古本屋とは因果な商売。読みたいけれども読めない。買ってすぐ読める本と、そうでない本とがある。そうでない本とは、本棚に暫く立てて本の体裁を眺めてみたり、ちょっと手にしてはまた棚に返したり、少し遠目に棚を見ては心落ち着かせ、そんな他愛ないことを繰り返しながら、子どもの頃一番おいしいものは最後までとっておいた!、あの食べ方の心理に似て、いつまでたっても手を付けない。本文は読まずに先ず、こてならしとばかり、あとがきに目を通したり、カバーの袖書きを読んでみたりと、一向にページをめくれないで居る。そして或るとき、わけもなく自然と一気と読み上げてしまう。内に秘めたる本への思いが何かの拍子で本に触れ、意思を待たないはずの本と通じ合ってしまうのだ。そんなゾクゾクする本に出会うことがある。そして大概、そういう本は意図も容易く売れてしまうのである。
【美也と六人の恋人】井上靖/光文社/昭和30年3月5日初版/定価100円
収録作品は短編6作
【薄氷】昭和27年/新潮1月号
【美也と六人の恋人】昭和27年/文藝春秋別冊30号
【夜の金魚】昭和29年/改造10月号
【チャンピオン】昭和29年/文藝春秋別冊42号
【投網】昭和29年/知性11月号
【合流点】昭和30年/新潮1月号
若い日に井上靖を右から左とむさぼり読んだがこれらの短編にお目にかかったことはなかった。
見返しに昭和三十年三月二十九日 竹田晴代、14才、と記名がある。
きっと小さな胸を躍らせながら、読みふけったに違いない。
50年の歳月を経て乙女は人生総仕上げのときを迎えていると、願う。
私はこの本を200円で買い、手元に2年置いただけで仮の宿となった。
昨日、400円で売り、今朝一番で冊子小包にして大阪へ送り出した。
1冊の本が何人もの人を介して旅をする、不思議さ。
介した人の数だけ本は傷みもする。しかし、それは古本の値打ちであると信ずる。
そして古い本はどこか母に似ている、大切にしなくては。
大阪のKさん、宜しく頼みます。