Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

やたらに草を刈れない

2006-06-26 08:10:36 | 自然から学ぶ
 妻の実家の裏にあるため池までの道が草ぼうぼうになっているということで、草刈をしに日曜日に行った。妻は家から下のため池まで、わたしは下のため池から上のため池までを刈ったのであるが、刈り終えて戻ってきて下のため池の堤体頭を歩く程度刈っていると、「ウツボグサを刈らないで」という。「えー、もういっぱい刈っちゃったよ」というと、「ひどいなー、わたしはわざわざ残しているのに」と言うのだ。ちょうど花が咲く季節で、わたしのように詳しくないものにも「花が咲いている」程度の認識はあった。しかし、たくさん咲いているから刈ってもいいか、という感じに刈っていたのである。以前にアザミをわざわざ残してわたしが刈っていたら、「アザミは刈ってもいいよ」というのに、それでもと思って気にはしていた。ウツボグサはあちこちに姿が見えるし、それを刈らないで残していたら、ほかの雑草が刈れない。それほど点在して大きく伸びた雑草の中に埋もれている。

 まだウツボグサは良かった。「オカトラノオは刈ってないよね」というので、「どんなの」と聞くと「尾っぽのような花が咲くやつ」というので、またまた「それも刈ったかもしれない」というと、また怒るのである。このため池間の道の草刈をしたのは初めてだった。例年は妻が刈っていたもので、妻は刈るたびに大事な草花は刈らずにいたようだ。そんなこともあって、「あんたが刈るというので、ちょっと心配していたんだよね」という。「それならあらかじめ言っておいてくれないと・・・」とわたしはぼやくのである。そんな話をしていると「まさかホタルブクロも刈っちゃったの」と倒れているホタルブクロの花を見て情けなく言うのである。どれもこれもそこそこの株が咲いているから、少しくらいは刈ってもいいか・・・という感じで刈っていた。さらに近くに黄色い花が倒れていて「あらら、ツキミグサまで刈っちゃった」・・・である。本当に〝あらら〟という感じである。妻はそんな具合にうるさいので、常に草刈の際に気を使ってはいるのだが、なにしろ雑草の丈が長く、埋もれている草花を残すには至難の業である。

 写真のウツボグサはシソ科の植物でそれほど珍しいものではない。秋を待たずに夏のうちに枯れてしまうことから「夏枯草」(カゴソウ)と呼ばれる。花穂の形が弓の矢を入れる「うつぼ」に似ているためにつけられた名前だという。口内炎やへん桃炎において、煎液でうがいをしたり、肝臓炎や膀胱炎においては煎じて服用したともいわれる薬草である。

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2 コメント

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うちと似ている (ボッケニャンドリ)
2006-06-30 08:17:07
うちのヨメも似たようなことを言いますね。小さな草を指差して「これは××なんだからぁ、抜いちゃダメだよ」などと。
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抜くときはまだしも刈るとなると (trx_45)
2006-07-04 12:50:48
 草取りならスピードが遅いから選択の余地はあるものの、草刈機ともなると〝しまった〟てな感じであとのまつりです。

 昔のように手で草刈鎌で刈っている時代なら良かったのでしょうが・・・。
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