記事:偶然の美しさで、「計算されたのではないものが、たまたまなす美しさを見た時に特別な至福を感じる」と書いたのですが
それは、頼まれもしないのに、誰に見せるでもなく 美しいものに出会う喜びのことです。
ブブリヂストンでは、虚栄のためのアピール、周到に自分を守るためのアピール、スタンドプレイ、アリバイ作り、言い逃れ工作 そういったものばかりいやと言うほど目にしていました。
狡猾、卑劣なアピールだらけでした。(参照:偽物は饒舌)
醜さだけ感じました。そういうの、もうたくさんなんです。
昔から、計算されてないのに偶然美しさができるのを見た時、これ以上ない最高を感じます。この感覚を共有する人はいないでしょうか。
昔は、そういうのが生活の中でたくさんあったんだと思います。私も小さい頃みた「最高」を憶えています。
たまたまそこに日が当たって、なおかつ香しい匂いが立っていて(重曹みたいな匂い)、何とも言えない情景となっていたり。
森に囲まれた佐田川が近所にあってそこで泳いだ時、シャンデリアの部品が川辺に漂着しているのを見つけました。ドキドキして透明の涙型のカットガラスを1つ持って帰りました。あれから数十年経っても、あれより美しいシャンデリアの粒をみたことはないです。
廃墟の美しさもこれと通じるように思います。破産した人には美どころじゃないですが。