証拠の整理と管理について。
在職中に訪れた相談機関の方から、証拠をとっておくように助言されていました。(参照:手帳へのメモ・日記の有効性)
その通りにして、家に持ち帰り、それを整理し管理しています。
その作業には著しい精神的苦痛が伴うことは言うまでもありません。自分に起きた辛い出来事と向き合う作業ですから。自分を苦しめるものに向かっていく作業です。
でも私はその苦痛な気持ちに抗い、淡々ぶって証拠を整理し管理しました。感情の揺れを努めて起こさせないため茶化したりしながら。
それは今後の措置で必ず有効になってくるものですし。この辺は、私がよく書いてきたジレンマなのですが。(参照:私にとっての治療)私は割れたガラスの破片の上を裸足で歩いて、一歩踏むたびに出血するような精神状態でその作業をしました。自分のか弱さに抗いながらです。
これは医学的にいいのかわかりません。多分、ダメでしょう。安静、療養に逆らっていますから。
でもそれはいずれやらないといけない作業ですし、そうすることが、治療につながるような気がして。これは、私の性格なのか…他の人はどうなんでしょう
職場での自分に対するいじめ・モラハラの録音の反訳を、自分でしたという猛者もいます。私にはとてもそんなことできません。自分で繰り返し聴いて一言一句、文字に起こされています。その時間の精神的苦痛、傷つきはどれほどのものだったでしょう。強がっても心で泣きながらやったと思います。もしその時は鋼鉄の鎧をかぶってある種感覚を麻痺させてやったとしても、時間差で精神を侵蝕するように思います。PTSDは、時差でくることが多いのです。無意識下では傷ついています。
南の楽園のことを考えていれば治るのか。
私にとっての治療にも書いたとおり、起きたことから完全に離れて忘れ去って、治療ができるかと言うと、できないと思います。
やっぱり性格なのかもしれない。
切り替えて、忘れて、前向きにというのは泣き寝入りと表裏一体だと思います。同じことが至る所で起き続けます。起きたことに向き合い続けた人が、私たちの道を作ってくれた人ですよね。そういう人がいなければ、そういうことが起きる世の中は変わらない。
元被害者女性のすばらしい講演会 すばらしい講演会 の方もそうです。そういう方の不屈の精神が、道を作って私たちを照らしてくれています。本当にすごい人達です。自ら大きな犠牲を払われています。闘ってきた人たちの大きな犠牲…
そういえば、支援者の女性が言われました。「笑いながら闘おう」って。
そんなことできないよと思いますが、大御所、重鎮の方が到達した境地のようです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
被害者は、社会をよくするための使者じゃないのだから、自分に鞭打ち過ぎないように、あまり過剰な使命感をもたずに何よりも自分のために闘うべきだと思います。これは、自分に言い聞かせて…
牽引する彼女たちは、もう肝が据わった人達なのです。元被害者で泣いていたのが、その道で行く覚悟を決めた人達。目が据わってる…もう誰にも止められない強い意志。
子どもに、あの人って誰?って訊かれたので「あの人は、昔泣いてたんだよ。誰も助けてくれなくて。ずっと。そしたらやっと、女の人達が彼女を助けた。そして今は女ボスに化けたんだよ。」と説明しました。それは、私が彼女をみて思うまんまです。彼女から滲み出る戦闘能力だけで、メーターが破裂しそうな勢いです。
渦中にいる人間は、それと同じじゃないことを思い出して、自分のために闘いましょう。(参照:共通の願いをもった十人十色の人達)
泣き寝入りしない被害者の、試練、ジレンマについてとりとめなくすみません。
彼女達があまりに凄いからに続きます。