寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

海風 フラ 宝もの~小笠原・父島からの卒業(目撃!日本列島)を見て。

2012年04月22日 14時39分49秒 | オンライン古書店
江戸時代、流人の島として「鳥も通わぬ絶海の孤島」と怖れられた八丈島から更に南下すること700km。本土からは一千kmという果てし無い太平洋上に浮かぶ30余の島々で構成される小笠原列島(小笠原村)。昨年には世界遺産に登録され、観光スポットとしても今後益々脚光を浴びるが、本土との往来に空路はない。唯一の交通機関である小笠原海運の貨客船「おがさわら丸」が、一昼夜26時間かけて父島二見湾~東京竹芝桟橋間を行き交い郷愁を誘う。この春、小笠原村からは23名の若者が都立小笠原高校を卒業、内22名が本土に進学或いは就職を果たし、故郷の島を離れた。普段、見向きもしないNHKテレビを点ければちょうどその番組「目撃!日本列島『海風 フラ 宝もの』~小笠原・父島からの卒業」が正に始まるところだった。朝ドラも大河ドラマもたいして興味なく見たこともないが、現代の風土記とも云えるような、この手のドキュメンタリー仕立ての番組には時として心奪われることがある。23名の卒業生の中から5人に焦点を当て、フラダンスの練習から発表、卒業という過程の中で、友情とか感謝の心とか、生まれ育った島への思いを交互に織り交ぜながら3月17日の出航の時=別れを生きいきと描いて涙を誘う。恐らくは、もう都会の雑踏の中で各人は戸惑いながらも勇気を以て大きな一歩を踏み出しているであろう・・・ガンバレ!
(番組放映4/14/NHK総合)

卒業して島を離れる若人たちのテーマは「絆」
番組の中で合唱されている曲「絆」が耳に残る。


今日まで通い続けた この長い坂道も
明日からは違う坂道 登ってゆくんだろう

教室の窓から見える いつもの二見湾の
波間のキラメキが好きで 今日もながめている

尖った言葉で傷つけた
辛い日は肩を抱き合った
共に悩み打ち明けて
語り明かした夜

全てが闇に包まれても 変わらないものがある
あなたと私を結ぶ 強い絆が

7月の空を彩る 大きな天の川は
今日も また明日も 空を流れてゆく


●ogatourssさんの動画
番組と同じ2012年3月17日の出航風景。


●DREAMTIMEPROさんの動画
高校生らが見送る船上より強風の中に龍神雷神、紅白幟旗を立てる。そして果敢なるダイブ。


●minmintotteokiさんの動画
昨年(2011年)3月17日に今回と同じように卒業生を乗せた「おがさわら丸」出航の折、「送られる側から、送る側を見た」映像がUPされていたので拝借した。今回、この番組(目撃日本列島)と一連のYouTube映像を合わせ見ると「絆」をより深いものとして感じることができる。こういう若者たちの旅立ちがこの三月、全国随所で行なわれたかと思うと、明日の日本もまだまだ捨てたものではないと前向きになれる。


●sudo0124さんの動画
番組の冒頭と最後で高校生たちが踊っていた曲『大切なもの』は親しみ易く、すぐ覚えられる。

《追記》


◎『日本の島々、昔と今。』岩波文庫/有吉佐和子2009年1刷
執筆当時(S55年)は初代おがさわら丸が就航した翌年で、片道29時間(エコ運転)かかっても島の人たちは喜んでいたという。「初代おが丸」以前には40時間、そのまた先代には56時間も要していたという。今はもう売り切れて手元にはないが「太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑」に依ると小笠原周辺の海底には数多くの軍艦、徴用船が今も静かに横たわり魚貝の棲家となっている。

日本の島々、昔と今。 (岩波文庫)
有吉 佐和子
岩波書店

二本のトラノコザクラ(ソメイヨシノ)、一週間遅れで満開。

2012年04月15日 16時47分44秒 | 生活手帳
もう満開の時期を逸してしまったが、二本のトラノコザクラはほぼ例年通り3月30日開花。それでも低温の朝が続いたり爆弾低気圧という耳新しい春の大嵐で撮影の時期を逃し、今日の日曜日は落下盛ん。


●4月8日、日曜午後


●10日夕方


●12日正午、この頃満開


●今朝(15日)


●垣根の桜は根周りが大きくなりすぎてブロックの目地に隙間ができている。






●桜の陰で梨の木がひっそりと花を咲かせて居る。18年前、桜の木がまだ苗木だった頃から今と同じ容姿でこの場所に立って居る。既に樹勢なく幹はアリに喰われてボロボロ、でも可憐な白い花をつけてくれた・・・何とか養生したいのだがー。


《追記》4/16朝
宴の跡・・・

●散った花もアスファルトの上に落ちれば履くしかないが、庭の地面に落ちれば生きものたちの糧となる。

《追記》4/20夕方

●今年から兄ちゃんは「家庭科」の授業が必須となる。授業参観では家庭生活の場において、率先して「お手伝い」をするようクラスのみんなで学び合った(小遣い欲しさが本音のようでもある・・・)

家族の写真を撮り続けた影山光洋(正雄)

2012年04月14日 07時53分39秒 | オンライン古書店
前稿を受けてか、影山光洋(正雄)さんの一家団欒の写真を思い出した。声高々に世界平和を叫んでみたところで家族がバラバラでは何にもならない。

●『影山光洋/日本の写真家14』岩波書店1997年


影山さんは明治40年に生まれ、平成7年に死去した。(1907-1981) 戦前、戦中、戦後と50年間に亘り家族の写真を撮り続けた。

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岩波写真文庫の整理が一段落しました。(2005/10/08)
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日本の写真家〈14〉影山光洋
クリエーター情報なし
岩波書店

近親者のみの小さなお葬式~家族葬

2012年04月09日 21時31分44秒 | 生活手帳
心構えは出来ていたとはいえ、愛する者の死は或る日突然として訪れる。昨日、母さんの実家では義父の四十九日法要が終わり、香典返しの発送も滞りなく済ませ、家族としてもようやく一息着いたと云うところか。気が付けばいつしか桜も満開見頃となり、慌しく過ぎた通夜・告別式が遠い昔のことのように思えて懐かしさすら覚える。三か月持てば良いとの厳しい宣告から2年8ヶ月、本人も抗ガン剤の副作用によく耐え、頑張ってきたが三度目の花見の宴は遂には叶わなかった。今、一連の諸行事を第三者的に見て感ずることは、故人を悼む気持ちに何ら変わりはないと前置きをして、それでもかさむ高額医療費と葬儀費用を合わせ考えた時、後に残る家族の為にも葬儀に掛かる出費をなるべくなら抑えたいという一点に尽きる。最近では近親者のみで執り行なう「家族葬」が注目されつつあり、費用も40~50万円に抑えられるという。


孫のランドセル姿を楽しみにしていた義父。戦後日本の高度成長を汗水垂らして一所懸命働き家族を束ねてくれた頑丈で大きな掌の感触を忘れまい。どうか今は安らかに。
・・・年を重ねる度に背負うものの重さを感ずる今日この頃。

《追記》
不謹慎とお叱りを受けるかもしれませんが、小さなお葬式というサイトご参照ください。