日本の新聞社やテレビ局が、当局発表だけを疑問も感じずに流せるのも、単眼主義が大きな原因であろう。 まったく同じ事象でも、見る者の立場、利害関係によって、幾通りもの見方があることが分からないのだ。 自分自身の経験を鑑みても、学生⇒大学研究員⇒サラリーマン⇒家業部長⇒家業社長と立場が変わるごとに、感じ方、考え方が変わっていくことに驚きを覚えた。
先日、ブログを見ている知り合いの新聞記者から、次のような反論があった。 『確かにほとんどの新聞記者は、一つの職業一つの組織しか知らない。しかし、現場主義を徹底しているから机上の理屈だけで書いているわけではない』。 その通りである。 デスクやディレクターによる管理、編集の問題はあるが、日本の若手の記者たちはよく頑張っている。 そのこと自体に異論はない。 しかし、もっとも重要なことは、現場に居るかどうかではない。 どのような立場、肩書きで居たのかである。
現場に居ないなどは論外だが、当事者か傍観者か、責任者か一兵卒かでは、時空間を共有しても、感じ方、考え方はまったく異なってしまう。 さらに、肩書き、立場によって見聞できる対象が変わってしまう。
『渋谷にあるカリスマ美容院のサービスに娘が感動して、高校卒業後就職したが、楽屋裏の酷さに幻滅して2カ月で辞めてきた』。 美容院を経営している知人のおばさんが語っていた。 『最近の若いのは根性が足りん』と思った人もいるかもしれないが、その子に限っては完全に間違っている。 私も本人を知っているが、お父さんを小学校一年生の時に亡くしている彼女は、実に行動力そして根性のある子だ。
彼女が辞めた理由は、お客さんと経営者のために、従業員だけが犠牲になるのはおかしい、と感じたからだ。 その美容院では、業界の慣習とは正反対のやり方がいっぱいあったそうだ。 たとえば、シャンプーを置く位置など。 『なぜ、逆にやるの?』と先輩に聞いたら、『うちを辞めても、他店で役に立たないようにするためだ』と言ったそうである。
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