疑うことやおかしいと思うことが、自分の利益に反することは、よくあること。
例えば、大金を前払いしてしまった業者のやってることや
何かの大きな被害に遭って藁をもすがる思いで行って関わっている弁護士や支援団体の
言動や、他の男性と婚約破棄して堕胎して一緒になった相手の結婚後のふるまいや、
引越しして移住した町の様子や、転職した先の会社の様子…
これらが、おかしい のは不都合な真実。だから「気のせいだ」「取り越し苦労だ」と、
おかしさを些細なものだと軽んじる心理が無意識に発動。
軽く扱ってはいけないものを軽くみなす。自分の都合の為に。
もし、その対象がおかしいことが自分にとって不都合でなければ「は?明らかにおかしい」
「ポンコツやん」「低レベル過ぎやろ」と即言えるところを、自分がそれにお金をかけていたり、
それと引き換えに犠牲を払っていたり、退路を断っていたり、それもダメだとなるとまた1から
やり直すのが億劫だという理由から、無意識に陥る。価値のないものにしがみつく心理。
:::::::::::::甘いレモンの理論より抜粋::::::::::::::::
せっかく手に入れたものが自分の想像より価値が低い場合には、こころに大きな負担がかかります。そこで、「でも」や「だけど」や「きっと」などの言葉を使って良いものだと思い込もうとして、無意識にこころの負担を避けようとする心理的メカニズムが「甘いレモンの理論」なのです。「甘いレモンの理論」は手に入れるまでに労力や時間やお金などをかけたものであるほど、この心理が強くなります。
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すぐにChange!できるならば、そんな心の調整は不要。簡単にChangeできないから、
「おかしい」という気持ちを押し殺してしまう。それがポンコツであっては都合が悪い故、
信じたい気持ち。こういった自分の都合による願望が、現実をありのまま見ることを
邪魔して、初期に食い止められていた筈の痛手、損害を、大きなものにしてしまう。
面倒くさがり、労力惜しみ、怠慢が、莫大な面倒くさい事を起こしてしまう。
::::::年下の先生の、菅政権のコロナへの対応の話より抜粋:::::::
〈火事が起きているのに火は消さずに全焼するまで見守るスタイル〉
ほっといたらキッチンどころか家が丸ごと燃えるっていう話なんですけど、
とにかく消化活動を初動でやる労力やそれによって出てしまう小さな損害を
過大に見積もり、逆に家が全焼するというバカでかいリスクは過小に評価するんですよね。
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でもこういう行動をする人は日本に少なからずいる。そして、最悪なのが
労を惜しんだ結果「莫大な面倒くさい事」を引き起こしたことに対し、それに対しても
野放しするから「面倒くさい事ではない」と考えるどうしようもないく〇がいる。つまり、
面倒くさい事というのは、対処しなければならないという前提での言葉だが、収拾つかないレベル
まで行きついた惨状にも対処するつもりはないから「面倒くさい事ではない」と言うのだ。
もう呆れて物が言えない… ぽか~ん
そっかー 面倒くさいっていうのは対処しなければならないと真面目に考えるから
面倒くさいのかー。そのまま野放しすればいいと考えれば面倒くさくないんだ~
視野が狭くて思いつかなかったよー。
履くのが大変なブーツを履いた後、バッグに入れ忘れた荷物(お守りとして持ち歩いている
ミニタオル)を思い出したら、「それを持って行くことに大した意味はない」と
突如過小評価してみたり、「手拭いならこれが入ってるから」と、ミニタオルのお守りの役割を
突如透明化してみたり、「ガス、消したっけ?」と思っても「消した消した」と自分に
言い聞かせたりするのも、自分の都合の為に現実の方を合せようとする心の調整作業。
極端な合理化になると、「もし燃えても、うちには大した財産はないけん」と言ってみたり(笑
ブーツを履き直すのを面倒がって、家が全焼。よかよか。 ←頭おかしいやろ…
でも、自分の都合からくる願望は、人に頭おかしい行動を素でさせてしまう。
それは東大主席でもハーバード出てても政治家でも教授でも研究者でもコンサルタントでも
学校の先生でもしてしまう。むしろ、なまじ頭が良い方がしてしまったり。自分の都合いいように
持って行く合理化の方にその優秀な頭を駆使してしまうから… 頭を使うベクトル間違った末路。
不都合な現実を受け容れたくないがため、小学生でもしないようなとち狂った行動をしてしまう。
〈火事が起きているのに火は消さずに全焼するまで見守るスタイル〉
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もふもふしてるミニタオルを、私はお守り代わりに持ち歩いています。不安になったら
それを触って心を落ち着かせる役割です。より正確には、いざという時触らなくても
バッグに入っているだけで、安心の役割を果たしています。ハンカチ生地ではダメだし、
おろし立てではなく使い馴らしているものがよくて、それがないと心許なくなります。
他の人が、頓服の精神安定剤をバッグに入れてないと不安だったりするように。
私にとっては、他の何をバッグに入れ忘れても、これだけは一緒でないといけないものです。