2019-05-23
私はモラハラの手口をこのブログでお話してきました。ターゲットとしてモラハラの悪質さを身をもって知っており、それへの包囲網を社会に作りたいと何度も書きました。これらについて書くのは非常に苦痛な作業ですが、なぜモラルを利用したハラスメントであるモラハラに着眼して気になるのか。その理由が少し見えたので、モラルによる暴力 について今後思索をしていきたいと思っています。
(参照:モラハラは、モラルを利用したハラスメント モラハラは、モラルを利用したハラスメント② 石川五右衛門 狡猾・陰湿なモラハラカテゴリ)
モラルが暴力に使われている のですが、この思索を進めていくことに、なにかが潜んでいるように思います。
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私は以下のことを書いてきて、それは私が見てきたそのままの現象です。
モラルがない人が、モラルを建前の言い訳にしてふりかざし、正当化の傘の下で人に嫌がらせ(=モラハラ)をする
一等モラルのない人達が、相手の「モラルの欠如」を猛烈に突いてくる
モラルのない人が モラルのある人に 「モラルがない」と批判し嫌がらせの口実にする
彼らは手ぐすね引いて、粗を探しうかがっている だからターゲットになった被害者は、当然の反応として、非をつつかれないように、完璧でいるように努める (参照:ガチガチに縛られた被害者)
このことが息苦しくてたまらない
これが出発点となりました。
偽モラルは、外付けの うわべだけ形だけの 単に自己中心的な目的のためにふりかざすモラルで ブリヂストンで嫌と言うほどこれでもかと見てきたものです
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神保哲生・宮台真司・茂木健一郎の対談:クズのコスパ野郎にならないために生きがいを見つけよう②
宮台「(LGBT #MeToo イクメンとか社会の潮流からの)プレッシャーで、フェアなふりをするっていうのは、実は内発性、Virtue(徳を意味する英語)関係ないじゃん。糾弾されたくないから。″いや~私も多様性は大切だと常々思っていました” みたいな、そういうクズがいっぱいいるわけだ この社会にはね」
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最も傍若無人に強烈なパワハラ、セクハラ、陰湿なモラハラを執拗に続けた竹下さんが、コンプライアンス座談会などでは一等、優秀なコメントをエビデンスシート(やったという証拠シート)に残していたし
課長吉田氏も熊谷さんも、日頃やっていることと相容れないことを、エビデンスに残るメール履歴などには周到に残していました。
本質が逆の人ほど、証拠に残る時や、上位者や外部の人の前ではそれをキレイに隠し、180°豹変して甚だしい二面性を駆使していました。
嘘つきは、声が大きいんです。(声量がと言う意味ではなく。竹下さんは実際の声量も無駄に大きかったですが。)(参照:偽物は饒舌)
そしてそれは摂理だと思います。逆をアピール=嘘をつく必要があるんです。
これらの現象も、モラルによる暴力への思索のヒントになると思います。
私が「すきま」にいる時は、子どもがとても喜んでけらけら笑います。本当は、そこは「すきま」ではないのに、今の日本では「すきま」になってしまっています。
これらのことについて、書いて行こうと思います。