現実が目の前にどれだけありありと突きつけられていても、
人から現実を切実に訴えられても、観念を言い続ける狂気について
このブログで度々書いてきた。○○のため、××のため という立派で高尚な観念。
その「○○のため」が失敗している惨たらしい現実が目の前に垂れ流れていたり、
犠牲者・被害者となっている人達がそれを切実に訴えているのに、なお○○のためと
観念を言い続ける。この、話が全く通じないカルト性のことを書いてきた。
その、○○のためという大義名分(美しい建前、言い訳、正当化)は、常に本当の事
を隠している。本当の事とは、その人が、それを自分の利己的な目的の為にやっている
だけという事である。自分の都合、自分の欲望でやっているだけの事を、
立派にキラキラコーティングで塗り固めて、○○のため、××のためと言っているのである。
だから○○のためになっていないという現実が目の前にどれだけ垂れ流れていても、
惨状を訴えられても ○○のためという印籠をかざし続ける。
そしてもっと言うと、その○○のためには嘘で、その人は○○のためになどと
本当には考えていなくて、○○などどうなっても構わないと思っているのである。
だから○○のためになっていない、真逆の結果を生んでいるという現実を見ないで
○○のためにと言い続けるのである。もし本当に○○を目的にしているのであれば
そうなっていない、失敗している事を受けて、「このやり方は間違っていた」と
反省・軌道修正する筈なのに、○○のためなど最初から目的ではないから
失敗しているのに構わず永遠に○○のために と題目を言い続けるのである。
本当に悪質。
自分の利己主義でやっているだけの事を、偽装して正当化する時には必ず
立派な、正義っぽさ、モラルっぽさに溢れた事が印籠にふりかざされる。
モラルハラスメントは、モラルを利用したハラスメント。
本当に悪質。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
そういう美しい建前をふりかざす嘘つきは、順番はこう。
1. 全力で目指す着地点ありき。それは自分の都合。
2. それを正当化するために立派な建前の理由づけを印籠にする。
この順番。そしてその建前の理由づけは嘘で、本当にはかれはそれを
どうなっても構わないと思っている。端的に言って、外道…
そして正当化の理由づけ、論理は一見尤もらしく武装されている。
でも、手段として使っているだけの言い訳に過ぎないから、矛盾が噴出して
穴だらけで突っ込みどころ満載の理屈である。
例えば、その人はジョン君に悪意で嫌がらせをしているだけで、ジョン君の当然の
希望や当たり前の気持ちを踏みつけにした事に対して、後からジョン君が抗議したと
しよう。その場にジョン君の支援者、味方がいたとする。するとその人は、
自分がジョン君の気持ちを踏みにじった「尤もな」理由を言う。
「こんな時にそういう事を言って。サイモン君がこんな状況なのに彼の事を
心配しないでそんな事を言うから。私はサイモン君の体調の事が本当に心配で心配で。
ジョン君も、そう思って欲しいという気持ちや、当然そう思うものという気持ちで
いたから…(にも関わらずジョンは自分の事を話すからと暗に非難)云々かんぬん」などと。
こんな感じで、ジョン君を暗に「人でなし」路線に乗せながら、かつサイモン君への
「心配」「思いやり」を前面に出しながら、ジョン君の希望や気持ちを棄損した事を
正当化する。こういうの、本当に多い手口。モラルの中でも最たるものは「命が大切」
というものだから、この命をふりかざすことも鉄板の手口。
でも落ち着いて考えたら、ジョン君の希望・気持ちと、サイモン君の体調への心配って
別個の問題だから、同一線上で競合させて、価値に優劣をつけて序列をつけるのが
おかしいのだ。競合させなくていいこと、同一線上にないものを、同一線上に乗せて
価値の重さ(優劣)を天秤にかけて、「こっちの方が重いよね」とドヤって(その最強の
ものが人の命)片方を切り捨てることを正当化する詭弁。
なぜか究極の二択になってる…
本当は、ジョン君への嫌がらせや悪意でやっているだけの事を。
こういう手口って本当に溢れている。政治家などの詭弁でも使われるもの。
この詭弁にはいくらでも突っ込み所があって、その詭弁の土俵に一旦乗ってそのおかしさを
言うと嘘つきはぐの音も出なくなって誤魔化しの余地なくなったら、こうきたりする。
「考えが間違っていた」と。
私の考えが間違っていた と一応、認めてはいるものの、これも真実と違う。
真実は、考えが間違っていたのではなくて、その人は自分の利己的な目的で
それをやっただけなのを、サイモン君への心配をふりかざして使って、
立派コーティングしているというものだ。だから、「考えが間違っていた」というのは
正しくなくて、本当のことを隠したままである。そのハリボテの理屈をuse使っていただけ
なのだから。「間違っていた」と認めてみせることは、その人の悪質さから目を逸らす
ミスリードである。「間違っていた」ことは誠実路線のままで騙せている。
間違っていたのではなく、ふりかざしていただけ。
そしてサイモン君への心配を方便として使えるその人こそが人でなしなのである。
○○のために と言って印籠をかざして利己的な行為を正当化する人は
○○のために と本当には思っていない。人でなし。
自分の悪質さを隠蔽するために手段として使っているハリボテの論理は
いっちょかみの思いつきだから、おかしさ満載である。
「間違っていた」のではなくて、手段としてふりかざしている論理だから
粗末になるのだ。悪質さを「考え方の間違い」路線にミスリードされ、これに
乗るならばその人の悪質さは飽くまでも隠し通され騙しを成功させたままである。