寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

ご案内です。

2005年12月30日 07時36分25秒 | オンライン古書店
年末年始(12/29~1/5)の営業ご案内です。

ご注文へのご案内等、メール送信は通常通り毎日対応となります。
商品の発送につきましては、年内は31日まで行います。
年始は5日(木)の発送が初荷となります。

大洋に浮かぶ笹舟のような寅の子文庫、淘汰の大波に翻弄されながらも
沈没の憂き目にも遭わず、どうにか新年を迎えられる感謝の思いでいっぱいです。
2006年こそ、いよいよ心を引き締め、古本屋稼業に精進を重ねていきます。
2005年お店を覗いて下さった皆様、ご注文頂きました皆様
本当に有難うございました。

どうか温かな新年でありますようお祈り申し上げます。

今宵多少、酔っ払っていますが・・・

2005年12月29日 23時04分51秒 | 生活手帳
続いた忘年会も今宵千秋楽
最後の締めは男4人
15年前、一寸した縁がもとで三ヶ月間、真剣勝負の付き合いをした。
今はもうバラバラで普段顔を合せることも無い
しかし暮れの29日必ず集う

静かに酒を酌み交わし
カニをしゃぶり、鍋をつつく
お互いに顔を見ては無言で健闘を称えあって居る。
この一年も一生懸命生きてきたんだな
そういう顔をしている

楽しい時間は夢のように過ぎ
Sさんは布団の仕立ての続きで作業場に戻る
Kさんは身重の奥さんのもとへ急ぎ
Nさんは一人馴染みの店へ
夫々の後姿に高く高く手を上げる
私は千鳥で次郎長という名のラーメン屋の暖簾をくぐった

玉は砕けて散りまた来年の今日玉となる

馬頭観音を見た。

2005年12月28日 05時45分51秒 | 石塔石仏~埋もれていく風景
一週間続いた裾野市の現場も今日が最後。
午前中、穏やかな陽を浴びて集落の辻、石段の脇に小さな石塔を見つけた。
5段重ねの石段の上はわずかな平地で、古くからこの土地に続いたであろう、
一族の地神や先祖たちの墓石が苔むしていた。



馬や牛も一家の大切な労働作業の一端を担い、今は安らかに家族と共に眠る。

小さな石塔の文字碑刻を読む。

昭和九年九月十日建立
花王馬頭観世音菩薩
杉本久雄建之

戦争と子どもたち

2005年12月25日 17時39分48秒 | 15年戦争
戦争と子どもたち 6冊セット

日本図書センター

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【写真・絵画集成 戦争と子どもたち】 6冊揃いを出しました。

1巻 戦火の中の日々
2巻 教室から自由が消えた日
3巻 戦時下の暮らし
4巻 小さな戦士といわれて
5巻 家族と離れて生きる
6巻 焦土から立ち上がる



子どもたちも険しい戦争への道を歩いた。厳しい戦時下を或る者は生き、或る者は死んだ。昭和17年3月、遺児部隊(靖国の遺児)の子どもたちを楽しませた上野動物園の象のトンキー君。翌18年夏、空襲に備えて動物園の猛獣が毒殺されていく中、象のジョンは最後まで毒のエサを食べず飢え死にした。

*古本寅の子文庫~15年戦争の本棚

富士山冠雪

2005年12月23日 00時14分17秒 | 生活手帳
国道1号線バイパス下り車線午前8時、
愛鷹山の背後に真っ白な富士山を見た。
昨日の雨が富士山では雪となり、年の瀬の冠雪
ようやく本来あるべき姿~冬の富士となる



今日の現場は裾野市
低気圧の通過で終日風が強い
正午過ぎ、宝永火口を正面に富士山を仰ぐ
強風で朝見えていた雪=昨夜降った雪がもう飛ばされている
宝永山は火口も頂きも地肌が露出している

この冬、今日まで富士山にはまともな積雪がない。
ほとんど夏と同じ青い姿。
東洋一の湧水、柿田川の水量は近年減少傾向にある
地球温暖化の影響なのか、積雪がなければ湧水もいつかは枯れてしまう

人間は日々の生活の豊かさと引き換えに
あまりにも大きな代償を払わされていると思う
暑いの寒いの、不平を言わず
少しぐらい不便な暮らしがちょうど良いのではないだろうか

500マイルの仲間たち~チェリッシュ1976年

2005年12月20日 00時20分10秒 | 生活手帳
チェリッシュの【500マイルの仲間たち】が入ったLP=ベストアルバム1976年をやっと手に入れました。
しかしプレーヤーをどうしようか・・・


【500マイルの仲間たち】

その店の名前は 500マイル
故郷の町の喫茶店
まぶたを閉じれば 浮かんで来るよ
仲間たちの 顔がひとつずつ

フォークきちがいが 集って
いつでも唄ってた 500マイル
コーヒーはあんまり おいしくないけど
若者たちで 朝から混んでいた

土曜の夜には 競争で
小さなステージでコンサート
僕たち二人も デュエットを組んで
ライバルたちに 負けずに唄った
ラララ・・・
誰もがみんな 夢見てた
いつかは スターになるんだと
チャンスをつかんで 都会へ行こうと
励まし合って 練習つづけた

僕たち二人が 認められ
故郷を 離れる前の晩
僕らの分まで 元張るんだぜと
仲間は朝まで 唄ってくれた 
ラララ・・・ 
仕事に追われて 二人とも
いつしか忘れた 500マイル
仲間の便りも 返事が出せずに
そのままぷつんと とだえてしまった

