伊那市富県貝沼「ホンダレ様」(令和7年1月14日)
伊那市東春近中殿島城下「セーノカミ」(令和7年1月14日)
写真は伊那市富県貝沼の今年の「ホンダレ様」である。ブランコの枠を利用して道祖神の飾りがされているのだが、ホンダレ様は右側の脚にしばりつけるように立てかけてある竹の先に結わえられているビニールの中にあるものを言うらしい。このホンダレ様については以前にも何度か触れており、とくに2年の絵に記した〝柱立て「ほんだれ様」〟で平成30年のものと比較した記述をしている。もともと県道脇に建つ道祖神の脇に建てられていたホンダレ様は、県道の工事によって集会施設の敷地内に移動した。近年はブランコを利用して飾られるのが恒例となっている。道祖神の脇に飾られていた時よりこじんまりしてきたが、それだけ正月飾りが衰退してきたということになるのだろう。ただよく考えてみると、この飾りにはいわゆる松飾がほぼ見られない。この地域では松や竹を正月飾りに利用しないのかどうか。それとも道祖神の飾りには既成の飾りだけ利用しているのか、そのあたりを聞いてみないとわからない。そもそも既成の飾りは昔は少なかっただろう。いや、大昔はこのような飾りは無かったはず。とすればこうした飾りはそれほど古い時代のものとは思えない。
さて、先日東春近古寺のハナについて触れたが、その際にはまだ立てられていなかった同じ東春近の城下のセーノカミが、昨日は立てられていた。ただ令和3年の際のものと比べると雰囲気が違う。紙テープがたくさん脇にある木から垂らされていて、騒々しい感じ。それ以上に気になったのは、令和3年に太陽と月とともに掲げられていたハナが無いのである。これでは各戸に配るハナが無いことになってしまう。
この正月から小正月にかけて、こうして上伊那郡内の様子をうかがってきたが、もはや絶滅危惧ともいえるものに、貝沼の例ではないがホンダレ様がある。貝沼の事例は本来のホンダレ様ではないと考えられ、このあたりでホンダレ様というと、平成30年に記した「ホンダレ様」の前編、後編の2例がそうである。しかし後編で扱ったホンダレ様は、ご主人が亡くなられて現在は実施されていない。毎年地元の新聞に掲載されるのが前編で紹介した向山さんだ。さらに古くは平成23年に辰野町小横川のホンダレ様を紹介した。当時もあちこち見て回ってそのくらいしか見つからなかったわけで、その小横川のホンダレ様も、今はもう見られなくなっている。長くこの日記を記してきているが、既に見られなくなってしまったものが、実はたくさんこの日記には残されている、と実感している。
先日「ことしの〝松飾り〟」を記したが、正月の雰囲気を醸し出していた飾りそのものも、ずいぶん姿を変えてきている。先週末松本から安曇と回ったが、サンクローが先週末実施されている所が多かった。それも午後2時から3時ころに集中していた。防火の観点から消防車が横付けされている姿もあったが、消防の関係で時間が決められている風にも見えた。さらに思ったのは、いずれのサンクローも小型化しているということである。飾りが減れば小さくなるのも当然だろう。そのいっぽう塩尻市南内田あたりのサンクローには、皆がみな手に手に繭玉を持ってきていて、その光景が賑やかに映っていた。このあたりではどこのサンクローにも繭玉を手にして集まっていた。