2019-10-16
モラルハラスメントは、日本人の得意なお家芸 そんな風に思います。
日本では、モラハラが蔓延りやすい土壌があります。そのヒントというか答えが「日本の思想」に書いてあります。
日本の雑居的無秩序性 /丸山真男
様々な考えが、その矛盾をスル―されたまま無限抱擁され、異質同士が交わり対決することなく雑居する。
考えを次々と受け入れるが それらが骨子にならないから 無意味になる。 空しいですね…
:::::::(以下:空っぽの「モラル」に内からのモラルが潰される より)::::::::::
久野収という人が言った「理性の手段化」という言葉を本で見つけました。
こんな感じです。本来理性とは、より普遍的に用いられて然るべきところを
ピンセットで恣意的にピックアップしたものだけに理性を吹きかける。
モラハラのことだ と思いました。 ご都合主義とも言えます。何かの目的、意図のために理性を手段化するのです。
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構造的暴力を無視したまま、恣意的にピンセットで摘み上げた物に理性を吹きかけ、声高に糾弾する。
これは、ブリヂストン甘木工場の品質保証課長吉田太一氏や、労務・CSR推進課長澤田裕介氏が私に対して行い
今現在でも繰り返し上塗りする形で行っているモラルハラスメントであり、材料試験室で熊谷秀和氏や竹下嘉一氏が
他の弱くさせられた立場の社員に毎日していたモラルハラスメントです。
また、弱い立場の人が身を助けるために行ったことを、声高に糾弾することは、日本において顕著に見られる行動です。
(参照:どっちが恥か) 美しい日本などと声高に宣伝されていますが、全く美しくない。弱い者いじめは醜い。
弱い立場の人がやったこと 構造的にひっかぶり役の人がやったことを
かれらの頭を踏みつけることで余裕をもっている立ち位置にいる人が、声高に糾弾する。
例えば沖縄とか、生活保護とか、いじめ被害者とか。
その尤もらしく振りかざされる糾弾は、聞くに堪えないものがあります。
振るわれ続けている暴力を棚に上げて、完璧でいる必要などない。
私は、いじめられている子に、品位を保つように言う大人は無能だと思っています。
その子が、苦しくて、耐えかねて、死んでしまうかもしれません。
品位は、相手にそのかけらがある場合に通じるもので、それがない相手に品位を保っても利用され漬け込まれる形でしか
返ってこないのです。暴力を可能にする条件は非対称性です。相手に品位がなくて代わりに悪意や利己心があるのに、
やられている方に品位を強要することはさらなる暴力として作用します。
この暴力は、構造的弱者に対する更なる罰として色んな場面で振るわれています。
どうしてその人が置かれ続けきた構造の暴力性を差し置いて、被害者の方に聖人のふるまいを要求するのか。
死ねと言われているみたいな気持ちになります。
弱者の立場にいる人に同行する支援者も、その人が割を食っているその構造によって一方で
特権的に蜜を吸っている人達がいることが見えていれば、清廉潔白な完璧さを強要などするはずがありません。
私はこのブログを、社会的弱者に向けて書いています。