寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

馬一呵さんのこと。

2007年06月28日 07時45分36秒 | 買い取りと配達の現場から
一昨年の7月23日、子ども会の夏祭りの日の午後
車で20分ばかり走る三島市のお宅から古書買い取りの依頼を受けた。
すぐに伺えば、お金は要らないからと、
日本文学全集と現代世界美術全集を車一杯お譲りくださった。

依頼主は栗田公明さんと言い、エスペラント語の先生だった。
栗田さんは「馬一呵」(ま、いっか)という俳号をお持ちになり
ご自身のホームページで俳句日記を綴られておられた。
それによれば、病気療養中の奥様を自宅介護するための準備で
古書の処分も家財整理のひとコマであったかように思われた。
それら一連の全集は後日、買い手がついて今はもうない。

普段、俳句には縁遠いが、私は「寅の子文庫のアンテナ」にこの日記を載せた。
それからもう2年になろうとしている。来月にはまた夏祭りが巡ってくる。
そして今朝、新聞配達に出る前のお気に入りのチェックで、奥様の死を知った。
霊山へ旅立たれたのは一昨日、6月26日のことで昨夜は通夜の記事が出ていた。

私は後にも先にも、馬一呵さんには唯一度しかお会いしたことがない。
しかしこの俳句日記を読みながら、人生の山坂を夫婦ともに手を携えながら
登り歩いて行かれたその後姿に親しみを覚え、学ぶことは多い。

今日も昨日も買い取りのダンボール箱が届く。
送られてきた本にもその背後にはさまざまなドラマがあるー。
これからも馬一呵さんの俳句日記を静かな心で拝したい。


6月28日朝5時、三島の空を望んで。


《紹介したいサイト》
栗田公明のホームページ

《サイト内関連記事》
片付けて涼風すいと通しけり~馬一呵さんありがとうございました(05/8/11)

沖縄慰霊の日に。

2007年06月24日 11時36分08秒 | 15年戦争
昭和20年6月23日、
第32軍司令官牛島満中将は未明に自決を遂げ、この時を以って沖縄における日本軍守備隊の組織的抵抗は終息した。沖縄県では条例で毎年この6月23日を沖縄慰霊の日と定め公休日としている。沖縄方面の日本南西総軍が嘉手納基地において降伏文書に正式調印したのは終戦の日(8月15日)よりまだ3週間以上先の昭和20年9月7日のことだった。6月23日以降も非戦闘員の住民のなお多くが戦争の犠牲となったが軍司令官自決の日を何故、慰霊の日と定めたのか疑問に思う。

沖縄戦末期、日本軍守備隊は首里を捨て島尻(本島南部)に撤退した。米軍の掃討作戦に巻き込まれて南部喜屋武半島の村々では一家全滅した屋敷跡が今も点在しているという。米須(旧摩文仁村米須)では実に全戸数215戸のうち63戸が死に絶えた。現在、ひめゆり平和祈念資料館にほど近い米須小学校の道一本隔てた向かいの地には忠霊之塔が建立され碑銘には一家全滅した63戸159名の名前が刻まれている。

追い詰められて摩文仁の海岸洞穴には軍民入り乱れ今は最後の時を待った。降伏しなければ米軍に正面から火炎放射器で焼かれ、降伏して出ていけば裏切り者として日本軍に背後から撃たれた。6月22日の朝日天声人語は先月「嘉手納基地」一周17,5kmを手をつないで包囲する「人間の鎖」という反戦デモが参加者不足のため1987年以来4度目にしてついに途切れたと論じた。

高校の歴史の教科書が来年から変わる・・・文部科学省の検定意見により沖縄戦における住民の集団自決に軍が関与したとする記述が削除される。少しずつ15年戦争の記憶、反省と教訓が失われていく。62年前の今日もきっとこんな蒸し暑い梅雨晴れの空であったかと思う。


【ひめゆり/女師・一高女沿革史】1987年/A4判上製布表紙ホローバック769頁


《紹介したいサイト》
ひめゆり平和祈念資料館
ある旅人の○×な日々の、読書録「沖縄の島守」の記事

《参考・引用した本》
高文研の、観光コースでない沖縄

ホウネンエビを見た。

2007年06月19日 06時55分51秒 | 生活手帳

最近、スーパーの売り場でササニシキを見なくなったと思っていたら
品種改良して、秋田こまちに生まれ変わったことを知る。
こんな歳になっても暇さえあれば、一日中田んぼの縁で遊んでいたい。


