特別編、今日が最終回の予定でしたが明日に変更、全4回にします。
失われた20年のA級戦犯は、戦勝国に洗脳された文系エリートたち。 彼ら以外が自虐に陥るまで反省する必要はまったくない。
そして、理系の国際競争力は、今でも一流である。
世界一のスパコン『京』、ハイブリッドなどの次世代自動車、IPS細胞、宇宙探査機『ハヤブサ』、新幹線、地震警報システムなどなど、世界の次世代技術を担う宝の山が日本にはある。 建設業もそうだ。イギリスとヨーロッパ大陸を結んだドーバー海峡トンネルは日本の技術で完成させた。 トルコのボスポラス海峡トンネルを施工しているのは大成建設である。 超高層の耐震技術は世界に並ぶ者がいないし、長大つり橋の技術もほぼ日本の独壇場である。
日本の技術を支えるのは、一握りの理系エリートだけではない。 現場、工場にいる一般の技術者、作業員、匠達もまた一流の国際競争力を生み出している。 ただ、洗脳された文系エリートの無能無策が、足を引っ張っている。
文系エリートの国際競争力が全く駄目なのは、戦勝国の洗脳に加え、文系の学問特性と日本語に原因がある。
時空間を限定した理系の学問は、検証が可能である。 一方、時空間を限定しない文系の学問は、検証不能なのだ(個体レベルの時空間スケールでは)。
天気予報に例えるとわかりやすい。 普通は時空間を限定している。 『明日午前、東京は雨が降ります』となる。 ところが、時空間を限定しないとこうなる。『いつか、どこかで、雨が降ります』。 はずれてもいないが、検証不能である。 文系は基本的にすべてこのスタイルである(この話は後日、別タイトルを立てて続けたい)。
つまり、理系の学問は検証可能なので、どの理論が正しく、またそうでないか白黒優劣がはっきりする。 製品への応用でもすぐに正誤がわかる。 正しい理論で作られた製品は正常に動くが、間違った理論で作られれば正常に作動しない。
さらに、数学という最も普遍的な言語を使っているから、国、民族、文化伝統の壁を越えて検証が可能である。 名古屋大学が発表した『光速を越えたニュートリノ』は、一時世界の物理学会が騒然とさせた。 残念ながら結果は否定されたが、普遍的に検証可能だから、ヨーロッパの実験で白黒をだせたのである。
つまり、理系は普遍的に検証可能だから、常に国際競争にさらされる。 世界中の理系人が、同じ土俵で世界一を競っている。 そして、正誤がはっきりするから改良進歩が可能だ。
ところが、文系は検証不能だから、改良進歩もない。 百年一日のごとき議論をしている。 さらに、日本語というローカルな言語が国際競争から文系エリートたちを保護している。 国家一種試験や司法試験を英語にすれば、世界中から優秀な文系エリートが受験しに来るだろう(日本人が日本語をやめなければならないが)。 日本語と終身雇用という制度に守られ、国内でしか通用しないルール作成に励み、せいぜい日本企業と従順な一般庶民相手に国家権力を使うのが関の山だから、いつまでたっても国際競争力が向上しない。
尖閣諸島での中国漁船衝突事件や環境テロリスト・シー・シェパードなど、外国の大物犯罪者には、日本の政府当局、国家権力は本当に寛大だ。 『国際マター、政治マターになる』と言った公取幹部のように、国際競争しそうになるとすぐに敵前逃亡する。 ところが、国内では権力を独占しているから誰も彼らを裁けない。 だから、ますます国際競争力がつかない。
今日はここまでにします。おやすみなさい。
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