昨日も阿南町の現場を訪れた。等高線を追って行って、このあたりなら隧道が顔を出すのじゃないかと思い、道なき山をかけくだったら、予想通り隧道がほんの少し顔を出していた。これが経験者のなせる技かもしれないが、とはいえ宝探しみたいな賭けであるのも事実だ。沢をひとつ間違えれば落胆は大きい。降りる時は良かったが、もとの場所まで登るつらさはなかなかのものだった。とはいえ、これが見つからなかったら、またまた山の中で独り言を吠えていただろう。
さて、阿南町富草の恩沢という集落に入った。阿南町はこれまでにも山深いところをあちこち歩いているが、恩沢は初めてだった。すぐそこに天竜川の谷が見えているが、川が望めるところではない。山懐といった感じで、とても静かなところだが、天竜川沿いを走る飯田線の列車の音がかすかに聞こえてくる。
集落の真ん中に小高い丘があつて、その上に子守神社という社があった。山道から見上げる鳥居と「子守神社」の碑が印象的に冬の日差しをやわらかく浴びていた。見るからに数戸しかない集落だが、ひとつの神社を立派に維持されている。本殿前にある舞台は、足元がだいぶ朽ちていて、地震でも発生したら倒れるのではないかと思うほど不安定さを見せるが、頭上の柱は太かった。本殿もまたちょっと足元が脆弱化している印象があったが、社殿の前に額が掛けられていて、写真額がふたつ掲げられていた。ひとつは平成28年5月1日に修繕工事をした際の記念撮影で、もうひとつは同じ年の9月25日の伐採記念という写真だ。大勢の参加者が写り込んでいて、そこから神社に対する思いが伝わるような気がした。若い人は少ないが、集落に住まう方、あるいは今は遠隔地に住まわれている関係者も参集したのだろうか。
祭神は「水分神」(みくまりの神)で、雨水または流水を分配することをつかさどる神だという。水を程よく分配し、五穀豊穣を願ったわけだ。「みこもり」を意味し、「こもり」から「子守」、ようは子供を守り育てる意図がある。