写真では形状がわからないだろう。そもそも落差工の内部は半分ほど埋まっている。ということで、設置当時の図面を紹介する。もちろん図面は西天竜土地改良区で所有されているもので、ほかでは公開されていない。一部のみ形状をわかってもらうために引用させてもらった。
図面は「尺」で表示されており、大正時代から昭和の初めまでは「尺」表示だったようである、農業関係の図面は。水路の幅は14尺=4.24メートルある。ブーメランのような形をした隔壁は23箇所あり、その形状は場所によって異なる。ようは勾配が4回変わっているため、勾配によって違っているようだ。細かい指示がされていて、計算されてこの形状は決められていると思われる。最も低い位置にある隔壁は、前編の3枚目の写真に写っているもので、高さが13.6尺=4.12メートルもある。この高い隔壁は末流に2箇所、中段の勾配がきついところに3箇所設置されている。図面にはこれを「Wall TipevB」と記しており、小さめの隔壁を「Wall TipeA」と記している。落差工全体の延長は407尺=123.33メートルある。流れとすれば隔壁の上部に水が溜まると隔壁上部を越流するわけで、言ってみれば滝のように見えるだろう、流れていれば。図面には橋が描かれておらず、設置する際に必要と考えて設けたものだろうか。階段工上部の水路勾配は「slope 1:5000」とあり、階段工したの水路勾配には「slope 1:40」と見え、下流側小沢川までの水路勾配がずいぶん急な計画であることがわかる。階段工内の底部には「玉石張」と書き込まれているが、現在その玉石張を確認することはできない。
縦断図には計画高がやはり「尺」表示で書き込まれており、階段工上部の計画高は「2445.76尺」=741.14メートル。階段工下の高さは「2304.00尺」=698.18メートルとなっており、高低差は42.96メートルもある。上部と下部に擦り付け区間があり、その分を除くと水平距離115.45メートルの落差工であり、段丘の勾配は約1:2.7である。
なお、図面作成者は「S.sasakura」とあり、作成日については「Mar.1928」とある。昭和3年3月ということになる。