当たり役と外れ役 の続きです。
”向いてることをやれ”とは、今も昔も言われていることで、そういう意味で人の個性を火になぞらえて
「火をガソリンにつけると爆発する」という英語の格言があったと思います。The chemistry was right.
人との出会いもそうで、1人ではできないことが、その人とならできたり。1+1=2ではなくて、互いの存在が作用しあって
掛け合わさって別の力を生み出す。出会った瞬間にではなくてもだんだんと。そういう相棒と出会えたら、最高の幸運だと思います。
大きなことをなした人にはだいたいそういう相手がいるでしょう。その人だけが有名になったけど、
かれの近くにいた誰かとの力の作用で、それができたというのが本当のこと。でもかれだけがカリスマになった。
またこの掛け合わせの奇跡は、とても細かな条件付けを通過したものです。
例えば、フジコ・ヘミングは素晴らしいピアニストだけど、ピアノと言っても、どんな曲を弾くかでその才能が発揮できるか全然できないかは違ってきますし、芸術、美術の創作でも、大きな絵画を描く才能はなくても、A4サイズあるいは葉書サイズの小さな世界で豊かな創造力を見せる人がいます。真っ白なキャンパスには描けないのに、黄色いキャンパスの上でならすいすいと着想が湧き出たり。
だから向いてる向いてないというのは、条件付けが極めて重要だと思います。
この条件付けを無視すると誤った判断を下します。例えば、ピアノが大好きな子が、階級制度や師弟制度、派閥、権威主義、技術至上主義、新自由主義の蔓延するピアノの世界に拒否反応を示したからといってピアノに向いてないわけではないし、丸坊主や体育会系の練習現場が合わないからといって野球に向いてないわけではないです。
けれど、そういった理由で好きなことをやめてしまったり嫌いになったりするということが往々にして起こっていて
そのような状況をつくっている人達はとても罪深いと私は思います。 潰される独創の芽
フジコ・ヘミングは、その条件付けに適った物に対して個性を存分に発揮していて、それはピアノだけでなく
洋服のアレンジやインテリア、絵画などでも活かしています。だから、私は具体的な行為よりも、条件付けの方が
大事なのではないかと思っているんです。もし、その条件付けに適っているものならば、それがピアノであっても
文章であっても美術創作であっても社会的活動でも才能を活かせ、もしその条件付けに反していれば、活かせないと思います。
(関連:自己決定権の罠② Better is the enemy of Good)
だから、条件付けを一切無視した質問事項に5段階自己評価でチェックを入れるなどといった適性チェックや適職診断、
自己分析の類(ハローワークとかでも「就労支援」としてやってる)はナンセンスだと思います。
コミュニケーションをとるのが好きだーーーーみんな好きなんです 答えようがない質問ばかりです。
ストラディバリウスは様々な条件を通過して奇跡的な音がする、そうでないと10万円のバイオリンよりもひどい音がすると言います。