Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

よく分からない習慣

2024-09-29 23:09:59 | つぶやき

 綴じてあるものに限らず、綴じてなくても縦書きのものなら右開き(左から右へ)、横書きなら左開き(右から左へ)が当り前だ。日本はこのあたりも複雑な意識をもたらす。こんなことは当り前なのに、ふだんどのような読み物に接しているかで、当たり前のことがそうではなくなる、ということをいつも自分の中ではうっとおしく思っているのだが、これって味噌汁を右に置くか左におくかにも繋がっている。もちろん当たり前なのは右に置く、ではあるが…。味噌汁については「日本人の多くは右利きなので、持つ回数の多いご飯を左側に、味噌汁を右側の位置に配膳します」なとんていう解説がされている。では、味噌汁の方が持つ回数が多い人は、左置き、ということになるのか、というとそうではない。いわゆるマナーなどという言葉で括られてしまうが、では左利きの人は?となってしまう。

 横書きが一般的になった日本社会では、仕事の上では左開きがごく普通になった。ふだんがそうだから、たとえ縦書きの資料があっても、左開きに開いてしまうことがよくある。もちろん本のようにページ数が多い縦書きのものを連続して読むには右開きに読んでいくが、数枚の物を綴じようとする際に、縦書きと横書きが混在していると悩んだりする。大方のものが横書きであれば、縦書きのものが一部混ざっていても左を綴じる。引用物として資料をまとめようとすると、ちょっと厄介なのものだが、厄介だと思うほどの経験は、めったにない。縦書きのものも日常には溢れているから、右開きすることも当たり前にある。日本の雑誌はほぼ縦書きだから右開きが普通だ。漫画だって縦書きでずっときているから、けしてそれらを左開きすることはない。にもかかわらず、わたしは新聞は右開きする。これがなぜなのかはよくわからない。子どものころ、最初に見るページがテレビ欄だったからかもしれない。新聞は裏から開くもの、という癖がついた。どれほど一面に大きな記事が出ていようと、必ず裏から左開きに見ていく。そもそも新聞は全て読まない、部分的、というのも影響しているかもしれない。テレビ欄の裏には社会面が続く。ふつうの新聞はほぼ構成が同じだから、新聞と言えば左開きが通常だ。おそらく新聞を読まない今の若い世代は、こんな癖はついていないはず。自分でも、なぜ裏から左に開いていくか、本当のところは分からない。子どものころからそうだったから、違和感があっても、この行為はずっと続いている。

 もう一度味噌汁に戻ろう。かつてこの日記に記しているのかもしれないが、味噌汁を右側に於いていて、椀をひっくり返した経験が何度もある。したがってご飯茶碗を持つことが多い通常の食事では、動作の多い側に汁物を配膳するのは危険なのかもしれない。にもかかわらず常に椀を右に置いていてひっくり返した際の記憶が強いから、「なぜ左ではいけないのだろう」などと意識してしまう。ひとが見ておらず、ひとりで食事する際に、わたしは味噌汁を左に置くことがよくある。なぜかといえば、味噌汁は必ず飲みたい性格で、食事では必須のもの。美味しい、不味いはともかくとして、味噌汁を飲む際にちょっとした幸福感を覚えるのは、習慣からくるものだろう。その際手にとりやすい左側にあることによって、わずらわしさが低減されることが、その理由かもしれない。でも、これも新聞を左に開いていくのと似ていて、本当の理由はわからない。


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