安曇野市三郷楡阿弥陀堂跡
この碑は「貞享三丙寅」年(1686)「七月十五日」に建てられた名号塔である。名号塔とは、碑面に「南無阿弥陀仏」など神仏の名号を記した石塔の総省であり、「南無阿弥陀仏」を彫ったものは六字名号塔と呼ばれている。この名号塔は、文字がしっかりと読み取れる古いもので、昨日訪れた旧三郷村楡の阿弥陀堂跡にあるもの。注目すべきは「念仏講同行拾三人」の名が刻まれていて、その末尾に「善兵衛」の名があること。6月に「楡の集落を歩く」を記したが、そこで貞享騒動のことについて触れた。いわゆる貞享3年に起きた松本藩の百姓一揆の話であるが、その首謀者が多田加助であり、参謀であった一人が小穴善兵衛だった。その善兵衛の名が、この名号塔に残るのである。小穴善兵衛は楡村の庄屋だった。何より貞享騒動は貞享3年に発生した。実行日は10月14日と言われ、翌月には関係者が捕縛され、同年11月22日に多田加助とその一族のほか、8名が磔、20名が獄門の極刑に処された。処刑された者の中には小穴善兵衛の16歳になる娘しゅんも含まれ、さらに善兵衛の妻さとが正月明けに出産した男児にも死刑宣告が下されたという(ただし、翌月にその男児が病死したため処刑とはならなかった)。
この名号塔の建立は貞享3年の7月15日。そのちょうど3か月後に一揆が断行されたことになる。
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