考え方が間違っていることを示す証左、綻びは、大小様々な形で現実に現れる。
欺瞞の強い嘘つきが語る立派な観念とは似ても似つかない惨状が目の前に
垂れ流れているのに、それと向き合うことをせず、なお同じ観念を語り続ける。
どんなに明白に状況が示していても、完全スルーする不思議。
起きてる惨たらしい状況を認めず、同じ観念をずっと言い続ける。
考え方の誤りを教示する現象がいくら起きてもことごとく無視し続けて
やり方を変えなかった結果、大きな痛手を伴う事件としてドカンと起きる。
大損したり、大事な物が滅茶苦茶に崩壊したり…
それでとうとう考え方の誤りに気づき、悔い改めるのかと思うと、それは甘くて
それでもなお考えの誤りを認めずに、同じことを繰り返す という度を超えた愚かは
しばしば目撃される。その意固地さは重症である。深刻な痛手を被っても、その事件を
引き起こした原因を何も理解せず、気づかず、学ばず、反省せず、同じことを繰り返す…。
「死んでも治らない」とは昔から言ったものだ。
間違いを認めてしまったら、色々間違いだったことと向き合わなくてはならなくて
それに耐えられないのかも知れない。過ちを認めずに永遠的にやり方を変えない
病的な意固地が年配者によくいるのはそういうことか。23歳で間違いを認めるのとは
訳が違って、60過ぎで間違いを認めると、今までの人生色々間違っていたことを
突きつけられるから…
でもその自分の心の都合のせいで、他人を巻き添えにしていい道理はない。
自分の心の都合を優先させて、間違いを認めずに同じ愚行を延々と繰り返し
迷惑な状況を関係者に及ぼし続ける行為は、どこまでも利己的でないとできない芸当だ。
幼児的な老害が日本には多いと思う。
過ちを認めて、色々人生間違っていたことを認めて、嘆き、今日からの行動に
改めを反映させるのが尊敬できる態度だ。それは、これみよがしに「行動に移す」とか
「実践する」「行動で示す」といったACTION PLAYではなくて、自然になにかしらの形に
反映されるものであり、その物言わぬ饒舌な振動は、身近な関係者には確実に伝わるのである。
その小さくてとてつもなく大きな変化は祝福される。
しかし頑なに過ちを認めず、我執で同じことを延々と繰り返す年配者はかなりいて、
その自己愛は状況を悪い方向にしか導かない。極めて幼稚、醜悪である。
spoiled elderly