保育園の帰り道、田んぼでホウネンエビを見つけた。
なんとも不思議な生きもので、水を抜く頃には跡形もなく姿を消してしまう。


水槽に入れて横から見るとラッコのように仰向けで泳いでいる。
メスの個体には卵のようなものを抱えているのが分かる。

カラーブックスNo555【動物の観察】にホウネンエビの記事が出ていたが
こんなときには、もう売り切れている・・・
広辞苑によると天保年間の豊作の年に金魚屋が売りに来たのが名の由来とあった。
名前はエビでも海老にあらず、ミジンコに属する。

異常気象の続く中、平成18年度の稲の作況指数は全国平均で96とやや不良ぎみ。
ホウネンエビの群遊を見て今年は豊年であれと願う。

白内障の手術を受けよう~バアバの決心。

2007年06月13日 07時11分55秒 | バアバの生活手帳


再検査の結果を受けて、バアバは元気なうちに白内障の手術をしたいという。
紹介状を持参して順天堂伊豆長岡病院の門を叩く。
施設の中は賑やかで明るく、病院という暗い?イメージは微塵もない。
診察の予約から会計まで全て機械操作、たった1枚のカードで済んでしまう。
しかし年寄りが独りで扱うには、かえって不便ではないだろうか。

手術の日取りは予約の順番で当分先になるが
身体に異常はないか、ひと通り検査を行う。

診察のなかで「オーダーメイド医療」という耳新しい話があった。
文部科学省の支援するプロジェクトで採血を7cc2本だけ余分に採り
遺伝子・蛋白質解析研究の為、東京大学ヒトゲノム解析センターへ送るという。
全国12の医療機関で協力し、来年3月まで実施しているとのこと。
この研究への参加=採血はまったくの自由意志であり、嫌なら断ればよい。
バアバは熱心に話を聞いたうえで、人の役に立てるならと快諾した。

病院を出る頃にはとうに昼時をすぎてしまったが
近所に橋本という伊豆長岡では有名な蕎麦屋があるので暖簾をくぐった。


《参考になったサイト》
個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクト
生そば 橋本

朝の新聞配達

2007年06月08日 18時17分46秒 | 生活手帳

夜明けの早くなるのにつられて、新聞配達に出かける時間もだんだんと早くなる。
しかし、4時前ともなるとさすがに辛い。
今日からまたいつもの4時30分スタートに身体を合わせる。


120部を1時間20分かけて配る。
ふだん何気ない風景に、ふと目を見張る。


ときにはこんなこともー。
思いもかけず配達の途中、椎茸を貰った。

伊豆の田植え風景~丹那盆地と田代盆地。

2007年06月01日 07時13分43秒 | オンライン古書店
伊豆半島の山間部を田植え前線が北上している。
先週、丹那・田代両盆地で田植え風景が見られた。
こんな場所で弁当を広げて終日のんびりしてみたい。


酪農の里、丹那盆地は海抜237m(地形図/あたみ/横須賀14号-3)
盆地はきれいな擂鉢形で直径1kmの円形をしている。

左側に見える四角い建物は函南東部農協の牛乳生産工場で、
おいしい丹名牛乳を毎日ここから出荷している。
隣接して、酪農王国・オラッチェがある。



成牛舎(フリーストールバーン)
牛舎の壁を取り払い、風通しをよくしている。
この中で搾乳中の成牛が自由に歩き廻り、牧草を食み寝転ぶ。



メルヘンの里~田代盆地へはオラッチェから車で5~6分。
今は通る車もあまりない熱海街道を登り
途中、軽井沢の集落を通過して左に道を折れると田代の集落に着く。
集落の北側には桃源郷のような水田が広がる。

こののどかな風景も実は、農家の深刻な後継者不足という問題を抱えている。
今、日本の食糧自給率はカロリー計算ベースで40パーセントという。
その一方ではコンビニスーパーなど賞味期限切れの食品大量廃棄。
家庭においても無駄に買わない、すぐに捨てないという姿勢でありたい。
いつの時代も農林水産業こそ大事、食糧を疎かにする国はいつか滅ぶ。


《参考になったサイト》
伊豆のまほろば
農林水産省 食糧自給率の部屋

《ブログ内関連記事》
ヤゴのぬけがらを見つけた