天狗と獅子に登場する面(天狗3、獅子4)
参道の階段
子どもたちによる太鼓
傘鉾を先頭に舟が進む
フネが境内に入る
フネは境内で右回りに3回転
獅子の登場
一番天狗の登場(右手に扇)
子ども達を追いかける
坂を転がる
三番天狗の登場
子どもをさらう天狗
天狗が消えると、境内のあちこちでこんな光景が(令和6年10月20日)
10月20日に行われた神明神社の祭りについては次のような伝承があると言う。
昔、北大出に獅子が舟に乗ってやって来て上陸しようとして天狗に相談した。天狗は神に祈祷した後に村人と掛け合った。しかし協議は難航し、三人目の天狗でようやく話がまとまり、獅子はめでたく上陸した。
というもの。新明神社には「千度石」はないが、舟を曳行して境内に入ると、舞台前の庭で舟を右回りに3回回す。その後半周戻して南向きに停めるのだが、境内で舟を3周させるというのは、安曇で盛んなオフネの祭りと類似している。安曇で行われるオフネ祭りでは、境内で千度石のまわりをフネを3周させるところが多い。そしてこれをオフリョーと呼び、その際にフネを煽る所も多い。神明神社の祭りでも、フネを煽るというほどではないが、かなり揺らす場面がある。もっと言えば、天狗が登場する際にはフネを揺らしているようにも見える。オフネについて詳しい三田村佳子氏は、ここのフネは「諏訪型」と分類している(『風流としてのオフネ』2009年 信濃毎日新聞社)。いわゆる諏訪地方で行われるオフネの形式に近いということなのだろう。しかし、なによりここの祭りはオフネが中心ではなく天狗と獅子が中心。風流芸能ではなく、分類上困惑するような民俗芸能に仕上がっている。天狗も獅子も「芸」らしいものがないから、やはり風流芸能なのかもしれない。
かつては参道の階段下の堂がある庭から舟を神社まで担ぎ上げたという。青年衆が少なくなってしだいに舟が出始める場所は上へ上へと移動してきたようで、現在は舟を上げる道は50メートルほど北から曳行するのみとなった。その先導は傘鉾であり、神の依代としての意味があるのだろう。そして舟を3周させると、いよいよ天狗の登場となるが、最初に舟から出てくるのは獅子4頭である。獅子舞の獅子頭であるが、ここの獅子には舞らしきものはいっさいない。腰を屈め、低姿勢であたりをうろうろするのみ。天狗が登場すると天狗にちょっかいを出そうとするのか近寄るが、結局天狗と絡むようなこともほぼない。何よりなぜ4頭なのかというところも不思議だ。
一番天狗は舟の先から登場する。獅子たちと同じである。右手に扇子を持っているが、その扇子をよく見ると、確かにお宮参りに奉納されたもののよう。あたりを転げまわったりするが、境内にいる子どもを拉致して舟の中へ連れ込む。大泣きする子どもも多いし、ある程度大きな子どもは逃げ回る。天狗と獅子の競演は、境内一帯が騒然となる、一大演芸場のような雰囲気。天狗が思う存分境内を駆けまわる間も、獅子は舟の周囲で低姿勢でゆっくり動き回るだけ。「天狗と獅子」とは言うものの、これほど天狗と獅子がどのような場面設定になっているのか不明瞭な構成はない。長い祭りの歴史の中で、なぜ両者の絡みを演じるような機会がなかったのか、などと思ったりする。天狗は境内で動き回った末、神社拝殿の前に座って拝むような所作をした後、背後の神明山へ上る。宝石の前でも拝礼した後、子ども達を追いかけ回した後、山の上からごろごろとでんぐり返しで境内へ転げ落ちてくる。再び境内で自由な行為をした後、舟へと帰って行く。二番天狗は右手に笹を、三番天狗は杉の葉を持って、いずれも舟の上から境内へ飛び降りる。二番天狗は西へ向かって、三番天狗は東へ向かってである。
舟だけをみればオフネ祭りと共通しているが、メインの天狗と獅子は、どこにもない独特な祭りを構成している。何より参拝者とこれほど絡む祭りはなく、見るものを楽しませるだけに、カメラマンが多い。辰野町のホームページで祭りの日程が公表されるほど、参拝者の多い祭りである。もともとは年番制ではなく青年衆が担ったものなのだろうが、今は北大出にある三ツ谷新田、宮下、多屋小路、鞍掛、原小路の五つの集落で当番制で行っている。したがって5年に一度氏子は関わることになる。今年は原小路が年番だった。
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