高遠町藤沢荒町における山の神講の現在について触れたが、ここでは必ず芋汁を作って食べる。加えてかつては兎の肉を食べたというが、『長野県史』において「何を食べるか」という聞き取りはされておらず、祭りで必ず作るもの、食べるものははっきりしない。供え物で把握するしかないわけで、ここでは祭りでの供え物を地図にしてみた。実は調査表には「食べ物」をまとめた欄もある。しかし、それは東信を除いた3地区の表であり、東信の表には「供物」とある。ただ東信以外の「食べ物」欄にまとめてあるデータをみてみても「食べ物」というより「供物」の答えに近く、はっきりと「食べ物は何をつくりましたか」と聞いた回答とは考えられない。したがってここではあくまでも「供物」として捉えた。
供物のうち洗米や酒といったふつうに神様に供えられるものについては図から省いた。ようは特徴の表れそうなものをまとめてみたわけだが、地図からもわかる通り、あまりはっきりした地域差を表すには至らなかった。シロモチ、カラコ、オハタキは、いずれも生米を水に浸して粉にして丸めたもので同意として捉えた。海のものについては、「魚」と表記されていると必ずしも「海のもの」とは限らないが、凡例上同意としてまとめた。野菜も洗米や酒同様にふつうに神様に供えられるものなのでここでは外すことも考えたが、目立たないように図には表してみた。その上で図に地域性を見いだすなら、シロモチやカラコといったものは奥信濃など北の県境地域にも見られるが、主たる分布域は県南部と言える。事例数は少ないが五平餅が中信から南信に掛けて点々と分布する。あとは点々と全県に分布する事例で、地域特有性は見られない事例と言える。食べ物とは別に弓矢があるが、これは「〝山の神〟再考 ③」で示した図「山の神の祭りの弓矢」の方が正しいのかもしれない。あくまでも調査をまとめた表の供物欄に記載されたデータでここでは作成したもの。あえてそのデータのみで作成した本図から言えることは、弓矢は上伊那や中信南部にのみそれは表れている。
さて、高遠町藤沢荒町では芋汁を作ったわけであるが、実際のところ芋汁を山の神に供えるということはしなかった。直会の料理として必ず作られているもので、ここで示してみた図と必ずしもリンクしないが、長野県史調査データの中に芋汁という単語は発見できなかった。ようは荒町独自の風習と考えられる。