連日猛暑が続いていますが、皆さん体調管理は大丈夫でしょうか。 ここ数日暑くて寝不足です。 3時過ぎに寝入って、5時起きは結構きついですね。
戦う意思も能力も失くした者をいたぶるのは、卑怯だけでなく卑怯卑劣と呼んだ方がイメージが正確だと思うので、昨今のいじめは卑怯卑劣と呼ぶことにする。
自己保身は臆病の卵だが、臆病が必ず卑怯卑劣になるわけではない。 臆病でも心優しい人はたくさんいる。 臆病が卑怯卑劣に進むには、ある触媒が必要である。 それは過剰なプライドである。 過剰なプライドは、自分より優れたもの強いものに対するコンプレックスと、その裏返しとして、自分より劣ったもの弱いものに対する差別意識を生む。 それが弱者に爆発した時、卑怯卑劣な行為となる。 だから、中途半端な優等生が、一番いじめっ子になる可能性が高い。
過剰なプライドを抑制するのが、感謝の気持ちである。 国家、社会、地域共同体、両親先祖など、自分を育んでくれた公の在り難さに気づくことが、感謝の気持ちを生む。 在り難いとは、在ることが難しい、存在自体が奇跡的なことだということに気付くことである。 そうすれば、『人間いるべきところにいて、やるべきことをやっている』ということに気がつく。 この気づきが、過剰なプライドを適切な自尊心に変えてくれる。
ところが、戦後の我儘民主主義、左翼思想は、公は個人を抑圧し、国家は国民を搾取し、先生両親は生徒子どもを権威主義で縛りつける圧制者として、教育してきた。 これで、感謝の気持ちなど育つはずがない。 感謝の気持ちがなければ、気づきも他者に対する思いやりも育たない。 卑怯卑劣な行為に歯止めがかからなくても当然である。
当事者が大人だけであれば、責任は相対的なものであろう。 しかし、子どもも当事者に入っているケースでは、ほぼ絶対的に大人が悪い(中学生は微妙なラインだが)。 古今東西、子どもは結構残酷だし、道徳観念が未成熟なのが当たり前だ。 だから、周りの大人には、彼らを教育・先導していく義務と責任がある。 ところが、その大人たちが、幼少の時から公に対する悪口、批判だけを聞かされてきた者とその子供世代である。 今の学校の先生や教育関係者、マスコミ関係者であり、保護者たちである。
あなたたちは、子どもたちが感謝の気持ちに気付くよう行動してきましたか。 自分だけを正義の高みにおいて、社会や政治家、先生などの悪口、中傷を子どもたちの前で言ったことはありませんか。 私も人のことを言えないが、悪いということには気づいている(笑)。
今日はここまでにします。 おやすみなさい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます