日本の公共入札には、重大な矛盾が存在する。 そのひとつは、発注者が価格設定を行いながら、同時に競争入札をしていることだ。
会計法が競争入札を強制しているのは、発注者は工事価格を正確に計算出来ないという前提があるから。 ところが同時に、発注者の決めた予定価格が、長らく絶対的な定価と看做されてきた。 一円上回っても落札できない、絶対的上限価格だった。
計算できるのか出来ないのか、はっきりしてほしいが、スーパーゼネコンが脱談合宣言すると、安値受注が常態化するようになった。 世間も新聞も、手抜き工事が頻発すると大騒ぎし始める。
すると、失格価格ができた。 今度は一円でも下回ると受注できない、絶対的下限価格だ。 『もっと安い金額で施工可能だ』とどんなに業者が訴えても無理、必ず失格になる。
アメリカでは裁判になることもあるが、大人しい日本の業者はやらない。 さらに、市民団体も黙っていない。 もっと安くできる業者にやらせないのは税金の無駄だと、それこそ発注者が訴えられる。 失格価格以下では、安全な施工ができないことを、発注者が証明する責任を負っている。 だから、日本のように自動的に失格にはならない。 業者の提示金額に合理性があれば、失格価格以下でも受注できる。
予定価格(の90数%)の落札だと、『税金泥棒だ』、『談合だ』と騒ぎ、安値受注だと『ダンピングだ』、『手抜きが心配だ』と騒ぐ。 予定価格とは何か、ダンピングとは、談合とは何かの定義も思考もせずに、騒ぐだけ。 論理に訴えても視聴率を稼げないのはわかるが、もう少し、論理的な批判、議論ができないのかね。
今日も読了ありがとうございました。 おやすみなさい。
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