ある時急に 想い出し
二人でたずねた 500マイル
知らない間に 名前も変って
仲間も故郷も 捨ててしまってた

その店の名前は 500マイル
今ではもうない 喫茶店
けれど 二人の心の中に
いつまでも生きる あの青春
ラララ・・・

*山川啓介作詩/前田憲男作曲

最近買った本~艦長たちの軍艦史

2005年12月18日 23時56分32秒 | 15年戦争
艦長たちの軍艦史

光人社

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本来、この類の本は自らの中に一線を設けてなるべく読まないように心掛けていたが店頭で手に取った瞬間、不覚にも衝動買いをした。昨日12月17日封切られた角川映画、男たちの大和の影響を多少なりとも受けたせいかも知れない。映画はさておき、戦艦大和は史上、世界最大また最強戦艦として昭和16年12月に竣工した。しかし最早、戦闘の主力は戦艦を擁した艦隊決戦から航空母艦と飛行機を重視した機動部隊への戦いに移行し、大和自慢の46センチ主砲が敵艦隊に火を吹く機会はなかった。昭和20年4月6日、天一号作戦が発動され沖縄へ向け、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦8隻を従え燃料片道分の水上特攻を試みるが翌4月7日九州坊の岬南方沖合いにて米機動部隊の数次にわたる艦載機の波状攻撃を受け、午後2時23分海底深く沈んだ。艦と運命を共にした者2740名、生存者わずかに266名。

戦艦をはじめ水上艦艇に乗り込む者は沈没時に運良く波間から救い揚げられる可能性がある。しかし潜水艦の場合そうはいかない。沈没と同時に艦長以下乗組員の全員が艦とともに戦死する。太平洋戦争中、海軍では190隻の大小潜水艦が参戦し127隻が沈没、その乗組員約10000余名が艦と運命を共にした。潜水艦の各艦履歴は読むに痛ましい。*なお本書は片桐大自氏の【聨合艦隊軍艦銘銘伝~全860余隻の栄光と悲劇】と合わせ読まれると一層感慨深い。

著者外山操氏は昭和14年陸軍航空隊入隊、昭和56年【陸海軍将官人事総覧】陸軍篇、海軍篇を出版、平成10年5月没。

天網恢恢疎にして漏らさず。

2005年12月13日 23時12分51秒 | オンライン古書店
この1週間、つとに目だってウイルスメールが多い。
誰が何のために、どうして送りつけて来るのか、さっぱり解せぬ。
・・・・・
ウイルスなどに付き合う暇は、爪の先の垢ほども無いのだが
同じ送信者から品を変え、種々のウイルスが来るので上位5名のアドレスを公開したい。
(公表したところで所詮空しいのだが・・)

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天網恢恢疎にして漏らさずとはこのこと。
天の網は目が粗いようだが悪事を働く者を漏らすことなく捕らえる。
天道とは厳正にして、
悪事をなした者は早晩必ず天罰を受けると、心得え識るべきであろう。

忘れてはならない12月8日~1942年ニューギニアにて。

2005年12月09日 01時04分19秒 | 15年戦争
12月8日と言う日は何かと取り沙汰をされる。
遠い昔に南海の島、ニューギニア東部バサブアにおいて激しい戦闘があった。
バサブア日本軍守備隊800名が玉砕した。

無謀極まりないポートモレスビー攻略作戦には陸軍約8000名、海軍約3430名、他に台湾義勇軍と朝鮮義勇軍各500名他が陸軍第17軍指揮下、南海支隊に配属され、1942年8月18日作戦は開始された。ジャングルに覆われた2000メートル級のオーエンスタンレー山系の峠を幾つも越えなくてはならない・・・一人50kgの兵装を担いで・・・自らの2本の足が動力の全て・・・地図上の行程だけでも220kmある。9月23日、突如第17軍司令部よりガダルカナル島奪回を優先させるとの理由から全軍に撤退命令(転進命令)が発令、言語に絶する激闘の末、険しい山脈を越えポートモレスビーへあと50kmまで迫りながら、恨みを飲んで元来た道を再び戻る、こんな過酷なことがあろうか。追撃するオーストラリア軍に追い討ちをかけるように飢えとマラリア、赤痢に兵は倒れた。12月8日、日本軍の拠点のひとつ、バサブアが激闘の末、守備隊800名は玉砕する。翌1943年1月2日ブナ守備隊が全滅、同18日、最大の拠点ギルワも陥落して南海支隊は壊滅した。

*今夜読んだ本*
【昭和の歴史7・太平洋戦争/木坂順一郎/1994年新装/小学館ライブラリー/文庫】

自彊不息=じきょうやまず、の心で。

2005年12月07日 22時32分09秒 | オンライン古書店
今日、測量の手伝いで県立藤枝北高校まで出かける~車で往復5時間。
同校は1903年創立、農業実習から工業訓練まで幅広いカリキュラムを取り入れた『総合学科』がユニーク。生徒ひとりひとりの個性と人格を尊重、教育・進路指導に新しい学校のあり方を探ろうとしている。生徒たちも~測量のおじさんこんにちは!などと明るい。正門からほど近い校庭の隅に長方形の黒御影石に【自彊不息】の四文字の碑刻を見つけた。調べると、『じきょうやまず』と読み、自ら努め励むという意味があると云う。

折りしも寅の子文庫は今日で開店して365日目、ちょうど1年を迎えた。先刻、2度目のお買い物で通算250人目となるお客様から1周年の祝い文を返信に添えて頂いた。本当に嬉しい。先月より測量のアルバイトが忙しくてコンピュウターの椅子もなかなか温まらないで居る。しかし今月に入り2度目、3度目となる方からの注文が続けて入り正直に嬉しい。サラリーマンを辞めて3年半。今、まさに自彊不息の時。人は一人では生きていけぬ。画面の向こう側からたくさんの方に支えられながらお店を続けさせて貰うことの有難さに頭を垂れる。そして我儘に付き合ってくれる家族にありがとう。今日からまた頑張る。