長野県民俗の会第244回例会は、オンバシラの見学であった。よく知られている御柱ではなく、正月に道祖神の脇に建てられるオンバシラである。本日記でも「オンバシラ」、あるいは「御柱」のキーワードで何度となく記録してきたものであるが、本日回ったオンバシラも、これまで紹介したオンバシラの現在を確認することとなった。午前10時に集合してほぼ1日かけて回ったオンバシラは下記の7箇所であった。
①安曇野市三郷一日市場東村
②安曇野市三郷一日市場下町
③安曇野市豊科吉野梶海渡
④安曇野市豊科成相
⑤安曇野市穂高倉平
⑥安曇野市穂高塚原中部
⑦安曇野市穂高塚原巾上
このうち本日記で以前扱ったものについては、それぞれリンクを貼った。①と②したがってわたしとして初めて目にしたオンバシラは②の一日市場東村のものと③の梶海渡のものであった。②については以前扱ったことがあると思って探してみたが見つからなかった。リンクしているものについては、当時の写真と比較してもらえればわかるが、ほぼ過去のオンバシラと変わりがないと思われる。オンバシラとはいえ、場所によって異なることがわかるが、とくに今回初めて見た吉野梶海渡のものはほかのものと異なっている。そもそもヤナギバナがつかず、確かに柱は立っているが華やかな雰囲気は全くない。そしてこの柱は1年中立っているという。柱の根元に竹の筒が立て掛けられていたが、このれが地区内でお祝いのあった家に渡されるゴシンボク(御神木)である。事前にゴシンボクの依頼があった家の数だけ用意されるようで、今年は1本しかなかったので、依頼したのは1軒だけだったということになる。本来ならゴシンボクは柱に掲げられるものなのだろうが、ここではだいぶ省略されてしまって、今年の姿は根元に置かれているだけとなっていた。ここに掲げることで神が宿り、相応のご加護が導かれるということになるのだろうが、現在の姿はちょっと寂しく見える。加えて濡れないようにと被せられたビニール袋は、いわゆる自治体ごとに指定されているゴミ袋であった。ここではオンバシラが1年中立てられたままになっていると記したが、1年中と言うより6年間立てられていて、7年目に立て替えられるという。もともとは毎年立てていたものが変化したものと言えよう。吉野にはほかに3箇所ほどオンバシラが立っていると言うが、いずれも梶海渡スタイルだと言う。
吉野ではゴシンボクが祝い事のあった家に渡されるが、成相から穂高にかけてのオンバシラには俵が付けられていて、吉野のゴシンボクの代わりとなってこの俵が祝い事のあった家に渡される。これを「福俵」と称している。さらに三郷一日市場などではヤナギバナが各戸に配られて縁起物とされる。
さて、例会後の帰路、旧波田町上波田のオンバシラに立ち寄ってみた。すると中町にはオンバシラが立っていたが、上町も下町にも柱は見えなかった。かつて訪れた際に3箇所とも同じ日に立てていたことから推察すると、1箇所にまとめられてしまったのかどうか。以前訪れた際にも子どもが少ない町会では存続が危ぶまれていたが、それほど時を経ていないが、地域社会の変化によって行事が変化していることに気がつかされる。
安曇野市三郷一日市場東村(頂に付けられる女神、下に付くのはオガミ)
安曇野市三郷一日市場下町(ヒョウタンが日天・月天から吊るされる)
安曇野市豊科吉野梶海渡
安曇野市豊科成相(タワラ、キンチャク)
安曇野市穂高倉平
安曇野市穂高塚原中部
安曇野市穂高塚原巾上
松本市波田上波田