えや行為を理解してもらい、尤もな言い分だと認めてもらうことに力を裂くことができれば、より良い論じ合いができるんだと思うけどね・・・。


更に言うなら、隔離された空間での遣り取りでなく、例えばテレビ討論とか、まぁ、ネット掲示板での議論もそうかな、そう言った場合、多くが見ていて、その人達にも言葉を発しているに等しいことを忘れちゃいけないんだよね・・・。 より冷静に、より詳細に、時に相手の立場にも立って、自らの言い分を説明する。そう言ったことが必要だと思うのさ。


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