Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

肺水腫から1年

2021-12-01 23:15:17 | つぶやき

 

 僕が危篤状態に陥ったのは、昨年の11月17日。心臓も止まった。もうダメだと母さんも諦めた。そこから復活して、もう1年。自分なりによくがんばっている、とは思う。危篤状態から救っていただいたお医者さんは、ちちょっと「お高い」らしく、母さんは以前からお世話になっていた獣医さんのところに通院先を変えた。「すごーく」混んでいる。ので、母さんが僕をお医者さんに連れて行くときは、半日がかり。いつもひる直前の最後に診てもらうことが多い。もともとお医者さんは苦手だったが、そうも言ってられない。最初のうちは1ヶ月に複数回診てもらっていたが、さすがにお金がかかって大変らしく、母さんは時を置いて通うようになった。たくさんの薬をもらって、帰ることになった。薬があるうちは、とりあえずお医者さんに通うことはない。最近は2ヶ月に1度ペース。

 2ヶ月分の薬をもらって清算すると、母さんは平然と支払いをしているが、たーくさんお金を払っているようす。3枚、4枚は当たり前。「犬を飼うには、お金がないとできない」、とはよく母さんの口癖。お医者さんを訪れている「お犬様」は、みんなどことなく「お犬様」。僕だけだ、ふすぐれているのは・・・。

 忙しい母さんには、この1年、十分面倒を見てもらっている。比較的元気な癖に、ほぼ介護状態。ご飯は、自ら皿に盛ってあるものを食べたことがない。母さんに手で食べさせてもらっている。母さんが介護に慣れていて「良かった」、とつくづく思う。最近は、毎晩母さんの転寝する横で、僕も寝ている。夜半に母が目から覚めると、ようやく寝床に向かうが、できれば母さんと一緒に寝たい、と思っている。

 


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